邪悪な黒巣の中、文章で真相を伝える
文/中国の大法弟子 正非
【明慧日本2013年12月7日】(前文に続く)
三、100%の「転向」から100%の再修煉へ
「3.14」の悲惨な事件が起きて5日目の午後2時過ぎ、私達15名の同修は沈長線の吉林省側にある、小さな町の中のL労動教養所に収容されました。私達は訓練大隊が占有する3階建ての建物の3階に移送されました。それは教室を改造した簡易ベッドのある宿舎でした。嬉しいことに、困難を共にした15人の同修は、一緒に泊まることができました。警備員の監視がいくら厳しくても、同修の間のコミュニケーションを遮ることはできません。当局に分散させられ、省人民代表大会の調査を逃れるためにここに送られましたが、しかし、それも偶然なことではありません。使命があったのです。
来る途中、ある同修は天目で、突然他の空間では正義と邪悪の戦いが行われ、そこから神兵神将の集団が下りてきたのを見ました。「私達は師父に派遣された神兵神将で、ここで受難して道を見失った大法修煉者を救援するために送り込まれた」と私達は悟りました。聞くところによると、この労動教養所には42人の法輪功修煉者がいて、迫害の中、すべての人が「五書」を書かされ、法輪功の修煉を放棄する声明をしたそうです。私たちの目の前の情況はとても厳しく、きわめて困難な、反迫害の生と死の試練が待ち構えていました。
この教養所の教育課の課長は50歳余りで、自分は学識才能がありながら、不遇であると思っていたそうです。彼の学友は、みな最低でも局長クラスになっているのに対し、彼は未だに教育課の課長でしかありませんでした。彼は今回、法輪功を迫害する中で存分に自分の力を発揮したいと決意したそうです。少し前に行われた全国の迫害「転向」大会で、彼は政治法律委員会書記の羅幹から口頭で奨励を受けました。この100パーセントの「転向率」を保つためには、新しく入ってきた15人の大法弟子が、現地の大法修煉者に対して影響を与えないようにすることが肝心で、万策を講じても現地の修煉者に真相を聞かせないようにしなければなりませんでした。同じ食堂で食事をとることは仕方がありませんが、彼らはそれ以外では接触させませんでした。問題の焦点は「転向」と「反転向」でした。しかし、この「100パーセント」は彼を窒息させる足かせとなりました。誰を選んでこの15人の外部から来た大法弟子を管理したらいいのか、最後に、彼らが最も信頼できると思い選んだのは、55歳の軍を退役した幹部──半年前に不法に連行された法輪功修煉者でした。その人は控えめで穏やか、人と付き合いやすい性格で、しばらく法輪功を煉功し、法輪功の知識を持っているため、教育課長は彼がもっとも適任だと判断しました。しかし、人がどんなに周到に計画しても、天意にはかないません。彼が最も信頼したこの専任の副隊長は、3日で大法修煉に戻り、最後まで修めたいと表明しました。しかも目下の情勢下で、甘んじて侮辱に耐え重責を担い、現地の道を見失った42名の大法同修が修煉に戻って来ることを手伝い、新たな貢献をしたいと彼は決めました。
この専任副隊長の経歴、職業は私とよく似ており、私より5歳年下で、私を兄さんと呼んでいました。ともに軍隊に入った経験があるため、共通の話題が多く、早くも何でも言い合える気心の知れた友達になりました。ある日、彼は率直に私に聞きました。「兄さん、天安門広場の焼身自殺は本当だと思いますか? 私は疑っていますが、でもはっきり言えません」。私は「君も地元の大法修煉者も、みんな焼身自殺前に連行されたので、目にする新聞、テレビはすべて共産党が大法に泥を塗るもので、分からないのもよく理解できます。でも、あなたと同修たちが問題意識さえを持っていれば、それが常識に合致しないと分かるはずです。警官が消火器を背負ってパトロールするのを見たことありますか? 引火して30秒も経たない内に、20数個の消火器が一気に集まってきて消火することはありえますか? 普通、通報して8分か10分ぐらいかかるでしょう。あれは事前に準備したのではありませんか? 