文/中国の大法弟子
【明慧ネット2013年7月16日】先日、私が油断していたため、二度も旧勢力に隙に乗じられました。幸い、直ちに内に向けて探し、正念を発して、状態を変えることができました。その事を書き出して、同修と互いに励まし合いたいと思います。
ある日、勤務中に、手が空いていたため、ふらりと隣の部署に行きました。その時、その事務室には男性の同僚が一人しかいませんでした。私は顔を出したら、すぐ自分の部署に戻るつもりでしたが、その男性の同僚が私を引き止め、世間話をしようとしました。この同僚は私より10歳ぐらい年上で、彼は自分のプライベートな話をしました。病気の奥さんが彼に不満を抱いたことに大変悩んでいるようでした。雑談の中で、夫婦の不仲の本当の原因は彼が外に好きな人がいるからだと分かりました。私は「もっと奥さんのために考えるべきです」と常人の理で彼を説得し、慰めました。退社の時、彼とまた出会って、彼は私に「来世、もし私たち二人が一緒に居られれば、私はたいへん満足です、あなたのためなら、私はなんでもしてあげられます」と言いました。私は笑ってごまかし、心の中で「私は来世なんか要りません!」と思いました。しかし、家に帰った後に、なんと私は彼の言葉を思い出して、心の中で浮き浮きしていたのです。
そして、夜の発正念の時間になっても起きられませんでした。朝の煉功も体がだるくて力が入らず、無理して煉功をしましたが、法を学ぶことができず、眠くて仕方ありませんでした。午前中になって、頭がスッキリした後、私は内に向けて探しました。一体、何がこのような状態を招いたでしょうか。探して見て大変驚きました。自分にはとても強い情、色、欲に対する執着があり、また「正念のない善」も大きな漏れであることが分かりました。つまり、自分の「理性のない善」が情魔に隙に乗じられ、旧勢力は情、色、欲の不潔な物を用いて、正常に学法や煉功ができないように私を妨害し、迫害しようとしました。この男性の同僚は今まで私に対してずっと曖昧な感情を持っていて、私は一度も心を動かしたことはありませんでした。しかし、この度は彼からの信頼と称賛を多く受け入れ、彼のお世辞の言葉を何回も味わっていました。自分にこのような漏れがあるから、旧勢力に隙に乗じられたのでした。
見つけた後に、私は直ちに発正念をしました。まず、「理性のない善」という偽りの我、「人に称賛して欲しい、人のおだてに乗りやすい」という偽りの我、「他人の甘い言葉を聞きたい」という偽りの我、「情、色、欲に執着する」という偽りの我、それらを一掃して、それから、これらの偽りの我を利用して、私を妨害、迫害しようとするすべての邪悪な生命と要素を一掃しました。何回か発正念をして、状態はやっと正常に戻りました。考えて見れば、旧勢力は本当に虎視眈々とねらっており、我々に少しでも漏れがあれば、すぐにその隙に乗じて来るのです。
それから数日後の週末に、私は従妹の結婚式に参列しました。従妹は以前、芸術関係の学校に入っていました。彼女の二人の友人が婚礼に興を添えて歌を歌いました。私は彼らの歌に完全に聞き惚れて、大変素晴らしいと思いました。彼らの歌声に魅了された私は、食事をすることすら忘れてしまい、心の中で、彼らは有名歌手に匹敵するほど上手だと思い、心の中であの男性歌手に惚れてしまったような感じでした。ところが、結婚式に参加したその日の午後から夜にかけて、私の頭の中に度々淫乱なシーンとよくない念が現れました。私は「ふだん自分の空間場をすべてきれいにしているのに、なぜこんなものがあるのか?!」と不思議に思いました。
自分を少し抑えて、深く考えませんでした。夜中の12時になったら、また数日前の状態が出ました。頭がスッキリした後、私は直ちに内に向けて探しました。私はラブソングへの潜在的な執着心、情、色、欲に対する隠れた執着心を見つけました。これらの固執は再度邪悪に利用され、私に不良な情報を送り込み、私の執着を大きくし、それを口実にして、再び私を妨害し、迫害しようとしました。私は急いで正念を発して、自分の執着と邪悪な要素を一掃して、正常に戻しました。
連続して続いた二度の妨害に私は驚きました。自分は日常生活の中で正念を持っていないため、旧勢力が度々隙に乗じ、最終的に、師父がおっしゃった三つのことができないように妨害しようとしました。最初のことについて、もし私が正念を持っていれば、あの男性の同僚が普段から私に特別な感情を持っているのを知っているし、彼との雑談を避けるべきでした。そうすれば、彼も私に対して一歩踏み込んだ告白をすることもなく、それによって私の人心を引き起こすこともなかったはずです。次の事の場合、もし私が正念を持ってラブソングにのめり込まないように注意すれば、自分の人心を引き起こすこともないはずです。この二つの事はすべて自分がしっかりしていなかったため、日常生活の中で正念を持って人と事に対処することができず、それによって旧勢力に隙に乗じられ、妨害と迫害をされました。
もちろん問題が出てきたのはよい事でした。私は自分のまだ取り除いていない執着心を見つけ、それらをきれいさっぱり取り除きました。自分の教訓を書き出し、それを通して、同修達にも日常生活と仕事の中で常に警戒心を持っていただきたいと思います。