【明慧日本2013年7月8日】1999年の春、私たち地元の大法弟子は某大学の中で交流会をしていました。当時、娘は8歳で、彼女は大法弟子が身に付けている法輪バッジを見て、私に「中のものが全部回ってる」と言いました。私たちは『轉法輪』を持ち帰りました。私は娘を連れてグループ学法や煉功に参加しました。グループ学法の時に娘が読む稚い子供の声や学法に対する真剣さに古い修煉者は励まされました。「やはり師父の弟子だね、こんなに純粋だ」
1999年7月21日に、私は娘を連れて煉功場所で煉功しようとしましたが、ドアに鍵が掛かっていて入れませんでした。その時、修煉者が来て、ようやく昨晩、輔導員が連行された事を知りました。私たちはなぜこのような素晴らしい気功を修煉させてくれないのかと不思議に思いました。「そこに行って拘禁された人を釈放させなければ。私たちは何も悪い事をしていない。体を鍛え、良い人になろうとしてるだけなのに!」と言うと、一人が「状況を訴えた人は全員捕まえられる」と言ったので、私は「捕まるとしても状況を訴えるべきよ。勝手に人を捕まえるなんて。少なくとも道理をわきまえるべきでしょ!」と返しました。しかし、娘はこんなに小さいし、酷い目に合わせなくなかったのです。万が一彼女も捕まえられたらどうしましょう? けれども娘は「ママ、酷い目にあうのは怖くない。私も言いに行く。良い人は捕まるべきじゃないもの」という娘の純粋な顔付きを見て、私は彼女がついてくるのを同意しました。
当時、私は本当に何が起こっているのかが分からず、テレビをつければ全て大法を謗る内容でした。娘はこれらを見て、「嘘だ!嘘だ! 全部嘘だ、ママもう見ない!」と怒りました。
1999年夏に迫害が到来した時、形勢は本当に急変し、暗雲が垂れ込め、常に稲光と雷鳴が続き、雹を挟んだ強風や暴雨が地面を叩きました。私と娘は蒼天に向かって「来い! 来い! 何も怖くない!」と大きく叫びました。娘はしばしば私に、「ママ、師父はどこ? 悪い人は師父を探し出せないよね」と聞きました。あの時私たちはどんなに師父が無事であることを知りたかったでしょう。毎日国際ラジオを聴き、そしてついにある日、師父の声が聞こえたとき、私と娘は涙を流しました。
娘が小学校へ通ってる時はいつもクラス委員長で、各方面において優秀であったため、先生方やクラスメートたちは皆彼女が好きでした。ある日のお昼に学校がひけたあとに、娘は私に教えました。学校が彼女に法輪功を批判する文を書いて、午後に開かれる全校集会で発言するよう指定したというのです。彼女は「どうしよう?」と尋ねました。私は「『私は小学生だから、勉強が第一です。政治についてはよく分かりませんし、参与しません。修煉は良い人になるためにしています』と言えばいいのよ。学校も何も言えないわ」と彼女に教えました。娘は「ママ、安心して。本心に逆らうことは言わないし、法輪功が良くないとかはなおさら言わない。クラスに法輪功を修煉している子がいて、私たちは必ず堅持するって言います。クラスメートがでたらめに法輪功が悪いと言ったら、私たちがその人たちを制止させましょう」と言ったそうです。
またある日のお昼、娘は家に着くなり「ママ、学校が午後1時半に校庭に集合して大法を拒絶する署名をするようにという要求があって、休みを取ったら駄目で絶対参加しなければならないの。でも私は絶対署名しない。もうクラスメートに言ってあるから、その子達が私の代わりに休みを取ってくれるから」と言いました。娘の表情を見て、私は悲しさと喜びを同時に持ちました。悲しいのは彼女がこんなに幼いのに、受け入れるべきでないものを引き受けているからです。喜ばしいのは彼女の幼な心にすでに大法と真善忍の根が深く下ろされているからでした。
ある年、学校が始まり、数学のテストを行うことになり、国際数学オリンピックの問題でした。夏休みの全期間、娘はいつも学法と煉功をして、数学の問題は一問も解いていませんでしたが、1000人以上の受験生の中で、娘は20番でした。娘は「ママ、数学の問題は難しくなかったから、すぐに解き終わった。師父は私が真面目に学法したのを見て手助けしてくれたよ」と教えてくれました。
ある日、先生が彼女を職員室へ連れていき、200元を渡したそうです。家族は職場を離れているし、困難な家庭を救済するためだというのです。娘は「私の家は困っていません。このお金は受け取れません」と言ったそうです。「駄目よ。代わりに署名はもうしたし、お金も頂いたのよ。貰わなかったらどうするの?」と先生が言ったそうです。「とにかくこのお金は受け取れません」と娘は断り、結局娘は貰いませんでした。帰ってから彼女は「ママ、私は師父の法を覚えているよ。修煉者だから、こんなものを求めるはずがないでしょう?」と私に言いました。当時私たちの生活は確かに厳しかったのですが、娘はとても倹約家で、お金の無駄使いを一度もしませんでした。
2001年の年末のある日、私は病院で病人の看護をしており、娘はおばあちゃんと家にいました。深夜12時、5人の警察が突然家の中へ押し入り、なんの令状もないまま強引に家財を差し押さえました。娘は当時まだ11歳で、突然来た邪悪な情勢に直面して、最初は老人と子供だけで怯えていましたが、娘はすぐに落ち着きを取り戻し、心の中で師父にお願いしました。「警察に大法の本が入った引き出しを開けさせないでください。師父の講法テープにも触らせないでください」(その時、大法の本は娘の勉強机の引き出しの中にあり、講法テープは机の上にありました)。警察は娘を客間に追い出し、たんすや箱をひっくり返して徹底的に探し始めました。娘は突然「どうして発正念をしないのか?」と思いつき、直ちに強大な正念を発しました。約10分すると、警察は何ら得るものもなく、腹立たしげに帰って行きました。出て行く時に、警察は「邪魔したな」と言ったので、娘は大声で「邪魔したって分かっているのに、悪いことをするんだね!」と返したそうです。
彼らが行った後、老人と子供の二人は耐え切れずに泣き出しました。娘は涙を拭き、おばあちゃんに「今夜起こった事は私が文章に書いて先生とクラスメートたちに伝えるからね」と言いました。そして「おばあちゃん、怖がらないで、わたしたちには師父がいるよ。私が師父に大法の本を守ってくださいとお願いしたから、すぐ目の前にあったのに、あの人たちは見つけられなかったんだよ」と、おばあちゃんを慰めました。
次の日、母は私に「この子は本当にすごいわ。少しも怖がらないなんて、とても度胸がある! 私よりも強いね」と言いました。「師父が勇気をくださったのよ。天の度胸です。怖いわけがない」と私は母に言いました。母と別れた後、私はおさえきれなくなり、ただただ、「師父、ありがとうございます。師父、ありがとうございます」と心の中で唱えるばかりでした。
(続く)