率先してスローガンを叫んでいた王進東氏は、顔が真っ黒に焼けているのに、髪の毛は全然焼けていません。髪の毛はすぐ燃えるはずでしょう、誰だって、このぐらいの知識があるじゃありませんか。天安門広場の焼身自殺は捏造であるだけでなく、「7.20」以降の法輪功に関する宣伝は、すべてでっち上げと誹謗中傷で、人を騙すものでした」と言いました。副隊長は非常に心を痛めて「私たち地元の42人の大法修煉者には、疑う人、半信半疑の人、見抜いていても言う勇気のない人、また何も考えずに海賊船に乗り込んでしまった人もいました。兄さん、安心してください。私達が間隔を打ち破って、封鎖を打ち破り、地元の修煉者に真相さえ知ってもらえれば、彼らはすぐに変わると思います。私は自由に出入りできるから」と言いました。
私は副隊長の手を握って、「大法弟子は一つです。私達はあなたの助けがあって、本当に幸運です」と言いました。それから、私達はたびたび会って協議し、とてもうまく協力できました。
1、相手の計略を逆手に取り、大法を広める
私達が送られてきて3日目、教育課長は私達に思想報告書を書かせました。これは、時間、文字数を制限せず、あら捜しをしないという「三無政策」と呼ばれるものでした。同修は小さな声で「これは私達の考えを早く知り、外部から来た15人の大法修煉者をすべて「転向」させ、彼の教育課長としての能力を見せつけるためではありませんか」と言いました。私は「人はみな良い夢を見たいですよね。それなら、私達は彼の「三無政策」を利用して、私達の夢を成し遂げましょう。私達は真相を明確に書き出して地元の修煉者に読んでもらい、真相を分かってもらい、大法に戻らせましょう」と言いました。もう1人の同修は「あなたは甘い夢を見ていませんか? 彼はそんなに馬鹿じゃないですよ。彼は私達を封じ込めようとしているのだから、私達の文章を地元の修煉者に見せるわけがありません。無駄な努力はやめたほうがいい。何とかごまかしていればいいじゃないか」と言いました。
この問題について、私達15人の同修は一緒に交流、検討しました。最後に皆は「世間の人はすべて騙されており、警官も含まれています。彼らは真相を知らないから、私達を誤解しているのです。私達が真相をはっきりと伝え、嘘を暴き、彼らに理解してもらえれば、たとえ真相を分かったのが一人だけでも、私達の努力は無駄ではありません。今回の真相を伝える機会を決して見逃しません」と、認識が一致しました。皆すぐに書き始め、すらすらと筆を運び、一気に完成させました。私は一日半をかけ、1万5千字の「思想報告書」を書きました。他に何人かの高校、短大卒の修煉者も、すべて数千字の「思想報告書」を書き、皆が異なる角度から、大法が迫害されることの真相を述べました。例えば「焼身自殺の真相」、「『4.25』陳情の真相」、「中国で法輪功を煉功することは違法ではない」などの内容がありました。
今回の全面的な真相伝えは労動教養所全体を揺り動かし、所長から教育課長、また駐在検察官、普通の刑務所警官、さらに不法に拘禁されたすべての法輪功修煉者に至るまで、彼らは真相を見て、聞いた後、みな大いに驚かされました。この広範囲の真相伝えは迅速に全体の状況を転換させ、多くの人は法輪功が迫害される真相が分かり、42名の同修を取り戻すための良好な基礎を築きました。同時に大法を広く広げるために、とても良い効果を果たすことができました。
思想報告書を回収する人は教育課に内勤する地元修煉者でした。彼も「転向」に甘んじない人で、外部から来た大法修煉者の考え方を知りたがっていました。彼は文章を収集しながらそれを読み、収集が終わったとき、ほぼ全部読み終えました。ただ、この1万5千字の文章を読み終えることができず、それを惜しんで、事務室に戻ってからデスクに向き合い、一気に読み終えました。彼が嘘から解放された興奮は、とても言葉で言い表せないものでした。彼は知っているすべての地元修煉者に「以前の焼身自殺は捏造で、すべて嘘です。私達はみんな騙されました」と伝えました。