文/中国の大法弟子
修煉を始める前、夫と性格が合わなくて離婚しました。お金がなくて裁判官に賄賂を送ることができなかったため、貯金、食料、生活用具など、すべて夫の物という判決を下され、12歳の子供の扶養義務だけが私に与えられました。
あの時、私の身体は病気だらけで、貧血、頭痛、不眠、五十肩炎、鼻炎、腿痛、婦人病などに加え、生活のプレッシャー、心の怨恨により、精神的に限界になりましたが、子供を捨てたくなく、我慢してこの世を離れませんでした。生活のために、病気の身体を持って出稼ぎに行きました。尽きない苦痛の中で日々を過ごしました。
しかし、やはり身体がだめで、家に戻りました。1998年、幸運にも『転法輪』に出会って一気に拝読し、修煉を始めました。
しばらくしてから、試練がやってきました。村、卿の幹部が農業税を徴収しにきた時のことでした。私はずっと前から田を全部他人に貸し、耕作してもらっていました。私達の農村のやり方は、耕作しているその人が税を納めるのです。よって、農業税を納めるなんて私は拒否しました。幹部に「法律で定められているぞ」と言われましたが、私は「法律ですか。私を一文無しにしたのはまさにこの法律でした・・・」と泣きながら論争しました。その時は修煉を始めたばかりで、心性はまだ常人の次元のままでした。その後、煉功場で同修と交流して、私はどうすればいいのかと同修に聞きました。同修は真の大法弟子になりたいかどうかの選択だと答えました。
同修の回答を聞いた私は、非常に焦って、師父の弟子になれないことを心配しました。よって、私は歯を食いしばって我慢して農業税を納めました。引き続き学法し、心性を修め、ますます身体が健康になり、なぜより良い人間にならなければならないのか分かりました。心性が高まった私は、それからの農業税を毎年一気に納めました。「みんな法輪功修煉者のように真面目であれば、政府役人の仕事がなくなる!」と人々は言っています。
2002年、息子は電気工学を習っていました。息子の親方と近所の人の間には以前トラブルがあり、ある日息子が怪我をさせられたので、両方ともたくさんの人を呼んできて大喧嘩しようとしました。
私は話を聞いて、すぐに病院に駆けつけ、この大喧嘩を止めようとしました。私は息子の親方に「事件が既に発生したからには、いずれにせよ、トラブルを拡大させるのではなく、縮小させるべきです。復讐を繰り返して何になりますか。いつ終わるのですか。どうしても喧嘩をやめてほしいです」と勧めました。また、息子に「本当に調査の人が来たら、事実を言ってね。こっちも痛い、あっちも痛いって嘘を絶対言ってはだめだよ」と教えました。結局、喧嘩は再び起こらず事件は収束しました。
息子は病院での観察期間が終わり、命の危険はないと分かりました。「すぐに退院して。医療費は自分で払いましょう」と私は息子に勧めました。息子は「人にこんなに怪我をさせられたのに、自分で医療費を払うなんて、バカじゃないか」と私に怒って詰問しました。私は大法の法理「一人一人がみんな自分の心性から探すようにし、うまくいかなかった場合は、自分に原因を探し、次回はうまくいくように努力し、何をしても人のことをまず考えるようにします」(『轉法輪』)を引用して、そして「間違ったのは彼らだけれど、しかし、もしあなたは平和で、和やかに相手と交渉し、相手を刺激しなければ、今回のトラブルは起きなかったでしょう。今回の喧嘩は私達にも責任がある。責任があるからには、この責任を取るべきです。警察に依頼して処理してもらうなら、その高額な費用は払えるのですか」と息子に説得を続けました。息子は長く考えてから、やっと医療費用を自分で負担することに同意しました。「今後、何かにぶつかったら、僕も忍ぼう」と話しました。
ある日、父は車ではねられ、病院に運ばれました。退院する時に相手が500元の栄養費をくれようとしましたが、私のアドバイスを受けた父はそのお金を受け取りませんでした。
なぜ私はこれほど厳しく自分を律しなければならないのでしょうか。私は法輪大法の弟子であって、「真善忍」を修煉しています。より良い人間になることは、私達修煉者への基本的な要求です。1999年「7.20」から、中共(中国共産党)は法輪功を誹謗中傷するため、たくさんの虚言を作り、宣伝し、全世界の人々を騙しました。よって、私は自分の実際の行動で共産党の虚言を暴かなければなりません。