【明慧日本2013年8月15日】私は明慧編集部の「明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会原稿募集」を見た時、内心から言い表すことのできない感動が湧きました。以前は明慧ネットにどう入るか分からなかったため、私は明慧ネットでこんなに盛大な法会に一度も参加したことがなく、今回が初めての投稿です。今回は絶対に原稿を書こう! と思いました。
私は18歳の青年弟子です。年齢は若いのですが、これでも「老弟子」です。小さい時から大法の素晴らしさを感じつつ生活してきました。この道を歩んで大法を堅く信じて疑いが全くなかったのですが、常人の生活の中で一部の良くない観念と習慣を持ち、多くの挫折にも遭遇しました。私のように精進せず意気地のない弟子でも、師父はそれでもまだ慈悲深く加護してくださいました。私に宇宙の真理を学ぶ機会をくださり、大法の中で法を正すことの荘厳さと神聖さを感じる機会をくださいました。幾年にもわたる茫漠と彷徨を経て、ようやく今世で師父の済度を得られることは、宇宙で最も光栄なことです! 天上の神まで羨ましがることなのです! だから、私たちは絶対に機縁を掴み、法を正す師父に従っていくのです。師父は「大法をゆるぎなく修めて師にしっかりと付いていく」ようにと説かれました。私たちは怠ってはなりません。今日、私は自分の経歴を同修たちと交流しますが、次元に限りがあるため、妥当でないところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。
一、法を得るために生まれ、永遠の生命を実証する
私は1995年に生まれました。生まれる前にちょっとしたエピソードがあり、私がこの世に来て法を得ることを物語っていました。その年、村にはたくさんの第二子を抱えた妊婦さんたちが中国共産党の「計画生育」のため県立病院で堕胎を強行されました。私の母もその中の一人でした。母が言うには、当時病院のトイレにはたくさんの死んだ胎児が捨てられていたそうです。お母さんたちは堕胎注射を受けさせられ、悲哀の中でただ悲劇を待つしかありませんでした。数日もせずして、多くのお母さんたちは我が子を失いました。しかし、奇妙なことに唯一私の母には些かの変化もありませんでした。しかも、母はしばしば次のような夢を見るのです。一人のお爺さんが捨てられた子供たちが入ったワゴンを引いていたが、あいにく一人の子が落ちて母の脚を離そうとせず、さらに母と遊びだしたのです。今思えば、それは間違いなく私だったのです。母が病院で検査を受けると、医者は「胎児は健康です。早くここを離れてください、でなければまた一人の子供が迫害に遭います!」と言いました。医者の説得により、父は母を連れて他の県へ逃れ、そこの小さな病院で私を生みました。
当時、母はまだ法を得てないにもかかわらず、私たちの生命は何度生まれ変わっても師父が見守ってくださり、保護してくださっていたのです。師父は私を加護してくださっていたのです! 私がこの世に来たのは、法を得るためでした!
二、美しい幼年時代、大法の中で永久不変に
一人の無邪気な子供が、母について大法を学んだ時から、この生命は佛光が普く照らす中で不滅でした。母は私が生まれて幾年も経たないうちに大法と縁を結び、修煉の道を歩み始めました。私は大法の小弟子となり、母と一緒に学法し、法を広めました。母によると、当時法会が開かれると必ず私を連れて行き、私は座禅して、大法の素晴らしさと穏和の中に浸っていたそうです。今思えば、それは何よりも幸せなことだったのです。夜ベッドにもぐって、就寝前、母はいつも私と一緒に『洪吟』を覚えました。「圓満となって佛果を得る 苦を嘗めるをもって楽とす 身を労するを苦と算せず 心を修するは最も過ぎ難し 関という関は全て闖えるべし いたる処すべて是魔 百の苦一斉に降る 其の如何に活くかを看る 世上の苦に堪え得れば 世を出ずれば是仏陀」と覚えながら、だんだん私は甘美な夢境へと入るのでした。
幼少時、幾多の致命的な災難に遭いながらも、師父の保護の下で難を抜け出し、新たな人生を再び得ました。私はかつて中毒、溺死、転倒などを経験しましたが、安全にここまで歩んできました。師父に感謝いたします。師父が繰り返し私を助けてくださり、大法が生命の奇跡と不滅を実証したのです。尽くせぬ感激はただ幾千もの感涙と化すしかないのです。
1999年「7.20」の後、私はまだ幼かったのですが、邪悪は天地を覆い隠す勢いで大法弟子に対する迫害を始め、破廉恥にも嘘を捏造し衆生を騙しました。多くの人が大法を憎み恨み始め、ひいては一部の学習者は恐怖ゆえに修煉の道へ進むことができませんでした。私と母は依然として大法を堅信し、学習者たちと一緒に協力して真相を伝えました。確かあの当時、私はノートを買ってきて、一枚一枚切り離して、「法輪大法は素晴らしい」のスローガンを書き、他の小弟子たちとともに電柱に貼り付けました。私たちはそれらを街の人々に見せることができて、とても嬉しかったのです。明るい月が空に掛かる夜に、私は全身にいっぱいの資料を抱え、師父の像の前で合掌をしてから資料を配りに家を出ました。時に人に見つかる恐れも抱きましたが、私は大法と師父の洪恩を思い出し、世人は欺き騙されているのだと思うと、恐怖も消えました。私は大法弟子で、師父の弟子だから、師父が保護してくださり、大法が私の生命を不滅にしたのです!