毎回食事が終わって、10分間の休み時間がありますが、多くの総務の仕事をしていた地元修煉者は、私を囲んで「あなたの報告を読みました。私達は心がとても広く、明るくなりました!」、「あなた達がもっと早く来ていたら、私達は『転向』させられることがなかったのに」と言いました。「もう終わりだ。既成事実を作ってしまって、どうしようもないのだ!」と言う人もいました。私は急いで「少しも遅くありません。師父は私達を見ておられます」と言いました。私は彼らに「師父は『修煉者が難の中にいるときは、物事の原因を見いだしにくいものですが、方法がないというわけではありません。心を静め、大法を用いて判断すれば、物事の本質を見ることができるのです。』[4]とおっしゃっています。あなた達は総務の仕事をしていて、野外で溝を掘る仕事よりずっとましです。法を学ぶ時間もあって、お互いに交流し、早く行動するようにしましょう。師父はすべての大法修煉者の一思一念、一挙一動を見ておられますから」と言いました。
その日の夜、副隊長は私に会って、とても嬉しそうに「教育課の内勤の人は私に1篇の思想報告書を推薦してくれました。いくら忙しくても、読むようにと特に勧められました。私は読むと、兄さんが書いたものだとすぐ分かりました。わたしは一気に読み終えました。本当に言葉になりません。知るのが遅すぎた。ただそればかりを悔やみました。でも私に考えがあります。内勤の人と共に思想報告書の中のいくつかの真相を抜粋し、印刷して1人に1部、すべての大法弟子に読んで欲しいと思っています。今後、大法に戻るための下地を作ろうと思います」と言いました。私は嬉しくて、副隊長の手を握って、「君、師父があなたに知恵を開いてくださったのです。私も思いつかないことを、あなたと内勤の人は思い付いたのです。ぜひ慎重に、早くしてください。早ければ早いほど良いです!」と言いました。
2、共同で上告することの威力は大きい
私は反迫害をする過程で、いつも方法がない時に、突如思いもよらない人、あるいは思いもよらない事が目の前に現れ、本当に「柳暗 花明 又 一村」[5]を思わせることばかりでした。連名して上告の手紙を書き、教育課長という、この狂暴きわまりない障害物を落とす過程も、そうでした。
私達が泊まっていた3階のトイレの外側には、2つの小さなお墓のような、鉄筋を溶接した建物がありました。どちらも一人しか入ることができません。
中には50代の法輪功修煉者(天目が半分開いており、同修Aと称する)を1人閉じ込めていました。私はトイレに行く口実で、彼を訪ねて行きました。その時、彼は顔を洗っていました。看守が入り口で知人と何かを話している隙を見て、私の低い声で聞き、彼は小さな声で答えてくれました。情況がはっきり分かりました。私は彼の多くの血痕が付いたシャツをめくると、彼の体の傷跡から今なお血が流れていました。私は涙を浮かべながら、その場を離れました。同修Aは私達が来る前の日に、2人の若い大法修煉者を誘い、一緒に教育課に大法修煉に戻りたいと声明を出しました。教育課長はそれを聞くとすぐに怒りを爆発させ、光ケーブルの化学繊維で特製した鋼鞭を手に持ちました。この鞭は、多くの人を気絶させ、ショックを起こさせたことがあるため、誰もがこの鞭の悪辣さを知っていました。この鞭が人の体に打つと、体は肉が噛まれるように痛いです。2人の若い人は課長が鞭を振っているのを見て、すぐに「課長、俺らはもう声明を撤回します、もう煉功をやめます」と言ったそうです。課長はへらへらと冷笑して、「これはよろしい、側に立って聞いていなさい」と言いました。課長は鞭を背の大きい警官に渡して、「私達は100パーセントの「転向率」だ。ドミノ効果を知っているか? 一人が反発すると、その後10人、20人と出て来るから、この100パーセントの看板が壊される! これは私の教育課の心血だ。私達の立派な看板だ。私は命をかけても、お前たちに再び修煉をさせない」と怒鳴りました。
