文/陝西省の大法小弟子
【明慧日本2013年2月3日】慈悲で偉大な師父、こんにちは! 全世界の大法弟子、こんにちは!
私は14歳で、弟は13歳です。昨年の夏休み、私達はおばあちゃんと一緒にC市の叔母さんの所に行きました。叔母さんの周りにたくさんの心の優しい人がいました。私達はこれまで、こんなに優しいおじいさんやおばあさん、おじさんやおばさんに会ったことがありません。彼らと接して、初めて彼らはみんな法輪大法の修煉者だと分かりました。彼らは私に大法の真相を話してくれ、三退の手続きもしてくれました。真相を知ってから、おばあちゃんも弟も私も大法修煉を始めました。
法を学んで、煉功をする
私の成績はあまりよくなく、特に数学の成績はほとんど不合格でした。クラスでいつも後ろからの成績で、私はそのためにとても苦しみました。昨年の冬休み、私は叔母さんと同修達について法を学び、交流をし、「明慧週刊」を読みました。そこで、法を学んで修煉することは最も重要な事で、他の全てはその次だと分かりました。故郷に戻ってきて、私はおばあちゃんと弟と法を学び、煉功を続けました。学校の勉強はとても大変ですが、しかし、私は修煉者が法から離れてはいけないとよく理解していました。昼は1時間の休み時間がありますが、私は毎日昼休みの30分から45分を利用して法を学びました。それで、午後の授業は、私はとても元気で、1時間昼寝をしている学友よりも元気いっぱいでした。師父が私を加持してくださっていることが分っていました。
夜、帰って来て、宿題をする以外、私は弟と煉功を堅持しています。最初の頃、私は両足を30分しか組めなかったのですが、数日後、1時間組めるようになりました。座禅する時、足が痛くて、涙も出ましたが、しかし、私は決して下ろさないで、歯を食いしばって我慢しました。心の中で『轉法輪』の「わたしがむかし修煉していた時、多くの高人がこんなことを言ってくれました。『忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる』。実際その通りです。皆さんはお帰りになってからぜひ試しにやってみてください。本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試してみてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと「柳暗 花明 又 一村」というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません!」 [1]と暗唱しました。今、私は3時間足を組んでもそれほど痛くなく、弟も1時間半組めるようになりました。
勉強が忙しくて、時間はあまりありませんが、しかし、私達は堅持して、お互いに励まし合って頑張りました。法を学ぶことと煉功することによって、師父は私の知恵を開いてくださいました。私の成績は短い間にぐんぐん伸びました。今、私の成績はクラスの60人中第4位で、学年の300人以上の中で8位になりました。いままで、私は数学が一番苦手でしたが、今はどの問題も簡単で、先生も同級生も私の進歩をしきりに褒めました。
心身の変化
修煉する前、私と弟はよく風邪を引いて熱を出しました。私は気管支炎もあり、普段から体力がなく、歩いたり走ったりすると、いつも息苦しく感じました。毎年、私と弟の治療代は結構な出費となっていました。修煉して1年足らずで、私のこれらの症状が全部なくなり、無病の幸せを、身を持って体験しました。弟の性格も変わってさらに良くなり、もっと我慢強くなりました。私の性格もよくなりました。昔、誰かが私に失礼なことをしたら、私はその人を絶対許しませんでした。たとえ私に理がなくても、私は自分の非を認めようとしませんでした。特に男の子が私にケンカを売って来たら、私は上の階から階下へ追っていき叩きました。学友達は陰で私を「女の虎」と呼んでいました。なのに、私は自分が凄い、強者だと自慢していました。あの時の私は師父がおっしゃった「身体は松の匂いがぷんぷんするのに、本人は良く練っていると思い込んでいるのです」[1]の通りでした。
修煉して、初めて自分の闘争心が強すぎ、心が狭すぎたことに気づきました。大法弟子として、「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」 [1]をやり遂げ、宇宙の特性の「真・善・忍」に基づいて行動し、本当のいい人にならなければならないと分かりました。法理を分かれば、今までの自分はどんなに酷くて無知なのかが分かりました。そこで、私は法理を用いて自分の心を正し、時々刻々法で自分の行為を照らし合わせました。いままで、私が手を上げるだけで、隣の子はびっくりして逃げてしまいそうでしたが、今、隣の子にいじめられても、ののしられても、私は黙ってなにも言わず、彼に笑顔で対応します。学友達はみんな私が別人のようになり、教養があって礼儀をわきまえて、優しくて可愛くなったと言いました。また古代の女の子に似ていて、現代の子と雲泥の差があるとも言われました。
