文/河北省の大法弟子
【明慧日本2013年8月17日】私は今年35歳になる大法弟子で、家庭主婦です。1999年に大法を修煉して以来、私はすでに14年に及ぶ修煉過程を経てきました。結婚から出産までの私の日々の生活は平坦で、簡単なものでした。しかし、この平坦な生活の中で、私は絶えず学法し、ますます自分の修煉の信念を固め、神に向かう道程をよりしっかりと歩めるようになりました。
一、私は中共に迫害されるためでなく、修煉のために生まれた
私が最初に『轉法輪』に接したのは1997年で、当時19歳だった私は、北京でアルバイトをしていました。両親がすでに修煉していたため、母親は私に『轉法輪』を持たせ、時間があれば読むようにと言いました。しかし、私は読みませんでした。昔から私は毎月の酷い生理痛で横たわってベッドの上で転げ回り、アルバイトをしに行ってから治りました。後で分かったのですが、『轉法輪』を携帯したお陰で、師父は私が修煉する前から私に目を掛けてくださり、体を綺麗にして下さいました。思い起こせば後悔でなりませんが、なぜその時、本を読もうとしなかったのでしょうか? その時間はどれだけ貴重だったでしょう。当時、北京の公園に多くの煉功場所がありましたが、私は一回も参加しませんでした。1999年の春、お正月が過ぎてからアルバイトを止めようと思って、やっと正式に修煉を始めました。私は両親と一緒に学法や煉功をし、時には両親と一緒に大法を広めにも行きました。
私は大法を得て数カ月しか経たないうちに、迫害が始まりました。当時の迫害は天地を覆し、空気中に邪悪が充満し、私はじっくり考えて見ました。この法は人々に良い人になることを教え、道徳高尚な更に良い人になることを教え、無私無我で、他人を優先し、自分を最後に考える覚者になることを教えるこれだけ素晴らしい法なのに、中共は人々が学ぶことを禁じ、学ぶ人を捕まえ、労働教養をさせ、刑罰を下し、あまりにも悪いことをしています。当時、私はただ単純に彼らが大法を知らなかったからだと思いました。私が学びたければ誰も私を阻止できず、学法や修煉がどれだけ素晴らしいことか! 私は悪いことをしていません。そう思って、私はその恐ろしい環境の中でも諦めず、ずっと自分の信念を堅持しました。
絶えず学法することを通じて私は分かったのですが、私達は使命を持っている大法弟子で、自分を修める上で、法を実証し、嘘偽りに毒害された世の人々をも救わなければなりません。
私にはこのような一念がありました。私は修煉のために生まれて来たのであり、法を正す師に手伝うために来ており、邪悪に迫害されるためではありません。牢獄の苦難は私とは無縁で、正しい行い、正しい心、正しい念を持っていれば邪悪は私には何もできません。私の全ては師父に委ねており、誰も私をコントロールすることはできず、私の師父は誰よりも優れて、邪悪を恐れる必要はありません。
こうして、私は1999年という最も邪悪の恐怖が満ちた環境の中で大法の修煉を堅持し、師父について家に帰ることを決心しました。同時に、私は親戚や友達に大法の真相を伝え、天安門焼身自殺の真相をも伝えました。
1999年から2002年の間、私は師父や法に対する「信」一つを修めました。もちろんこの「信」には違う次元がありますが、修めれば修めるほどその「信」が強くなり、精進しなければ、その「信」が弱まり、修煉は怠ってはならないことを知りました。
二、目の前で子供が病業の関を乗り越える時
2003年の旧正月が過ぎた2月頃、私は結婚して、新たな生活が始まり、修煉においても新しい突破がありました。翌年の三月に私は男児を出産し、彼に「正心」と名づけました。今後の修煉において常に正しい念を持ち、正しい行いをし、自分の良くない心を正し、人心を取り除いて行くことを願いました。
