文/中国の大法弟子
【明慧日本2013年6月26日】2001年、私は強制連行され6年の刑を言い渡されました。当時、私の息子は7歳で最も母の愛が必要な年でした。私が「真・善・忍」を信じて、良い人になったことが理由で中共に迫害され、本来睦まじかった家庭はばらばらになりました。夫は外に女ができ、家に戻ってきませんでした。私が強制連行された後、夫は家を売り、平屋を買って、その女と暮らしました。息子は夫が自分の兄のところに預けました。舅も夫の兄のところに住んでいたので、兄嫁は心のバランスが取れなくなり、常に子供につぶやきました。「あなたのお父さんは自分だけの生活を楽しみ、あなたが要らないのよ。あなたのお母さんは法輪功をやったため捕まえられて、あなたが要らない。私だけがあなたを育てて面倒を見てあげているのよ」と。こうして、息子の心に憎しみが生まれ、自分は親に必要とされていないのだと思うようになりました。
私が刑務所から帰ってきたとき、息子はすでに13歳でした。彼は私に会っても、嬉しそうでなく、しゃべらず、ママとも呼ばなかったのです。私はすすんで彼に話しかけましたが、彼は常に私を避けていました。食事の際、私が彼におかずをとってあげると、彼は食べないばかりか、あげたものを返しました。一度、彼がテレビを見ていたとき、ちょうどビジネスの広告だったので、私はそれを見たいので、息子がチャネルを変えないように、息子にリモコンを渡してほしいと言いました。しかし、彼はリモコンを私に渡してくれないばかりか、リモコンをばらばらにしました。
息子の反抗心はますます強くなり、タバコを吸い始め、喧嘩をし、とてもカンシャクもちでした。私は刑務所から帰ってから、まだ学法がしっかりできておらず、心性も守れませんでした。私たち二人の間のトラブルはますます多くなり、ますますエスカレートし、息子は私を罵りました。親としての尊厳が傷つけられ、私は失望のあまり、常に息子を罵っていました。自分が修煉者であることをさっぱり忘れ、トラブルに遭遇しても、自分に原因を探すことを忘れていました。当時は本当に苦しくなる一方でした。
その後、私は集団学法に参加しました。絶えず学法する中で、私はやっと修煉者にとって、肝心なひとつの理――内に向けて探す、ということについて理解できました。師父は2006年の『米国首都法会での説法』の中で、「トラブルの中で、内に向けて探すことができれば、自分自身の足りないところに気づくことができます。トラブルが明るみに出なければ、トラブルが現れなければ、あなたは自分の執着に気づくことができず、見つけることができません。すべてが平和のままであれば、修煉できるのでしょうか?」と説かれました。私はやっと、どうして息子との間にトラブルが絶えないかが分りました。しかも、私たちの間のトラブルはそれほど酷いものでした。トラブルが起きたとき、私は常に外を見て、外に向けて探していました。私はまさに逆のことをしていたのです。
内に向けて探すことの重要性がわかってから、私は努めて内に向けて探し始めました。まじめに、一つずつ探しました。憎しみ、恨み、虚栄心、メンツを重んじる心など、一気によくない心をたくさん見つけ出しました。私はやっと、どうして自分が常に寛容が足りず、修煉者としてあるべき理解と慈悲が足りなかったかが分りました。
そのときになってやっと、子供の現れは自分の鏡であり、常に自分を法に照らせば、それこそ修煉であると分かりました。師父は「問題が現れたら、それは自分が法理とねじれてしまったからです。問題の所在を探し、ねじれている部分を解きほぐし、問題を整理して解決します。最も良い方法は、問題に出遭ったら、前へ前へと突っ込んではならず、追い詰めて解決を求めてはならず、心を放下し、一歩下がって問題を解決すべきです」[1]と説かれました。私は師父の話を聞かず、師父の教えられたとおりにやっていなかったから、安定した修煉ができず、苦しかったのです。
それからは、息子とトラブルが起きたとき、争いませんでした。息子の気分がよいとき、私は彼に伝統文化と大法のすばらしさを伝え、師父がいかに私たちに良い人になるように教えられたかを伝えました。彼の気分がよくないとき、私はあまり話をせず、なるべく彼のために考えました。中学校を卒業するとき、私は息子が普段から勉強が嫌いだったのを知っていたので、技術学校へ行くように励ましました。すると、息子はますます勉強が好きになり、学校でもますます良くなりました。冬休みになるたびに、彼は自らバイトに行きました。私は彼に「人間が何かをやろうとしたときに、『神の助け』があれば、ますます順調になる」と伝え、彼にくれぐれも「法輪大法はすばらしい」としっかり覚えるように言い聞かせました。
これらの話をすることが、彼に本当に作用を働いていることに気づきました。まもなく、彼は私を助けて、大法弟子の創作した歌曲と電子辞書ファイルをダウンロードしてくれ、また神韻公演も見ました。少しずつ、彼は大法の中に入りました。一度、話していたとき、息子は「私はいま自分がますます善良になっていると感じている」と言いました。確かにそうでした。息子は私に関心を寄せるようになりました。ある日、私は身体が辛くなり、嘔吐などの病業のような偽りの現象が現れました。彼はすぐ近寄ってきて、私の背中をたたいてくれました。私が大丈夫と言うと、彼はまた私に水を持ってくれました。しばらく経つと、「どう?」と聞いてくれました。これは以前にはなかったことです。
今になっても、私たちの間でトラブルは起きますが、トラブルの中で、私は本当にどうやって自分を修めるかを知っています。当初、我が家のトラブルは同修からみると、解決し難いものであって、ひいては一部の同修は聞いたら、頭を振っていました。私が魔難から歩み出したとき、本当に師父の「功法を修煉すること自体はそれほど難しくなく、次元を向上させること自体には、それほど難しいところはありません。人間の心を捨てられないから、難しいと言うのです」[2]の意味を体得しました。
自分の心性が向上したため、家庭の環境も良くなりました。このような変化を目にした親族らは大法の素晴しさを目撃し、大法の真相を認め、かつて頑なだった姉の夫まで脱党しました。
私は自分がまだまだ足りないと知っています。この修煉過程を書き出したのは、師父の慈悲なる済度に感謝の意を表したいからです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地説法七』「米国首都法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』