文/ベルギーの大法弟子
【明慧日本2014年3月16日】師父、こんにちは! みなさん、こんにちは!
私はベルギーの修煉者です、今から今年の神韻の宣伝の中で、全体の協力で衆生を救ったことを師父に報告したいと思います。
今年の神韻が始まる頃、私と他の何人かの同修たちはなかなかやる気が出ず、いつものように三退の活動に忙しくしていました。クリスマスが近づくと、今年は自分のことに執着していたと、突然気づきました。何よりも先に師父が求めることを圓溶すべきなのです。しかし、神韻のことをし始めると、すぐに全体の協力という問題と直面し、目で見たものや、耳で聞いたことなどは、全て協力に関することばかりで、このような心性上の問題が神韻の宣伝の大きな妨げになっていました。
ある日、全世界RTC救援チームで学法していた時、あるカナダの同修がこちらの状況を訪ねてきて、私のネガティブでやるせない感情を感じ取り、私に「あなたは早く法を得て、法を学ぶ時間も長いので、法理に基づいて、皆と交流すべきです。協調人が忙しい時、あなたは静かに補い、同化することもできます。これは、師父が同修の口を使って私に教えているのだと感じ、すぐに元気になりました。
私は師父のある説法を思い出し、探し出しました。「神韻のチケット販売は実は、現地の学習者の修煉状態をも反映しており、私は非常にはっきりと分かっています。その学習者、その地区の状態は必ずそのままチケット販売の状況に反映されます。皆さんがよく修煉できていないと言っているのではなく、現れたのは皆さんが互いに協力し合うときの状態であり、このことは神韻公演のチケット販売にはっきりと見られます。学習者の協調が非常に良くとれる地区があり、しかも数人の学習者しか関わっていないのに、人は多くないのに、非常に効果的に行なった地区もあります。」[1]
この説法の中で、神韻のチケット販売は、私達の修煉状態と協調の状態に直接関わっていると、師父がすでに伝えていることに気づきました。
この時、チームにいる別の同修が師父の説法の一段落を張り出しました。「やり方にマイナスのところがあるとあなたは既に認識しました。ですから、相手はそれを受け入れませんでした。受け入れなかったのは、その人にも常人の心があるからです。大法弟子として、双方とも正しく認識すべきかもしれません。大法弟子はどんなことに対しても真正面から取り組むべきです。相手の良くないところを見るのではなく、いつもその人の良いところを見るべきです。実は皆さんご存知でしょうか。当初私が皆さんに大法を伝えていた時、講義中に在席の人から多くの常人の考えが現れてきました。非常に良くない考えを持っている人もいました。しかし、私はそれを全く見なかったのです。私は皆さんの良い一面だけを見ており、それで私は皆さんを済度することができます。もし皆さんの良くない一面ばかりを見ていれば、どのように皆さんを済度するのでしょうか? 見れば見るほど腹が立つなら、どのように皆さんを済度するのでしょうか? ですから、如何なる情況下でも、常人の行動と常人の心に動かされず、この世の情にも動かされないでください。相手の良いところを多く見て、良くないところをあまり見ないほうが良いのです。」[2]
それを見て、私達の協調がうまく行っていない原因を直接示してくださったと、私は感じ取りました。自分で探るまでもなく、師父が同修に見つけさせてくれたのです。まさにその通りです、普通の学習者として、私も黙々と圓溶することができるのです。そして私はすぐに師父のこの二段落の英文の説法を大きいチームのメールボックスにおくりました。
その後、明慧ネットに載っている全体の協力に関する特に良い文章を見つけた時、私は英文のURLも一緒にメールで送りました。神韻の期間は特に忙しく、毎回の全国の学法や広範囲の交流の中で、心性についての交流はあまり時間がありません。しかし、適度にメールすることで、この最も重要な欠陥を補えるのです。師父の法力に限りがないため、すぐに同修たちの言い争いが減るのを感じました。以前ほど、自分たちの意見に固守することがなくなり、誰かが他の同修に不満を抱いたとしても、他の同修がすぐに「これはマイナス思考ですよ」と注意することが出来ました。そして私自身もたくさんのマイナス思考を取り除くことが出来ました。