課長は言えば言うほど自らに酔ってきて、同修Aがまだ態度を表明していないことを思い出し、「やはり若者は頭の回転が速いな。煉功しないと言った! お前は?」と言いました。同修Aがまったく彼の話に乗らないのを見て、課長は怒って背の高い警官に、「彼を打ちつけろ! 恐れるな! 奴に死ぬ勇気があるなら、私にはそうさせる勇気がある!」と怒鳴りました。背の大きい警官は一気に五回鞭を振るいました。同修Aは痛みを感じませんでしたが、倒れてショックを起こしました。実は師父が弟子のために耐えてくださったのです。弟子を守るために、ショックを起こした仮相を作って下さったのです。背の高い警官は同修Aの体にバケツいっぱいの冷水をかけ、彼を禁足室へ引っ張り込みました。
A同修が再び修煉する願望はどんなに強いでしょう! しかし、この教育課長という障害物、平気で人を暴行する魔王を倒さなければ、同修Aと現地の42人の修煉者が再び大法修煉に戻る事は難しかったのです。
ちょうどこの時、検察院の駐在代表、背の高い検察官が自費で、外部から来た15人の大法修煉者に「豚肉と春雨の煮込み」料理をご馳走してくれるという情報が入りました。これは有名な東北の家庭料理です。江沢民が法輪功を迫害してから、警察・検察・裁判所はずっと悪人を助けて悪事を働いてきたのに、彼はどうしてわざわざ外部から来たこの15人の大法修煉者を招待するのでしょうか? 私は司法官が案件の調査と関係があると思い、このチャンスを利用して同修Aのために上告し、Aを救出したいと思いました。私はすぐに考えを集中して、上告文の構成を考えました。上告書はたくさんの法律的知識が必要です。法律の知識がなければ、どうやって彼が法を知りながら法を犯すことを訴えることができるでしょうか? 逆に誣告罪と訴えられ、かえって同修の迫害を強めることになったら困ります。どうすれば、肝心な法律知識を手に入れることができるでしょうか。しかし、ここは封鎖が厳しく、息苦しい黒巣の中であり、誰から法律の本を借ることができるでしょうか? これは天に登るよりも難しいことです! 2日間思案しても、少しの進展もありませんでした。検察官が食事をご馳走してから3日目の昼食の時、かびが生えたトウモロコシ粉の蒸しパンと大根の千切り入りスープが依然としてテーブルの上に置かれたまま、他の人は食べ終わってそこを去った後も、私は一口一口、白湯を飲んでいました。人は考えが出ない時には、頭はないほうがましだと思いました。
「おじさん」と突然の声は私を驚かせました。振りかえって見ると、眉毛が濃く目がぱっちりした若者が、私の耳元で小さい声で、「私たちはお互いに知らないけれど、しかし、あなたが大法弟子だと知っているだけで十分です。あなたはきっと助けが必要だと感じました」と言いました。私は「ありがとうございます! でも私の難題は誰も助けられません」と答えました。この若者は周囲を見回して、小さな声で「私はちょうど一冊の法律の小冊子を手に入れました。あなたはそれを見たいですか」と聞かれました。私はほとんど自分の耳を信じることができず、「これは大変だ。とても急いで必要なものです」と言いました。私が「急いで必要だ」と言った時には、若者はすでにてきぱきと、小冊子を私の上着のポケットの中に入れてくれ、立ち上がって「おじさん、何も言う必要はありません。あなたが必要としている事は私がすべきことです。この小冊子はあなたが使うべきものです。それでは」と言いました。私は若者の手をしっかりと握って、「あなたは超能力が出たのですか? どうして私が急いで必要だと知っていたのですか?」と聞きました。「はっきり言えないですが、なんとなく、あなたがとても必要としていると感じて、すぐあなたにあげなければならないと思いました」と答えました。私は涙があふれて若者を眺めて「何て素晴らしい同修でしょう!」と思いました。