三、大法が私の知恵を開く
小学生の時から、私の成績はいつも優秀でした。それは、私が師父の法を学んだからであり、師父が私にどうやって善良な人になるかを教えてくださり、私の知恵を開いてくださったからです。しかし、常人の中に身を置いていることは、名利心も起きてしまい大変です。中学の時は中間試験のために、毎日競争のように勉強して、毎度の月末試験や模擬試験の点数と順位で過度に争い、時には他人を嫉妬し、強烈な執着心から力尽き、大法のことはほとんど何もやっていませんでした。中間試験が終わったら、後悔がひどく残りました。点数が出た後、私は市内の重要な高校に合格しました。私は分かっていました。どこに合格しても、それは全て師父が手配しておられ、そこには私が救うべき衆生がいるかもしれません。どこに行っても、自分の使命を忘れず、師父が私たち大法弟子に要求された三つのことを私はしっかりやりました。
小、中学の時、私はパソコンやインターネットに接触したことがなく、ずぶの素人でした。ある年の休暇時に兄がパソコンを買い、私は起動から終了まで一から学び、次第にマスターしました。パソコンから大法に関する内容を検索しようとしましたが、何も見つからず、ちんぷんかんぷんの私は一日中パソコンの前で検索を続けました。時々、よく分からないまま、適当にクリックしたら、大法に関する内容を見つけて、私は嬉しくてたまりませんでした。そのサイトでネット封鎖を突破するソフトウェアもダウンロードできたのですが、私はやり方を知らないうえ、やることを躊躇しました。そして私は一度もそのソフトウェアをクリックしませんでした。
ついにある日、私は勇気を振り絞って試してみました。ダウンロードをしてダブルクリックで開いたら、動態サイトのホームページが自動的に跳び出しました。「神韻」、『九評』などを見ることができ、私は嬉しくてしかたがありませんでした。パソコンから見つけた大法の内容なので、私のようなネットに関してさっぱり分からない人間にとっては、想像もつかないようなことでした。再び模索したら、明慧ネットが開きました。法輪や蓮花、師父が山中で世間を静観される写真を見て、感動しました。これが明慧ネットなのか、これが私たち大法弟子のサイトなのか! と思いました。それからは、ソフトウェアを通じてたくさんの有用なものをダウンロードして、私たちの修煉に大きな便益をもたらしました。
パソコンに関してずぶの素人の私でも、なぜこんなに多くのものをマスターできたのでしょうか? 師父が手伝ってくださったからです! 師父が弟子の大法に対する熱愛の心を見られて、私の知恵を開いてくださり、弟子に大法を堅く修煉するよう激励してくださったのです。師父が私に全てをくださいました。
四、進学しても大法の道を忘れず
学校で体育の時間にサッカーをしていた時、顔を上げるとサッカーボールが私の頭部を襲って来て、ガーンと激突しました。私の頭は「ブン」と衝撃を受けて、とても痛かったのです。この時、頭に浮かんだのは二つの選択で、一つは痛くてたまらないこと。もう一つは大丈夫、人のせいにしてはいけない、わざとではないのだからということでした。当然、私は後者を選びました。善悪は一念の違いですから、目を開くと、たくさんのクラスメートに囲まれていて、一人が驚きの表情で私を見て「大丈夫? わざとじゃないんだけど……」と言いました。私は笑って「大丈夫、サッカーを続けよう」と言いました。これはまだに師父が教えられたことで、師父の法が私にこんな広い度量を持たせてくださったのです。学校でも師父の法を心にもち、宇宙の特性「真、善、忍」に則って要求すべきです。時々刻々、自分が修煉者であることを覚えておくのです。
高校生の時、私はしょっちゅう家に帰ることができず、学校内で学法の環境がないことに苦悩していました。後に私はよい考えを思い付き、師父の講法録音と大法の歌を携帯のメモリーに入れて学校に持っていきました。夜はとても静かで、私はベットに横たわり、イヤホンをつけて法を聴きながら眠ってしまいます。これは師父に対して不敬であるのは分かりますが、師父は慈悲深く、依然として私を加護してくださいました。ある時、私のイヤホンが壊れ、聴けなくなりました。私はとても悩み、しかもどこで買えばよいか知りませんでした。私はイヤホンに向かって「壊れちゃダメだ! 君は神聖な機械なんだから!」と言い、心の中で「師父! イヤホンの修理を手伝ってください、学法したいのです」とお願いしました。イヤホンを簡単に開けてちょっといじって、また携帯に差し込んだら、なんと聴けるようになりました。私は興奮しました。師父の助けに感謝しきれません。師父の洪大な恵みは私に学法の機会をくださったのです!
学校で、私たち青少年の弟子は波に流されてはいけませんし、常人の中に堕ちてはいけません。どんな誘惑や挫折に面しても、絶対に師父の法を忘れてはなりません。私たちは大法の要求通りにやり、自分の使命と責任を忘れてはならず、自分が大法弟子であることを忘れてはなりません! 通学の道でも大法の素晴らしさを実証できます。通学の道でも、大法の道をきちんと歩みましょう。
(続く)