女性の名前は車平平さんといい、吉林体育学院大学の教師である。現在、車さんは吉林市留置場に勾留されている。
車平平さん |
車さん(40)は、法輪功の修煉を堅持し、法輪功の真相を伝えるため、何回も不当に連行されて拘禁され、洗脳を受けた。車さんの両親は常に車さんの安否を心配するあまり、健康を損ない、2人とも亡くなった。
車さんは1997年に卒業後、大学の教師になった。法輪功を修煉して車さんの道徳心が高められただけではなく、能力も絶えず上がった。
1999年7月、中共(中国共産党)当局の江沢民集団が、法輪功に対する迫害を開始した後、車さんは他の法輪功修煉者と同様に、虚言を暴き事実を伝えただけで、麻薬中毒回復所に拘禁された。
2005年5月、長春市南関区国保(国家安全保衛)大隊の警官は、勤務中の車さんを洗脳班まで連行して隔離し「転向」を強制した。洗脳班は対外に「法制教育訓練センター」の看板を掛けている。
2006年6月、南関区派出所の警官は車さんの寮へ行き、車さんを連行しようとする時、6階から転落させたため、人事不省になった。車さんは病院に搬送されて緊急措置をとり、頭蓋内出血、体の数カ所を骨折、肋骨3本と骨盤骨折で、医者は「一生半身不随だ」と断定した。車さんは帰宅後、大小便を失禁、多くの箇所を骨折したことによる全身の痛みで、寝たきりになった。しかし、車さんは毎日、法輪功の書籍を読み、少し座れるようになると煉功し、劇症骨痛と足の腫れを我慢して座禅をした。すると、だんだんと腫れが消えていき、薬の服用も注射もせずに1カ月後、車さんは自転車に乗れるようになり、2カ月後には完全に回復した。車さんは法輪功の不思議さを再び実感した。
2009年9月、車さんは再度、吉林市大東派出所の警官に連行され、省公安病院に送られた。医者は車さんの手足を固定し、便所に行くことも許さず、車さんが未婚であることを知りながら導尿管を挿入しようとした。最後に車さんは危篤に陥り、ようやく帰宅させられた。自宅に帰った車さんは、時間を無駄にせず法を学んで煉功し、奇跡のように回復した。
拷問のイメージ図:灌食