寮に帰って副隊長を探し、「2日間、私が妨害されないよう守ってください」とお願いしました。彼は「安心してください。すべて私に任せてください」と言いました。私は渇望していた法律手帳を一通り読んで、使えそうな条文をすべて書き写しました。例えば刑罰の項目の中の治安条例の中に「重い傷害罪を犯した場合、3年以上10年以下の懲役を科す」というのがありました。これは教育課長にとってももっとも適当です。また、国際的には残虐な刑と刑具を廃止しているのに、中国の司法では、それを履行していないことが分かりました。翌日午後3時前に私は書き終え、署名して、副隊長に手渡したいと思った時、突然1つの考えが頭に現れました。「15名の大法同修が全員署名するなら、威力はもっと大きいのではないでしょうか!」 私は直ちに同修に、書面に目を通して署名するようとお願いしました。すぐに13名の同修が署名してくれましたが、ただ二人の40歳余りの同修は、ぐずぐずして態度を表明もせず、手紙も見てくれませんでした。私は人づきあいの良い同修に、この2人の同修を説得するようと頼みました。こうして、この2人の同修も説得されました。こうして、15人の大法弟子全員の署名が集まりました。これはこの上なく厳粛で神聖なものです! 副隊長は翌日午前6時、所長が散歩していた時に、両手で所長に渡しました。所長は手紙を開けてたくさんの署名を見て、びっくりして、それで真剣に読みました。見終わった後、身の回りの人に教育課長が出勤してきたら、所長の事務室に来てほしいと言いました。
教育課長は私が全員署名の上告書を書いたのを知った後、3日もあげずに私に尋問しました。最初は訓練隊の隊長と指導員を挑発して、私を殴らせようとし、彼らに自分のうっぷんを晴らしてもらおうとしましたが、しかし、毎回うまくいきませんでした。彼はどうしていつも失敗するかがわからず、今度、私を単独で訓練大隊から水溝を掘る第5大隊に移動させました。私を1日中水に浸して苦しめようとしました。
しかし、第5大隊の隊長は彼の言うことを聞かず、かえって私と1人の足の不自由な人と交代で夜の当番をさせました。教育課長は依然としてあきらめず、第5大隊の隊長にうるさく迫りました。第5大隊の隊長は怒って、「それなら、あなたは第5大隊の隊長になりなさい。私は自分のオヤジと同じぐらいの老人に肉体労働をさせることができません。人は少しの良心が必要でしょう」と言いました。教育課長は反論されて、一言も言えず、真っ赤な顔をして去って行きました。
今度、彼は古い関係である管理課長を出しました。また総務の仕事をしている10数人の修煉者を会議室に集めて、誰から法律の小冊子をもらったかを言わせようとしました。最初、私は少し緊張していましたが、状況を分析した後、彼の最後の必死の努力だと分かり、心が静まりました。師父がおっしゃったように「たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください。皆さんがみな、このようにすれば、環境はこのようなものではなくなります。」[6]、特にちょうど師父の発正念に関する説法を手に入れて、私は必死に、彼にひっきりなしに発正念をしました。
教育課長は怪しげな口調で「じいさん、今日は管理課長と総務の修煉者の前で、小冊子の件について言いなさい。あなたが言わなければ、真善忍の大法を裏切ることになります。私はあなたの師父の代わりにあなたを追放する。決してあなたを許さない」と言いました。管理課長も「じいさん、聞いて分かったのか? 分かったら、あなたは言いなさい」と同調しました。2人の課長の発言は勢いを欠いており、私は彼らの背後の邪悪な原因がすでに解体されたことが分かりました。私は言いました。「教育課長はわかっている振りをして、口を開けば、追放するとか言いますが、それは昔の社会の極道の規則で人を脅かすようなものです。法輪大法を汚しています。もし、あなたはそれを悪いと知りつつ、わざとそうするなら、罰が当たることに気をつけなさい。私は真に『真・善・忍』を修めているからこそ、誰が私にその法律冊子をくれたかを言いません。あなたに罪を犯させないためでもあります。そうした方が誰にとっても有益です。すべては私1人で引き受けます。まして、それは全世界にすべて公開されている法律冊子で、それを読むことに何の罪があるのでしょうか? あなたは3歳の子供を脅かすくらいならうまく行くかもしれませんが、大法弟子を脅かすには幼稚過ぎます。2人の課長に忠告をしますが、偽りの劇をもうこれ以上を演じないでください、人力・財力をむだにするだけです。終わらせるべきです」と言いました。
