【明慧日本2013年6月26日】湖南省の長沙県公安局の張貴林さん(74)が迫害され、今月11日昼、無実の罪が晴れないままこの世を去った。張さんの妻、譚祥杏さんも2006年3月6日に迫害され死亡した。
張さんは長沙県公安局刑事大隊の副大隊長、長沙県治安大隊の政治工作員だった。しかし、あまりにも働きすぎて、脳いっ血、高血圧、気管支拡張症などの病気を患っていた。あちこちの病院で治療しても治らず、当時複数の病気を患っていた。長沙県電信局に勤めていた妻と譚祥杏さんは、共に1998年に法輪功を学びはじめ、しばらくするとすべての病気が治り、張さん夫婦は法輪功に出会えたことを喜んだ。
1999年7.20、中共(中国共産党)は法輪大法と法輪功修煉者に対して迫害を始めた。張さん夫婦も多くの法輪功修煉者と同様に、法輪功を修煉してから健康になったなど自らの体験をもって、北京へ陳情に訪れ、法輪功の超常さを実証し、陳情した。しかしその後、二人とも不当に監禁されて監視され、不当に判決を下されるまで拘禁された。
2000年10月、張さんは長沙県公安局政治保護科にて不当に1年半の労働教養を強いられた後、新開舗労働教養所で迫害された。譚さんは懲役3年の不当判決を言い渡され、湖南省女子刑務所で迫害された。労働教養の期間、当時の政治保護科メンバーらが張さんを騙し、「俺たちに協力して転向すれば、将来差別をしない。また仕事も復帰させる。支給していない給料も支給する」と約束した。しかし当時、610弁公室と公安局は張さんが自宅に戻った後、約束を果たさないばかりか、張さんの党籍と職務を除名した。そして、張さんに対して一切の経済的な支給を停止した。長沙県公安局は当時、毎月張さんに3800元以上の給料を支給すべきだったが、2000年10月に北京へ陳情に行ってからは1元も支給しなかった。
刑務所で長期にわたり迫害されていた張さんの妻、譚さんは、2005年に刑務所から戻ってきたが、2006年3月6日に無実の罪が晴れないままこの世を去った。譚さんは迫害されて肺感染になり、最後には末期の肺癌になった。刑務所の警官は彼女に対して「重病のための服役中の一時出所」を提案したが、長沙県610弁公室はそれに応じなかった。それにより、譚さんは治療が手遅れになり2006年3月6日にこの世を去った。
妻を亡くした張さんだったが、息子と息子嫁が離婚して、リストラされた息子は仕事がなく生活資金がなくなった。張さんは何度も会社に行き、仕事と生活の問題を解決しようとしたが拒否された。特に鐘廸剛(副局長、邪党副書記)はまったく話にならず、「おまえは法輪功をしながらご飯も食べたいのか? 絶対に解決しない」と言った。
2009年、張さんは不注意で転び、それ以来病気となり体がずっと不自由な状態で、自立生活ができなくなった。また、今年に入ってからベッドから降りられなくなった。張さんの息子は生活のため、常に張さんの身辺にいることができなかった。60歳過ぎたかつての家政婦が、張さんのために長沙県公安局に行き、張さんの給料を請求しようとしたが、女性警官にこぶしで殴られ、脚で蹴られ、また4、5人の男性警官が張さんをビルの上から門の外まで運び出した。
張さんが亡くなる1週間前、張さんの息子は父の全身が床擦れで、でん部がすでにぼろぼろになって大きく凹んでいるのを見て、やむを得ず同じビルに住んでいた副局長・鐘廸剛に助けを求めた。しかしまったく人間性のない鐘は張さんの状況を聞くと、見に行かないばかりか、張さんの息子に「おまえの父親は法輪功をやりたいと言っているのではないか? 私を探してどうするんだ?」と言い返した。張さんの息子は仕方なくその場を去った。
そして、張貴林さんは無実の罪が晴れないままこの世を去った。張さん夫婦はただ「真・善・忍」の教えに従って煉功して、良い人になりたいだけだった。北京に行って陳情をしただけで、会社に理不尽な対処をされた。ここで迫害加担者らに呼びかける。張貴林さんはすでにこの世を去ったが、江沢民に追随せず「真・善・忍」を認め、自分と家族のために良い未来を選択してほしい。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)