文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年1月18日】
4、知恵をもって真相を伝える
私の職業が特殊なため、私は他の大法弟子のように真相を伝えたことがありません。私が真相を伝え始めた時は、インターネットのチャットを利用し、会話をして伝えていました。時には効果が良かったのですが、良くない時もありました。その後は真相資料を配ることにしました。派出所にいた時、ほとんどの人は法輪功が何なのかさえ知らず、中共(中国共産党)が宣伝したことをそのまま信じていることに気づきました。そこで私は、常人に大法を紹介するための資料を同修に求めました。自分は警官で、ほとんどの人たちに顔を知られているため、夜、ポストに投函したり、ドアに貼ったりしていました。ある時、警官の制服のままで資料を持ち、道路に沿ってポストに投函していました。心が不安定になり、緊張していたため、投函しながら発正念をしました。師父は私を励ましてくださいました。ドアの内側から犬の粗い呼吸や爪でドアをひっ掻く音が聞こえてきましたが、吠えることだけはしませんでした。また、派出所の門にも一枚貼りました。朝、同僚が出勤してきて、皆に見えるように私は資料を机の上に置きました。
法を正す道が進展するにつれ、私は派出所で個人の資料拠点を設立し、中古のパソコンやプリンターを購入し、ネット上から情報をダウンロードし、さらにそれを編集して印刷し、現地の同修たちに提供しました。派出所を離れた後も、同修や現地の資料拠点からの器材の注文を私は任せられました。
私はそれほどのことはしていませんが、真相を伝えることも修煉の一つであることを体験しました。少しでも隙があれば失敗し、よい効果は得られません。ある時、私が作った資料「誰々の本音」を見た同修が「とても良くできていて、反響もよく、みんなが見たがっていました」と言い、「明慧編集部に送るように」と提案しました。そして明慧ネットがそれを掲載したため、歓喜心が現れました。しかし、2回目に同修が提供してくれたよい真相の情報資料を編集して作ったものは掲載されませんでした。プリンターも心性が少しでも乱れると、紙が詰まったり、空印刷だったり、パソコンも作動しなかったりします。平常心の時は、機械も正常に作動します。
5、同修と全体を形成し、ともに精進する
師父は「大法弟子は一つの全体であり」[2]とおっしゃっています。外に出るのが遅かったため、同修たちはよく助けてくれました。私は自分の仕事の特殊性を利用して、できる限り同修に協力したり、守ったりしました。ある時、同修が真相資料を配っていた時、真相を知らない人が通報してきましたが、ちょうど私が電話に出て、うまく対処しました。その後、このことを同修に話すと同修は喜びましたが、私は指摘すべきだと思い、「もし電話に出たのが私でなかったら、どうするのですか? 心性から原因を探すべきです。110番をする人がいない方がもっといいのではないでしょうか?」と言いました。
中共当局が法輪功修煉者の写真を集めて上層部に提出するよう、派出所に要求してきましたが、私はそれに従いませんでした。しかし、何事も起こりませんでした。上層部がそれを調査に来た時、私は空の箱を渡しました。検査員は「あれ、ここには法輪功修煉者は1人もいませんね」と言いました。ある日、私が仕事の報告をするために公安局に行った時、ちょうど国保(国家安全保衛)大隊の幹部と警察署員が当日の夜の行動(大法弟子を迫害する計画)について相談しているのを聞き、私はすぐに同修に連絡しました。すると次から次へと連絡が回り、結局その夜の警察側の行動は失敗に終わりました。
普段、私は仕事でよくパソコンと接するため、コンピュータにはとても詳しく、一般的なパソコンの故障は解決することができます。ある期間、同修のパソコンを修理したり、ソフトをセットしたり、ネットの操作を教えたりしていました。ある時、会ったこともない同修のパソコンが故障し、修理に行きました。しかし、何日かが過ぎて、また故障したので、他の同修は「あなたが持ってきたものが清潔ではないからだ(私が警官であることを意味する)」と言いましたが、私はそれを気にしませんでした。「私でなくても、別の人に頼んでもかまいませんよ」と言いました。また、ある時、同修のパソコンが壊れ、修理しましたが直りませんでした。私は自発的に「私に執着があるからだ」と言いました。その同修も自分の内を探し、それぞれに最近出てきた執着心をいくつか見つけました。何日かが過ぎて、以前より状態がよくなり、また、あの同修の家にパソコンを修理しに行きました。私を見た彼女は「パソコンが直りました。私はパソコンに『あなたは私の法器で、人を救います』と言い、邪悪を取り除き、正常に作動しだしました」と言って、私たちはお互いに笑いました。