子供はまだお腹の中に居るときから私と一緒に学法や煉功をし、大法弟子が創作した音楽を聴いていました。私は彼が大法小弟子であることをはっきりと分かり、普段よく彼に「洪吟」を暗唱して聞かせ、大法の歌を歌ってあげました。私自身は病業の関が少なかったのです。
印象深かったのは、子供は何回も病業の関を経験しました。私達は幼い子供に情があるため、子供が病気に罹ると本当に煩わしく感じ、関を乗り越えるとき心が動揺しやすくなります。しかし、私は子供の身に起きた数回の出来事から大法の威力を実感し、ますます自分が歩んでいる道は最も正しく最も良い道だと確信を得ました。
子供は1歳のとき、ある日熱を出して、体が非常に熱かったのです。私は師父の教え、「一人が法を得れば、全家族が受益します」(「『轉法輪法解』「済南での講法 質疑応答」)、「佛光は普く照らし、礼儀は圓明となる」(『洪吟』「容法」)を固く信じ、子供は大法小弟子なので、師父は必ず彼を見守っておられると思いました。私は師父の説法を彼に聞かせ、『轉法輪』を読んであげて、『洪吟』を暗唱し、彼のために発正念をし、横になっても絶えず正法の口訣を唱え、結局子供は注射を受けず、薬を飲まずに治りました。私は師父のこの教えを覚えていました。「つまり、もしあなたが固い決意を持つ大法修煉者であれば、人はそれぞれ運命があるということを知っているはずです。問題が起きるべきではない子供であれば、安易に問題を起こさせることはありません」(『オーストラリア法会での説法』)
一度、子供は「おたふくかぜ」を患い、顎あたりは非常に高く腫れあがり、お婆さん(法輪功を修煉していない)はどうしても病院へ連れて行こうとしましたが、私は心を固くし、こう思いました。「行く必要はありません。師父が子供を見守っておられます。もし子供の症状が良くなればあなた達は法輪大法が真の佛法であることを信じるべきです」後で気づいたのですが、私がイライラすれば、子供の腫れも大きくなり、心が穏やかになれば子供の状態も良くなっていました。大法は私達の人心を真っ直ぐ指すもので、どんなことも私達の心にかかっています。
子供は満3歳になってから幼稚園に通い始めました。幼稚園の先生たちは誰もが知っていますが、他の園児たちはこの病気、あの病気でよく休みますが、わが「正心」は幼稚園を通う三年間、一回も病気で幼稚園を休んだことがありませんでした。幼稚園の先生たちの大多数も大法の真相を知り、三退をしました。
また、ある日の夕方、ちょうど私は6時の正念を発しているとき、一人で遊んでいる息子はご飯を炊いている鍋の蓋を開け、蓋についている水蒸気は垂れて、彼の足を火傷にさせてしまいました。子供は泣き出して、私も慌ててしまいました。美味しいものを買ってあげると言っても聞かず、ずっと痛い、痛いと叫ぶ子供に、私は言いました。「それなら、師父の説法を聞かせましょうか」。私は彼をベッドの上に乗せ、録音機を取り出し、カセットテープを入れるや否や、子供は両足をパタパタさせながら、「ママ、痛くなくなった」と言いました。このとき、私は両手を堅く握り、心の中で繰り返し言いました。「師父、有難うございます。師父、有難うございます」
息子の「正心」を通じで私は何回も関を経験しました。その都度、師父のこの説法を思い出していました。「肉親や親友が苦痛に見舞われた時、心が動じるかどうか」(『轉法輪』)時には子供の苦しむ姿を目にし、私は焦りだしますが、しかし師父は私を見守っており、恐れる必要はなく、法輪大法を信じ、師父と法を固く信じれば乗り越えられない関はないと思いました。
息子は今年で9歳ですが、今までずっと健康で、病気に見舞われたことはなく、この全ては師父から授かったものだと私は思っています。
(続く)