文/江蘇省の大法弟子
【明慧日本2013年11月15日】私は1996年6月に幸運にも大法修煉を始めました。修煉後、私は心身ともに天と地が覆るような大きな変化が起きました。わずか三カ月で、長年私を苦しめていた偏頭痛、B型肝炎、頸椎症、顔面神経麻痺などの様々な難病はすべてなくなりました。私の大法に対する感謝の気持ちは、人類のすべての言葉を使っても表現し切れませんが、すべての言葉を凝縮すれば「法輪大法は素晴らしい!」の一語に尽きます。
江沢民集団は極端な嫉妬心から、1999年7.20の後、すべての国家権力機構を利用し、狂気に駆られて法輪大法と師父を誹謗中傷し、無実の罪を着せ、大法修煉者を残忍残虐に迫害しました。その血生臭い弾圧の日々の中、私は大法の素晴らしさを実証し、真相を伝え、衆生を済度するという、この大きな潮流に身を投じました。
一、天安門広場で法を実証する
2000年9月の末、私と近くの10数人の同修は、師父の潔白を訴え、「法輪大法は素晴らしい」ということを訴えるため、地元の警察からの妨害、阻止、追跡を押し切って、鉄道、道路と飛行機と分散して北京へ向かいました。10月1日の明け方、私達は天安門広場に到着しました。ふと見ると天安門広場には軍の兵士、警察、私服警察が至る所にいました。それに対して、全国各地から法を実証する同修たちは更に1列1列、1陣営1陣営で、数えきれないほどいました。こちらには煉功する人、座禅を組む人、あちらには大きな声で「法輪大法は素晴らしい」「真・善・忍は素晴らしい」と叫ぶ人がいました。私はとても震撼させられました。その時、私の頭の中にいかなる雑念もなく、ただ「師父の潔白を返して欲しい、法輪大法は素晴らしい!」の一念でした。この時に軍の兵士、警察、私服警察は私達の中から人を捕まえ、暴行し、人を引っ張り出し始めました。私も警察にパトカーに強行に押し込まれ、留置場に送られそうになりました。私は「私は法を実証しに来ました。あなたたちに逮捕されるために来たのではありません。決してあなたたちに連行されてはいけない」と思いました。この一念があって、師父は私を加持してくださり、私はパトカーが発車する直前、ドアがまだ閉まっていない時に、警察の隙を見て車から跳び降りて来ました。その時、法を実証する横断幕はいたるところに揚げられ、「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」の叫び声は広場の上空で絶え間なく響きわたり、天地を震撼させました。その瞬間、私はまたこの広大で力強い戦いに戻りました。
この時、邪悪はさらに大量の武装警察を広場に投入して、私は再度、武装警察にパトカーに入れられました。この時の私の脳裏は、ただ「彼らに捕まえられることはさせません。決して彼らに捕まえられません! 私には法を実証するたくさんのことがあります。私の誓約はまだ果たしていません。」という、この思いばかりでした。こうして、私はまた警察とパトカーの目の前から脱出しました。私は同修たちと手と手をつないで、腕と腕を組んで広場の中央に進行しました。私たちは大法弟子を運ぶパトカーを止めて同修を取り戻そうとしました。警察は軍の車やパトカーを使って群衆の中で縦横に暴れて突進し、皆は追い散らされました。軍の兵士や警察は、狂気に駆られたように人を逮捕しました。この時、3人の若くて逞しい警官が、私に向かって三方面から駆けてきて、その中の一人が私を掴もうとした瞬間、私は心に一念が生じ、「私は師父の接見を受けた弟子です。私の手は師父が握手したことのある手です。邪悪の黒い手や魔手に決して汚すことをさせません」と思いました。ただこの思いだけで、3人の警官は弱い女である私に追いつくことができませんでした。師父のご加護のもとで、私は正々堂々と3回目の脱出を果たしました。
夜、私達は北京の同修が手配してくれた所に来ました。集団学法をしてから、北京の同修はパソコンを開いて、私達に明慧ネットの当日のニュースを見せてくれました。ホームページには幾千幾万の大法弟子が天安門広場で邪悪を恐れず、法を実証する天地を震撼させる様子が掲載されていました。その時、ある同修が警察に追跡されている私の姿が映っているのを見つけました。その中の一枚はとても目立っていました。その場に居合わせた同修たちは、皆とても大きく鼓舞されました。私は涙がぽろぽろと流れました。もし師父の慈悲なるご加護がなければ、私はとっく凶悪な警官に逮捕されていたでしょう。私はいかなる言葉でも師父に対する感謝の気持ちを表すことが出来ません。私はただ向上して、勇猛精進して、真に修めて、法を実証するしかありません。
(続く)