【日本明慧2013年9月1日】『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』の中で、師父が「修煉について、皆さんは分かっていませんが、旧勢力はほかでもなく、精進しないだめな人をふるい落とそうとしています」と言及され、私に大いにショックを与えました。私は1997年に大法修煉に加わりました。1999年に迫害が始まって以来、一部の精進しない修煉者が修煉から遠ざかって行くのを目にしました。自分自身の修煉も精進から怠慢、そして目覚める状態に移り変わりました。
2000年以後、多くの修煉者は最初の厳しい形勢を経験し、表に出て法を実証しました。形勢の最も厳しい2001年から2004年の間、数多くの修煉者は断固として歩むことができましたが、環境がゆるくなっていくにつれ、大勢の修煉者、私自身も含めて、自分をゆるがせにし始めて、修煉当初のように、勇猛精進することができなくなりました。回り道をした修煉者は冷静さを取り戻した後、人心が多くなり、正法修煉に戻りましたが、人心に引きずられて、ますます修煉をおろそかにし、ひいては、私達はすでに法を実証し、沢山の人を救ってきたので、もうそろそろいいでしょうと思う修煉者も少なくありません。このように、徐々に修煉をおろそかにするのです。
私は初め、このことについて気にしませんでした。時間に対する執着があったため、法を正す時間は残りわずかで、仮に少しばかり怠けても構わないと考えていました。しかし、師父の説法に私の心は深く打たれました。実は振り返ってまとめてみますと、旧勢力が一人の修煉者を破壊することは極めて難しいのです。しかし、旧勢力は私たちを妨害して、精進できなくすることができるのです。先に話したように、旧勢力は私たちの人心を徐々に増し、心性をだんだん落とし、大きな過ちを犯させ、あるいは重い病業状態に陥れるのです。通常、精進できる時なら、この病業状態はなんでもありませんが、しかし、この人心の煩雑な現状におかれてしまうと、正念を用いて病業に直面することができず、正念を用いて旧勢力の按排に直面することができず、正念を用いて師父が按排してくださった道を歩むことができず、結局恐れる心が芽生えて、最終的に旧勢力に死に至るまで迫害されます。私たちの周りにこのような例が続発していることは確かです。
私が今悟ったことは、旧勢力は常人の社会に対し、「十軒の家の中に一軒しか残さない」のような態度を示しているだけではなく、大法弟子に対しても、精進しない、あるいは自分たちが見下げた大法弟子を全員淘汰するつもりです。この中で最も重要かつ隠蔽された手口は、私たちを妨害し、徐々に精進できなくし、最後に一歩ずつ淘汰させるものなのです。多くの修煉者は険悪な迫害に対し、十分に備えていますが、このような迫害、淘汰形式に対し、注意を払うことに欠けていて、判別することすらできていません。
実は私たちは一点、はっきり認識しなければならないことがあります、このすべては師父の欲することではないということです。険悪な迫害にしても、徐々に精進させなくすることにしても、これらのいわゆる試練はすべて師父の欲するものではありません、これは旧宇宙の理です。師父が望まれていることは、私たちが無条件に大法へ同化して、衆生を救い済度すると同時に、自分の世界を円満させることです。
自分という観点から見ますと、漏れがあったため旧勢力に弱点を握られたのであって、精進できないように妨害できたのも、まず三つのことに対して怠慢があったからです。しかし、法を正す時期の大法弟子にとって、学法、発正念、真相を伝える、この三つのことの実行は互いに繋がり合い、欠けてはならないことです。法を良く学ばなければ、発正念と真相を伝えることに影響を及ぼします。発正念を良く行わなければ、学法と真相を伝えることに大きな妨害が表れます。真相を伝えず、衆生を救わなければ、正法時期の大法弟子ではありません。ならば、法を学んでも身に入りません、収穫が無ければ、精進することも無理なのです。多くの時、私たちは三つのことの内、どれか一つだけでも怠れば、妨害が直ちにやってきます。私自身もこのような体験がありました、しばらくの間、法を正すことは終わりに近づき、妨害は少なくなり、正念を発しなくてもよいと思う時期がありました。この一念が生じた結果、長い間、正念を発することを思い出せませんでした。結局、妨害がどんどん増え、目が覚めた時に、やっと自分の過ちに気付きました。
それから、環境の影響も大きいのです。現在、中国国内の社会環境は確かに想像もできないほどの境地まで陥ってしまいました。社会の混乱、道徳の低下、業力は天のごとく深いのです。旧勢力がこのような環境を按排したのも、大法弟子に厳しい試練を与えるためです。この社会はこれほど乱れていて、私たちの修煉環境がどれほど重要なのかは明らかであり、もし比較的良い学法グループの中にいれば問題は無いのですが。時には、一日中常人の中に浸かっている時があります、ですから時々刻々、自分は修煉者だと言う再認識をしなければなりません、さもなければ影響を受け、常人の心を起こしてしまい、そして怠慢に陥ってしまいます。
とにかく、私たちは前からずっと、旧勢力が迫害と言う手口を使って、彼らが認めたくない大法弟子を淘汰することを分かっていました。しかし今日、私たちが更にはっきりと知っておかなければならないことは、旧勢力はさまざまな要素を按排して、私たちの精進を妨害することも、大法弟子を淘汰する主要な手段なのです。このことはすべての大法弟子に重視されなければなりません。正法修煉は今日まで至って、すべての大法弟子は大変苦労してきました、私たちは師父が按排してくださった道をはっきりと認識し、それと同時に、旧勢力の妨害もしっかりと判別して、自分の考えからそれらを排除し、自分を良く修め、衆生を救い済度して、円満成就して、師父と共に帰りましょう。