文/湖北省の大法弟子
【明慧日本2013年6月30日)2004年のある日、いかなる証拠もなく、警官が私の家に押し入ってきて、私を逮捕しようとしました。その時、私は彼らに多く真相を説明しましたが、警察はそれを聞かず、結局、私を無理矢理に車に押し込めました。
留置場に着くと、彼らは私に署名するよう強要しました。私は断固としてそれを拒否しました。彼らはなんの法律的プロセスも経ず、いきなり「判決書」を取り出して、私に一年の労働教養を下すと言いました。4人の警官は「あなたが署名を拒否するならば、私達は代わりにサインする」と言いました。私は「あなた達が言ったことは成立しません。私のことは私の師父が決められます。私は絶対妥協しません」と言いました。私は留置場で4カ月不法に拘置されました。
ある朝、警官は私に衣類の整理をするよう知らせました。私が「どうしてですか」と聞くと、彼らは「あなたを家に送り帰す」と私を騙そうとしました。外に出ると、一台のパトカーが入口で止まっているのを見て、これは労動教養所に行くのだとすぐ分かりました。私は心の中で、旧勢力に道理を話しました。「師父が按排した道を歩むと言ったはずだ。なぜ私を労動教養所に送るのか」私はとても怒りましたが、その後、自分を抑え込みました。「万が一、警官が私を労動教養所に送り込むならば、私はそこで、『転向』させられた修煉者全員を呼び覚まします」と心の中で思いました。
車が発車する瞬間、私は一念を発しました。「車が途中で故障して、行けないようにしよう」結局、なぜか車は20キロあまりの道順を間違って、多くの時間を遅らせました。昼食の時間に間に合わなかったため、途中で、一軒の小さな店でご飯を食べることにしました。1人の警官はかんかんに怒って、むやみに師父についてデタラメなことを言いました。私は彼に言いました。「あなたはデタラメなことを言わないでください、これはあなたによくありません」私は黙って、「彼に現世で直ちに報いがある」と一念を発しました。突然、彼は腹が痛いのか、気分が悪いのか、痛みでご飯も食べられなくなりました。彼は「私達だって、こんなことをしたいわけじゃないよ、私達はただ命令を受けて執行しているだけだ」と独り言を言いました。
車が砂洋労動教養所に到着した時、すでに遅くなっていて、労動教養所の警官はもう仕事が終えていました。警官は私を連れて、身体検査を受けさせに行きました。私は病院に入ると、「病院の邪悪をすべて一掃する」と師父に加持を懇願しました。その時、私はとても強い力を感じて、回りの警官さえも優しくなりました。彼らは私の血圧を測りました。血圧はなんと水銀柱を205cmまで上げました。引き続いて、尿検査をしました。結果をもらう時、医者は少し妙な表情でしたので、結果はきっと彼らがほしいものではないと推測しました。更に、心電図検査に連れて行かれました。階段を上る時、私は心臓に重りがあるように感じ、「これはいい事だ。師父が私を加持してくださっている」と閃きました。結果は医者を大いに驚かせました。私は突発性心臓病を患っていると診断されました。最後、全身写真を取られ、すべての検査を終えました。その後、主治医が私の状況は大変危険だと言っているのが、かすかに聞こえました。それで、私を砂洋労動教養所に送り帰しました。
労動教養所は私を収容したくありませんでした。県の「610」のトップは、なんとしても受け入れて欲しいと、ひっきりなしに電話をかけました。電話をしている彼らは、かんかんに怒って、とても機嫌が悪かったです。そこで、私は絶えず正念を発しました。次第に、彼らの背後の邪悪な要素は解体され、態度も和らぎました。
「人を操って、私を迫害しようとするすべての邪悪な生命と要素を破壊する」と、私は繰り返し発正念をしました。その後、彼らは家族に連絡して、私を迎えに来て欲しいと言いました。
家に帰った後、私は、どうして自分が迫害に遭ったのか、その原因を内に向けて探しました。そして、自分が情をあまりにも重く見すぎて、夫に対する恨みが深すぎることから、今回の苦難を招いたと分かりました。修煉を通して、私の体は急速に回復しました。回りの親戚と友人はみんな、私が法輪功を修煉して、人もすっかり変わったし、体も以前より良くなったと言っています。彼らも私の経験から大法の神秘さと素晴らしさを感じ取ることができました。
最後に、師父の『洪吟二』「哀しむ別れ」をもって、互いに励まし合いましょう。「身は牢屋に臥すれど傷み哀しむ別れ、正念正行して法在り、静かに思う幾多の執着の事を、人心を片付けば悪は自ずから敗る」