真相を伝えて、衆生を済度する
私は周りの学友や道で歩いている通行人を見て、こっそり涙を流しました。彼らは迷いの中に生き、こんなに辛くて、大変なのに、自分が共産党の邪霊に深く毒害されていることに気づかず、大法の真相も聞けない、この世に来る前の場所に戻れないと思うと、心の中は悲しくてたまりませんでした。私と弟は出来るだけ周りの縁のある人を救おうと決心しました。最初に、私は周りの学友に大法弟子の歌の「あなたのために来た」、「縁が至る」を歌いました。私は涙を流しながら歌いました。学友たちも聞きながら涙を流しました。彼らはその歌を教えて欲しいと言って、最終的にみんな三退しました。
ある日、先生は私達に「私の秘蔵」という題名で作文を書かせました。私は真・善・忍を作文に書きました。私は、真実を言う、真の事をすることは最も貴重な品格で、善を守ることは最も大事なことだと書きました。また、我慢することは弱々しい振る舞いではなく、古来成功を収めた人はみんな大きな忍の心をもっていること、また師父の『轉法輪』の韓信が股くぐりで辱められたという典故も引用しました。この作文は先生達が口を揃えて評価してくれました。
私は体育の授業の時、よくグランドのそばにおじいさんやおばあさんが座っているのを見ました。私は彼らの所に行って真相を伝え、そして彼らに「法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい」をしっかり覚えるようと教えました。党、団、隊に入ったことのないおじいさんやおばあさんはこの言葉を覚えてくれて、党、団、隊に入ったことのある人は喜んで退きました。弟も周りの学友たちに真相を伝え、三退もさせました。
週末の夜、宿題を終えると、私は弟と何本かのチョークを持って道路や団地の中で真相スローガンを書きました。弟は発正念をしたり、見張ったりして、私はあちらこちらに「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」、「党、団、隊を退いて、平安を守ろう」、「江沢民を処罰せよ」、「天は共産党を絶滅する、三退して平安を守る」などを書きました。私達はまた学校と公安局住宅地にスローガンを書きに行きました。教科書には「天安門の焼身自殺の偽事件」があるため、私は学生達を毒することは絶対許さないと思って、壁に「法輪大法は正法です。天安門焼身自殺は偽りだ」、「世界は真・善・忍を必要としている」と書きました。翌日、私達が書いた真相スローガンがまだあるかどうかを確認に行ったら、学生と通行人がその真相スローガンを見ているのを見ました。私達は心の中でとてもうれしく思いました。大法小弟子として、やるべきことをやったからです。
大法の奇跡
ある日のお昼ごろ、弟は彼の学友達といっしょにバスケットボールで遊びました。しばらくしたら、「危険」が起きました。弟はボールを取ろうとした時、高学年の先輩に奪い取られ、弟の右の目に当たりました。弟は「法輪」がボールを遮ってくれたのを見たそうです。ボールは目にあたってまた飛ばされました。
また一度、弟は学友と遊んでいるとき、1人の学友が不注意で指が弟の左目に入りました。弟は痛くて手で目を覆って、しゃがみました。先生は病院に検査に行きなさいと言いましたが、彼は大丈夫だと言い、心の中は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じました。しばらくしたら、目は完全に回復して正常になりました。
入団を拒絶する
私は今学期の成績がよかったため、先生と学友は何度も私に入団(共産主義青年団)するように勧めました。「あなたは成績がいいから、入団の資格がある」と言われました。私は「よく勉強する目的は入団するためではありません。私は入団しません。放棄します」と答えました。家に帰ってから、私は正念を発して師父にお願いしました。夜の自習時間に、私は再び態度を表明したら、青年団の支部書記はとてもあっさりと入団しないことを承諾してくれました。その後、再び入団の話をする人がいなくなりました。
修煉する前、私は人生について考えることが好きで、神話などの物語を聞くのが好きでした。私はいつもなぜこの世に来たのか? 何のための人生なのか? と自問しました。修煉してやっと分かりました。人は法のためにきて、「返本帰真することこそ、人間としての本当の目的です。」[1]。私達は法を得るために来たのです。
残念なことに私達が法を得たのは遅すぎました。しかし法を得る機会のない人に比べたら、私達はまだとても幸運です。私達はきっとこの貴重な時間を大切にして、いっそう努力して、旧い同修について三つの事をしっかりと行って、この千載一遇の機縁を大切にします。
適当でない所があれば、同修のご叱正をお願いします。
合掌
注:
[1]李洪志先生の著作『転法輪』