たとえば、元は精進していた同修で、以前は法を正す各活動に積極的に参加していましたが、今回の神韻の活動の初期に、彼女の意見のほとんどが却下されたため、不満を抱き、気持ち的にもマイナスで、活動等に彼女の姿をあまり見かけませんでした。最初、私も他の同修とともに不満を抱き、焦っていましたが、学法をしていくうちに、すぐに自分たちの「マイナス思考」問題に気付くことが出来ました。まずは自分の中にある同修に対する悪い考えを取り除かなければなりません。もしかすると、同修は別のことをしていて、私にこのような虚像を見せ付けているだけなのかもしれません。各修煉者には師父の法身がついており、真に修める弟子は皆きちんと行うことができるのです。
このように自分の内に向けて探し、修めていくと、この心理はすぐに無くなりました。そして、その後すぐに、その同修は家で、神韻の宣伝媒体の製作に忙しいことを知りました。そして、私のマイナス思考がまた出てきました。今では、ネットに上がることが出来、私達神韻を広めている者は皆iPadやMP4等を持ち歩き、そんなにたくさんのCDは必要ありません。人手が少ない今、家でCD作りする必要はないのです。
このような考えがあったために、全国での学法の時に、CDをもらう者が少なく、あってもなくてもかまわず、時には余ってしまうという情景が私の前に現れました。皆もマイナス思考を重視し始め、すぐにこの問題での負の思考に気づいた私は、直ちに師父の法で自分を正し、師父の負の思考に関する説法を何度も読み返しました。そして、同修がどのような方法でやってもかまわないのだと悟りました。富裕層地区でのポスト投函やポスター張り、CD作りなど、我々が法に基づいて行えば、師父はきっと縁のある者を我々の所につれて来てくださるのです。ここまで考えると、私はこの心理を放下しました。するとすぐに、他の同修がこのCDの良さを口にしているのを耳にしました。その同修も各活動に参加するようになったのです。師父、ありがとうございます。私は再び、内に向けて探すことの素晴らしさを体験しました。
そのほか、今回の神韻宣伝の期間では、開演のおよそ二か月前に、私は些細なことである同修と心性上での摩擦を起こしました。5,6回の激しい衝突もありました。毎回涙を流しながら自分の内に向けて探し、問題を見つけ、無くしましたが、何日かすると、また新たな問題が起こりました。矛盾が見えた時、これは精進する機会だと喜びました。家族と同修の助けのもとで、自分では見つけにくい共産党の要素や、自分中心、顕示心理などを見つけました。見つける度に、それは無くなりましたが、しかし、矛盾はまたやってきて、全国学法の時に、他の同修たちの前で争い、いらいらしました。帰宅途中、同修である夫は、私の面子を重んじる心理や、名誉を求める心理を見つけ出してくれて、師父が私の容量を広めていることに気づき、心に詰まっている物が一気になくなりました。
その後、何度も襲ってきては、私は包容と無私、思いやりで向き合いました。しかし、事態は更に収拾のつかないことに発展しました。たくさんの西洋人同修の私への態度が変わり、メールも返さず、私を見る目から怒りを感じました。今回、他空間の邪悪が私たちを囲んでいることを感じました。これらの事は私達の個人修煉だけでなく、法を正すこと、衆生を正すことに向かってきているのです。なぜなら、それらの同修も妨害され、神韻の宣伝活動にもあまり参加しなくなったのです。
この時、私はかつて暗記した師父の『道法』を思い出し、理解しました。この時もう一人の同修からの交流メールを受け取りました。最近彼女の身に起こっている心性での摩擦に気づき、皆への警告なのです。そして私は師父の『道法』の経文と他の関連のある説法をチームに送りました。邪悪を排除し、発正念を強め、同時にその同修を助けるようにと皆に注意しました。それから、神韻が終わるまで、「矛盾」は起こりませんでした。
今年は私達が全体の協力を重視し、うまく力を合わせられない要素を排除し、そして邪魔を排除したことなどで、神韻のチケット販売は成功し、高価なチケットが良く売れて、チケットを買いたい人が現場に来て待つなどの状況が見られました。
師父のご加護と啓示に感謝いたします。ただ普通の修煉者であっても自分を修め、全体に協力し、神韻宣伝の中で急速に精進することもできることに気づきました。
個人の悟りに限界があるので、不適当なところがあれば、指摘をお願いします。
ありがとうございました。
(2013年欧州法輪大法修煉体験交流会での発表原稿)
注:
[1] 李洪志先生の経文「新唐人テレビ討論会での説法」
[2] 李洪志先生の著作『二〇〇三年元宵節での説法』