【明慧日本2013年7月11日】去年、私は邪悪の迫害を受けました。正念によって脱出できたものの、その後も時々邪悪に妨害され、また、程度の差こそあれ、ずっと監視されてもいます。常人に真相を伝える時も、他の大法弟子のような良い結果を得られず、自分の最も身近な人、妻や2人の子供でさえも未だ大法のことを認めてくれません。なぜでしょうか? 師父のお教えに従い、内に向けて探して初めて原因を見つけることができ、心性を高めて初めて強い正念をもって邪悪を一掃し、よりよく衆生を救うことができます。
まず、私は三つのことを実行する際に、容易に周辺の環境に影響され、常人の環境であれ、修煉者の環境であれ、その環境の良し悪しに頼って三つのことの実行効果を改善しようとしていました。環境が良ければ歓喜心が起こり、ことを実行する意欲が湧いてきます。いわゆる「環境が良い」と言うのは、中共(中国共産党)の迫害が少なくなったとか、中共が新たな緩い政策を打ち出したとか、あるいは当初、迫害に賛同しない高官達に希望を抱くことなどです。師父はすでにはっきりとおっしゃいました。中共に少しの幻想も持ってはならず、その本性が永遠に良くならないことは決定的です。この点に関して私は少し分かったような気がして、口では中共に幻想を抱いていないと言っていました。
しかし、潜在意識の中では私はまだそうではありませんでした。例えば2010年、同修Aさんは娘の家で学法グループを立ち上げ、私はその一員でした。ある日、Aさんは私達に次のような話をしました。
Aさんの娘婿の兄は高級官僚ですが、最近昇進しました。そして、彼は早速その弟に「あなたの家に学法グループがあるのを聞いた。しかし、私の官位に影響がないよう行動を控えてほしい」と言いました。また「政府の新政策では、一般的に年配の大法弟子をあまり気にしなくてもよく、主に若者を管理するようにとの趣旨で、家にはあまり若い大法弟子を受け入れないように」とも言われました。これを聞いた私は異議を唱えるどころか、自分はすでに60歳を過ぎているので、比較的安全だと思い、内心喜んでいました。
その後、中共の内部では大法弟子への管理においてもさまざまな基準を設けていることを聞き、それを真に受けて、学法グループの2人のメンバーにも伝えました。しかし、事実上、中共が行っている迫害は少しも緩んだことがなく、ただ迫害の手段を絶えず変えているだけでした。たとえ迫害が少なくなったとしても、それはただ、「邪悪の力はすでに足りなくなり」[1]ということです。
この間、市内のある80歳の同修が不当判決を受け、中共が指定した弁護士が言うには、「彼女はもうすでに75歳を超えており、例え刑罰が下されても、それが執行猶予に当たり、刑務所外の服役になります」私は彼女の話を耳にしても、そのような迫害を許してはならないことを指摘せず、かえって年を取れば安全になると思いました。師父は私達に旧勢力の一切の按排を徹底的に否定するよう教えられました。迫害に関する中共の如何なる「政策」でも承認すれば、旧勢力の按排を承認することになり、迫害を承認してしまうことになります。
たとえ環境が緩くなったとしても、「これも宇宙で法を正すことのこの世での反映です」[1] そして大法弟子が絶えず迫害に反対し、真相を伝えてきた結果です。たとえ中共の一部の高官たちが以前にまたは現在、見せる大法に対する良知ある振る舞いがあっても、それは彼らが大法の中で救われることを選んだだけであって、最後になって彼らが救われるかどうかは彼らの最後の振る舞いにもよります。常人社会の如何なる情勢の変化も大法によって決まります。大法弟子は衆生を救い済度する主役であるため、私達は自分の歴史的使命、先史の誓約を果たすことを忘れてはならないのに、どうして常人や常人社会に頼ることができるのでしょうか?
二つ目は、私の環境への依頼心は自分が慈悲でないところにも現れています。情勢が現在良くなったため、真相を伝える時も正々堂々とでき、特に以前、私たちを迫害した610弁公室のメンバー、警察官、裁判官、私たちを監視してきた住民委員会の人たち、そしてスパイなどに真相を伝える時、すっきりします。王立軍、薄熙来の事件後、私が住民委員会に真相を伝えに行った時、彼らに「将来、法輪功に迫害を加えた人たちは全員、一網打尽にされます」と言いました。
その後、私は迫害を受け、すぐ悟りました。自分が真相を伝える時、善の心がなく、反対に、自分の闘争心、怨む心、復讐する心などが相手の復讐する心を引き起こした結果です。私の真相伝えは完全に相手を救う基点になかったからです。
三つ目は、私は師父がいつもおっしゃる大法弟子が最も素晴らしいとのお話を自分の自惚れの資本とし、特に数年前、常人に真相を伝える時、いつも自分を高い位置に置き、他人を軽視し、他人を見くびる傾向がありました。それによって相手の反感を引き起こし、相手を尊重しない私の話はいくら理に適っても、人を説得できませんでした。私は現在の中国人たちの貴さ、彼らの大多数は天から降りてきた高次元の生命であることを忘れ、彼らが救われれば、彼らの背後にいる無量の衆生も救われることを忘れていました。
自分の心が歪み、宇宙の特性に同化していないため、自分の発言にも大法の力が欠け、どうして衆生を救えるのでしょうか? 自分がしっかり修煉していないため、家族にも見くびられています。
以上、自分の人心を掘り出すことができたのは、繰り返し師父の『二十年説法』を読んだからです。師父はおっしゃいました。「特に形成された観念、形成された思考様式によって、なかなか無意識のうちに表れた人心に気づくことができません。気づくことができなければ、どのように放下するのでしょうか? 特に中国という環境で、邪党は中国の伝統文化を打ち壊し、邪党のもの、いわゆる党文化を作りました。党文化で形成された思考様式をもって宇宙の真理を認識するのは困難なことであり、場合によっては、一部の良くない考えと行為は世間の普遍的価値観と抵触していると認識することさえできません」[1]
つまり、多くの人心は長期にわたり形成された習慣的観念で、無意識のうちに現れ、気づくのは非常に難しく、真剣に探さなければ中々発見できません。また、数十年間党文化を注ぎ込まれて形成された「偽、悪、闘」、そして「驕、狂」などの心も脳に深く刻み込まれているので、大法の「真・善・忍」をもって細かく探さなければ、本当に見つけるのが難しいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『二十年説法』