6、師父は常に傍にいらっしゃる
師父は『轉法輪』「第三講・法輪大法の学習者はいかに功を伝えるか」の中で「すべての学習者にわたしの法身が付いており」と説かれました。修煉のすべては師父のご加護の下にあり、師父は常に傍にいらっしゃると悟りました。
前にも書いたように、私はいつも本を読んでいます。『轉法輪』の最後に「新しい学習者も古い学習者も、大法の中で修煉し、みんな功成って圓満成就できるように希望します! 皆さんがお帰りになってからも時間を無駄にせずに、着実に修煉するよう切に希望します」と述べられています。ある時、パソコンで『轉法輪』を読んでいると、「新しい学習者も古い学習者も」の後ろに、「そして誠実なXXX(私の名前)」が入っているのが見えました。目をこすってもう一度見ても、本当に自分の名前があり、私はとても嬉しくなりました。師父とはお会いしたことがないのに、私のことをすべてご存知なのです。そして、このことを同修に話すと、喜んでくれる同修もいれば「それは絶対に間違っています。『轉法輪』の中の一文字も変えてはなりません」という同修もいました。それを聞いて、とてもショックを受けました。もし間違っているならば、師父はなぜ私に見せてくださったのでしょうか? 「誠実な誰々」? の本の中にある「誠実」とは形式を重視し、真に修煉していない人のことです。おや、これは私のことではないでしょうか。本を読む前に手を洗い、ただ本を読んでいるだけだと分かっており、読む、読む、いつしか形式的になり、任務とみなし、本当に心に入っていたのでしょうか? 良い効果がありましたか? 私はまた「時間を切り詰めて修煉する」と、この言葉を何度も口にしましたが、私は本当に時間を切り詰めて修煉しているのでしょうか? とても大きな漏れがありました。師父は私がこの状態の中に長く留まっているのをご覧になって、私に警告してくださったのです。間違いに気づいた私は、大法の文字以外を削除しました。
私は真に外に出て同修と接触した後、夜、夢を見ました、師父が立って、弟子たちに説法をしていらっしゃいました。私が近づくと、師父は頷いて、「来ましたね」とおっしゃっているようでした。私に弟子たちの中に入るようにとの意味です。
不当な審査を受ける時、私が「少し恐れている」と見られた師父は、警官の口を借りて、私を励ましてくださいました。「もうこのことは過ぎ去ったことだ。君の将来は素晴らしいです!」と。しかし、意気地のない私は多くのことに執着し、当時はよく悟れず、乗り越えることもできず、不当に拘束され、師父に余計なご心配をおかけして、本当に後悔しています。
私が派出所を離れ、新しい環境に直面した時、師父はまた私を励ましてくださいました。自宅の窓に、植木鉢に、網戸に優曇華の花が1カ月ほど咲き続けました。
困難や困惑に遇った時、私はいつも法に則って考え、真の修煉者として正念で正しく歩めば、師父は私に代わってすべてを按排してくださり、私に知恵を授けてくださいます。このようなことは沢山あるため、これ以上は述べません。
師父は『二〇〇三年旧正月での説法』の中で「なぜならば、皆さんの個人修煉は全面的に衆生を救い済度し、大法を実証することに切り替えられたからです」と説かれました。今後はさらに精進し、真の正法時期の大法弟子として、真の慈悲を修め、多くの衆生を救い、師父の望みを、衆生の期待を裏切らないようにしたいと思います。
師父に感謝いたします! 同修の皆さんに感謝いたします! 不適切なところがあれば、ご指摘をお願いいたします。
注:
[1]李洪志師父の経文『大紀元会議での説法』
[2] 李洪志師父の経文『二〇〇七年ニューヨーク法会での説法』
(明慧ネット第九回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)