私がこのように彼らの仮面を暴き出すことを、彼は予想もしていませんでした。それに答える言葉がありませんでした。彼はしばらく沈黙しました。親指を立てる人、口を覆って笑う人がいました。最後、管理課長は自分で逃げ道を打って、まず、タバコに火をつけて、「年寄りだから、すぐに思い出さなくても、まあ、理解はできますね。年だからね。今日はもう遅いから、みんな帰ってください」と言いました。こうして、私を迫害しようとする半月あまりの法律小冊子事件に終止符が打たれました。
3、全員で協力して、障害物を落とす
この日、私達15名の同修は教育科の隣の小さな教室で昼休みをしました。みんな腰を下ろして、すぐに新しく入手した師父の発正念の説法について検討し始めました。話が終わってから、みんなで集中して、発正念を始めました。10分も経たない中に、教育課から「ぽきん! ぽきん!」という音が聞こえてきました。また、何人かの地元の大法修煉者の泣き叫ぶ声が聞こえました。
私は我慢できず立ち上がって大声で「人を殴るな! 人を殴るのは違法だ!」と叫びました。私の叫び声とともに、すべての大法修煉者はいっしょに教育課の事務室に突き進み、前にいた1人の大法弟子は脚でドアを蹴飛ばしました。そこでは、教育課長が飲んで酔っ払って、片手にベルトを持ち、片手はズボンを持って修煉者を打っていました。3人の修煉者は腰を下ろし、おしりを上げ、両手を後ろに高く伸ばして、体罰を受けていました。
彼はこんなにたくさんの人が押し寄せてきたのを見て、人を打ちつけるのを止め、呆然として、「お前たちは何をするつもりだ?」と言いました。同修たちは一斉に「あなたこそ何をしていますか? 誰があなたに人を打ちつける権利を与えたのですか?」と責めました。彼は言葉を濁しながら、「私はいい人を打ちつけない! 私は繰り返して嘘をつく人(その場にいる親子と一人の再度修煉を声明した若い修煉者を指して)が最も嫌いなのだ」と言いました。この時、1人の背の高い修煉者が彼のことに構わず、体罰を受けている地元の修煉者を持ち上げながら、「彼を恐れないでください、これは私達大法修煉者が受けるべきものではありません」と言いました。教育課長は黙って言葉が出なくなりました。彼は逃げ道を探して、「私はあなた達の師父のためにきちんと管理しているのだ。私は李先生ために彼らをやっつけているのだ!」と言いました。同修達は「彼らが大法弟子であるかどうかは私の師父が判断をして下さいます。修煉は自由で強制ではありません。彼は昨日修煉を止めると言いましたが、今日また修煉したいと思えば、それは彼ら自分の選択で、それは嘘をついているわけではありません」と言いました。最後、皆は口をそろえて彼に聞きました。「あなたは彼らを帰らせますか、帰らせませんか? 彼らを帰らせなければ、私達は一緒に所長に会い、所長に是非を判別させますから」。彼は沈黙しました。数日前、彼は所長に叱られ、特製の鋼鞭も上納させられ、処分を待っているところでした。彼がいくら理性を失ったとしても、再びバカなことをするわけにはいけません。彼はぐっと我慢して、ずいぶん口調をゆるめて、処罰された3人の修煉者を指して「外部から来た修煉者の面子を考慮して、お前らを帰らせます。この人たちを見習え……」と言いました。
全員での行動は威力が大きく、再び、教育課長を圧倒しました。修煉者達も力を合わせたことから自分の明るい将来が見え、自分の歴史的使命を果たすことに自信を持つようになりました。
