文/山東省諸城市の大法弟子
【明慧ネット2013年10月23日】私は日用雑貨店を開いています。私は店を利用して、真相を伝え、三退を勧め、衆生を済度しています。店に来るお客さんには、特別な状況を除き、私はほとんど真相を伝えています。大多数のお客さんは大法が素晴らしいと認めますが、中にはいくつかの疑問を提起したり、あるいは大法に失礼な言葉を言ったりする人もいます。そう言う場合、私は彼らの質問に答え、あるいは真相資料を渡し、帰ってからよく読んでもらうようにします。お客さんのほとんどは隣町、隣村、あるいは近所の人で、時間が経つと、誰も私が大法弟子であることを知るようになりました。
ある日、私は同修と一緒に外で「法輪大法は素晴らしい」の標語をペンキで書いていた時、警察に連行されました。派出所の中で、私達は会う人の誰にも真相を伝えました。市の留置場に送られる途中で、私は派出所の警官に繰り返し大法の真相を伝え、善悪には必ず報いがあるという因果応報の理を訴えました。私は「人間はこの世に生きて、よい事を多くしなければなりません。なぜなら、頭上3尺に神霊がいるからです」と言いました。また「人が行っていることは、天が見ています。寺院で神様に拝まなくても、あなたがいい事をすれば、神様のご加護が得られます。もし極悪非道な事をするならば、あなたはお寺に行って、神様に地に頭をつけて拝んでも、神佛はあなたを見守ってくれません」と言い、さらに「神佛は一番公平です。病魔は理由なく身に付き纏う事はないし、災難も理由なく訪れることもありません。法輪大法は佛法です。佛法を迫害する人が最後にどんな結末を得るか、考えてみれば分かります。私達の師父は法を正すため、衆生を救うために来ておられます。真相が分かった人は感謝しても感謝しきれないのです」と言いました。私は彼らに「あなた達公安の中に、新年や祝日になるとネットの封鎖を突き破って、明慧ネットを通して、師父によろしくの意を伝え、師父のために祝日を祝う人の数がどのぐらいいるか分かりますか? 彼らは大法を信じ、大法を支持する意を表していますよ。また、以前真相を知らなかった頃、大法と大法弟子を迫害した罪に対して謝罪し、その罪を許していただけるよう師父にお願いして、その過ちを償いたいと言っています。それを知っていますか」と聞きました。また、「あなた達はまだ真相を知らないのですが、帰ったら、早く壁を乗り越えるソフトウェアを探して、サイトを開いて見てください」と促しました。さらに、私は「大法を迫害して悪の報いに遭った人がどのぐらいいるか知っていますか? 身辺な話だけでも、あなた達の派出所では、ここ数年、突然の事故死や病死した人が必ず何人か出るじゃありませんか。あなた達はおかしいと思いませんか? 実は、ちっともおかしくありません。道義は公平です。少しも外れません。彼らは受けるべき報いを得ました。例えば、鄭明如ですが、彼は理性を失って、気も失って、大胆にも師父の法像の額を粉々に蹴り、口からでたらめなことを言い、佛法と神佛を誹謗中傷し、報いなんかを恐れないと気を狂ったようにわめき立てていました。大法弟子は彼に慈悲をもって勧告しましたが、彼は大声で怒鳴って聞こうとしませんでした。この人はあなたたちがよく知っているでしょう! 彼はこの悪事をしてまもなく病死したでしょう。話によると、この人は悪事をやりすぎて、その報いはすべて彼の家族と息子まで及んでいるそうです」と話をしました。
私は一気にたくさん言いました。彼らはほぼ私の話を聞いていて、反論はありませんでした。私は留置場から家に帰ってから、相変わらず店を経営していました。ある日、派出所の副所長は私の店に買い物にきました。店に入ったとたんに、「おばさん、申し訳ありませんでした。私は間違いました。これから、あたしはあなたについて習います。あなたが信じることは私も信じます」と言いました。私は「それなら、あなたは大法を信じなさい。大法はあなたに福の報いをもたらしてくださいますから」と言いました。その時、また何人かのお客さんが入って来たため、私は多く話すことができず、三退も勧めることが出来ませんでした。しかし、前回、彼に伝えた真相が利いていると分かっており、特に「善悪は必ず報いがある」という道理は利いているだろうと思いました。
数日後、彼はまた来ました。私は「あの日、人が多すぎて、三退して平安を守るということを言いませんでした。私達は本当に縁があるようですね、あなたは党員を脱退しましょう」と言いました。彼はとても喜んで、「退きましょう!」と答えました。私は彼に仮名を作って、共産党を脱退させ、また彼に「『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』をしっかり覚えれば、どんな危険と災難に遭っても、『法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい』を念じれば、師父は必ずあなたを見守ってくださいます」と伝えました。彼は「しっかり覚えました」と言いました。師父に感謝いたします。また1つの命が救われました。私はいつの間にか感激の涙を流していました。