【明慧日本2013年9月27日】北京市海淀区の法輪功修煉者・李津鵬さんは人々に法輪功が迫害されている真相を伝えたという理由で、2回実刑判決を受け、合わせて11年間刑務所に拘禁された。刑務所での迫害によって李さんは心身ともに深刻な打撃を受け、肝硬変の症状が現れ、両眼はほとんど失明に近い状態になった。半年前、李さんは出所したが、健康状態が悪化する一方で、先月15日に無実の罪が晴れないまま、死亡した。享年47歳。
李津鵬さん
李さんは大学卒業後、北京市文化財局に就職した。その後転身し、冷凍会社を設立した。李さんは幼いころから病気がちで、 「薬のかご」(たくさんの薬を飲むこと)と呼ばれた。しかし、1996年に法輪功と出会い、法輪功を修煉してから、体は徐々に健康状態が回復した。
李さんはメガネをかけ、上品で、話し声は優しく、いつも温和な笑顔で人に接し、善良で心が広い人だった。李さんはいつも、法輪功の教えの「真・善・忍」に従って自分に要求し、家では親孝行、会社では従業員の生活上のことも配慮し、仕事中は熱心に指導し、部下に「お兄さん」とか「先生」と慕われていた。不当な実刑判決を受けた李さんが2006年10月、刑務所から解放される日、多くの友人達が車で北京市内から刑務所へ出迎えに行き、人々を感動させた。
しかし、1999年7.20、中共(中国共産党)が法輪功への弾圧を開始して以降、このように高尚で正義感があり、事業にも成功した李さんの人生は、残酷に変えられた、当局に繰り返し迫害され、家庭、事業、心身に深刻な打撃を受けた。
1999年7月、李さんは法輪功の無実を訴えるために上京したが、以後、地元の派出所の警官に迫害されるようになり、何度も拘束された。2000年6月、李さんは紫竹院公園で法輪功の功法を練習しただけで、15日間拘留された。
拷問の実演:スタンガンで電気ショックを加えられる
2000年10月20日、海淀区と豊台区の警察は「法輪功の資料を印刷した」という理由で李さんの身柄を拘束した。その後、李さんは懲役6年の実刑判決を言い渡され、茶淀刑務所に収容された。
刑務所で警官はさまざまな手段で、李さんを「転向」させようとした。直立不動の姿勢で立たされ、睡眠を剥奪され、スタンガンで電気ショックを加えられ、多くの人に殴られるなどの迫害を受けた。ある日、李さんは警官の指示を受けた受刑者に殴られ、壁に頭をぶつけられ、頭部に広範囲に鬱血ができた。その後、李さんは肝硬変の症状、両眼に網膜剥離の症状が現れた。
2006年10月、刑務所から解放された李さんはとても老けて見えた。帰宅後も、地元の警察は李さんに嫌がらせをしたり、精神的に圧力をかけたりした。
2007年12月16日、海淀区のあるマンションの8階の共用ベランダに「天が中共を滅ぼす、脱党すれば平安になる」と書かれた横断幕が現れた。この横断幕による社会の反響は大きく、中共当局のパニックを引き起こした。当局は直ちに「重大事件」として、海淀区公安支局と万寿寺派出所に「即解決、厳しく処罰せよ」と指示した。このマンションの近くに李さんの自宅があり、警察は李さんに目をつけ、李さんの仕業だと推定し、その前提の下で調査を始めた。
不当に拘禁されている間、李さんは断固として一切の告発を否定し、断食して迫害と違法な捜査に抗議したが、残酷な拷問を加えられ、自白を強要された。迫害されて、李さんは健康状態が悪化し、救急センターに搬送された。李さんは両眼の網膜が剥離してほとんど失明状態で、また肝硬変で腹水が溜まり、全身に浮腫が現れた。しかし、警察は李さんの解放、家族の面会を許さなかった。
そして、証拠がないまま、2008年1月21日、2年6カ月の労働教養処分を下され、翌日、教養所に送られたが、健康状態が悪いという理由で教養所に入所を断られた。その後、公安局と610弁公室は李さんの案件を検察院に移したが、「証拠不十分」として差し戻された。しかし、李さんは1年4カ月間拘禁された後、懲役5年の不当判決を言い渡された。それは、48人の警官が参与して捏造した証拠によるものだという。
李さんの弁護士は「李さんが横断幕の現場に現れた時間、横断幕の出所、横断幕を支える両端の木の棒の出所、捜査記録、没収したもの、証人の身分などの証拠は全て捏造したものだ」と明らかにし、警察側の捜査、検察側の起訴も法の手順に従っていなかったと指摘した。
また指摘すべきことは、人々がこのような横断幕を掲げることは合法的であり、言論の自由である。さらには世間の人々を救うことにもなり、称賛に値すべきことでもある。中共はメディアを制御して人々を騙し、人々の言論の権利を剥奪しており、これこそが本当の犯罪である。