夜、副隊長が急いで第5大隊に来て私を探して、同修は接見のチャンスを利用して見事に師父の新経文『強制は人心を変えられない』を届けに来たと私に教えました。私はその夜、徹夜で20部を書き写すことを約束し、明朝に取りに来てもらうことにしました。そうすれば、2人に1部を回覧でき、早く暗唱することもできますから。2日後、副隊長から情報が入りました。地元の「転向」した修煉者は師父の新経文を読んでみんな泣きました。師父が自分たちのことを見捨ておらず、師父の慈悲に感動し、師父が求められた通りにすると決心したそうです。それから、「反省文はすべて破棄して、大法修煉に戻り、しっかりと修煉をして、最後まで修める」と急いで声明を出しました。
師父の新経文の呼びかけのもとで、外部から来た大法修煉者と地元の修煉者の協力の下で、この労働教養所にはとても大きな正念の場が形成されました。皆は恐れる心がなくなり、公明正大に大法に戻りました。情勢は急転直下して、1カ月も経たない内に、全員が大法修煉に戻る声明を発表しました。3カ月前まで、ここはまだ恐ろしく、悪人はのさばっていて、100パーセントの「転向率」という立派な看板を掲げていました。しかし、3カ月後、事態はまったく逆転しました! 100パーセントの再修煉に取って代わられました。
まもなく、教育課長の処分が下されました。教育課長の職務を取り下げ、労動教養所の南大門の警備に降格されました。教育副課長は教育課長に昇格し、すべての職務と権限を引き継ぎました。朝の体操の時間に、新課長がステージに立って、全員に「私達の労動教養所は以前に良くない風潮がありました。特に刑事犯の中でとりわけ目立っていました。法輪功修煉者は「真・善・忍」を重んじて、彼らは殴っても殴り返さない、罵られてもやり返さないと見て、いじめやすいと思って、何でもすべて法輪功のせいにする傾向がありました。私は教育科を引き継ぎましたが、誰かが法輪功の人をいじめるなら、即座その場で「制圧」し、決して手加減しません。もちろんこれもすべて刑事犯を責めることができません。一部の幹部は100パーセントの「転向率」を立派な看板として、皆に多くのマイナスの影響をもたらしました。誰もが法輪功からうまい汁を吸おうと思って、法輪功をいじめて、上に登りたいと思っていました。今から、すべてを逆にします。彼らはあなた達と異なり、彼らは犯罪者ではありません、煉功させないために捕まえてきたのです。この点について、皆はよく分かってもらいたい」と言いました。
それから、労動教養所の悪い風潮は是正されました。大法修煉者は正々堂々と身を処することができ、所内のサービス部門、売店、食堂も法輪大法の修煉者を特別に優遇してくれました。食堂では、1週間に1回、饅頭と蒸しパンを供給していました。刑事犯の場合、1人につき2個までですが、法輪功修煉者は気軽に食べられ、制限はありませんでした。一部の労働教養犯は顔色を変えて、納得せずに、「法輪功の人は、もうかつてのいじめられっ子じゃなくなったね。みな偉くなったね」と言いました。正義感のある労働教養犯は「彼らは確かに心が優しい人ですよ。見直すべきですよ」と言いました。
この新課長のもう1つの新しいやり方は、同じくとても影響力がありました。意思の強い修煉者はすべて、奨励点数が足りれば釈放されました。二週間の間、6人が釈放されました。副隊長は各方面の振る舞いが優秀で、一番先に釈放されました。労動教養所の南大門を警備している元課長は、新任課長のやり方を見て、非常に感慨を覚えました。彼は一人の背の高い同修に対して、「新課長は私よりずいぶん賢いですね。私はあなたたち外部から来た大法修煉者に、特にあのじいさんに降格させられたと思っていましたが、実は私は自分で自分を降格させたのです。私は100パーセントの「転向率」にこだわりすぎました。私は李先生に申し訳ないことをしました。私は罰が当たりました」と言ったそうです。
大法弟子はL市労動教養所で正念を持って、正しく行った結果、邪悪の迫害を解体し、大法を力強く実証し、守り、また衆生を済度しました。
(続く)
(明慧ネット第10期中国大陸大法弟子修煉体得交流会原稿)
注:
[4] 李洪志先生の著作『精進要旨二』「理性」
[5] 李洪志先生の著作『転法輪』
[6] 李洪志先生の著作『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」