譚さん夫婦 |
【明慧日本2014年3月20日】湖南省長沙市の法輪功修煉者・譚香玉さんと夫の謝務堂さんは法輪功を学んでいるとの理由で、中共(中国共産党)当局に刑務所に拘禁された。譚さん夫婦は刑務所でさまざまな迫害を受けた末、謝さんは2011年に死亡し、譚さんは先月14日に死亡したという。
譚さんは同省双牌県の南嶺化学工業工場を定年退職した。譚さん夫婦はかつて、脳動脈硬化症、高血圧、腰椎症、胃病などを患い、特に謝さんはリウマチ関節炎で全身を痛め、譚さんは十数年にわたって慢性気管支炎、肺気腫で苦しめられていた。
譚さん夫婦は1996年6月に法輪功に出会い、学び始めた。その3カ月後、夫婦ともに元気になり、病気が消えてしまった。
しかし、1999年7.20、中共政府は法輪功への弾圧を開始した。譚さん夫婦は法輪功を学んでいるとして、地元の派出所の警官や住民委員会の人員に騒ぎ立てられ、修煉をやめることを強いられた。夫婦は法輪功の修煉を堅持したため、24時間監視され、レンガで自宅のドアを封じられるなどの嫌がらせを受けた。仕方がなく、夫婦は家を離れた。
2001年1月、譚さん夫婦が自宅に帰ったが、自宅で夫の謝さんは警官に連行され、労働教養所に入れられた。
2001年3月のある日の夜中、譚さんは孫と一緒に寝ていたとき、警官数人に不法に家を侵入された。警官は幼い子供がいるにもかかわらず、何の証明も提示しないまま、譚さんを強制連行した。
その後、譚さんは労働教養処分1年を下され、株洲市白馬リュウ女子労働教養所に収容された。教養所で譚さんはさまざまな迫害を受けた結果、肺結核、胸水の症状が現れ、危篤に陥った。同年9月、譚さんは「一時出所」の措置を受け、帰宅した。夫の謝さんも教養所の迫害で脳卒中になり、「一時出所」で家に帰った。
帰宅した譚さん夫婦は法輪功を学び続け、健康状態は快方に向かっていたが、警官に連行され留置場に15日間拘禁された。
2003年8月22日、譚さんは長沙市天心区公安分局の警官に連行され、10数時間の自白強要の拷問を受けた。
2004年6月、長沙市天心区裁判所は譚さんに懲役3年6カ月の実刑判決を言い渡し、11月に譚さんを省女子刑務所に送り込んだ。
刑務所で譚さんは暴力的な洗脳を受け、奴隷のような労働を強要された。迫害により、譚さんは2005年9月、肺部に穴が開き、肝臓の病気により全身の皮膚が黄色くなり、吐血した。また、足が腫れあがり、食べものを食べられず、歩けず、痩せこけ、意識もうろうとなった。医者は「重い肺結核、黄疸性肝炎」と診断したため、刑務所側が「一時出所」の手続きを許可した。
譚さんは帰宅後、法輪功の本を読み、功法を練習し、健康を徐々に取り戻した。再び連行を避けるため、譚さんはまた家を離れた。しかし、2006年12月、刑務所側は譚さんを再び刑務所に収容しようとして、譚さんの行方を追った。刑務所の警官は「今度、譚香玉を捕まえたら、譚香玉が死んでも刑務所から出さないぞ」と言った。
2007年7月14日、 譚さん夫婦は天心区国保(国家安全保衛)大隊の警官に連行された。そして、譚さんは直接、省女子刑務所に送り込まれた。譚さんは刑務所に入って、5カ月間ひどい拷問を受けた。2007年12月16日、刑期満了となった譚さんは粟粒結核になってしまい、3度目の危篤に陥った。
連行された謝さんはその後、裁判所に懲役4年8カ月の実刑判決を言い渡され、2008年2月に常徳市武陵刑務所に収容された。刑務所の迫害で謝さんは尿毒症、前立腺増殖症、冠状動脈心臓病、高血圧などの症状が現れ、前立腺ガンだと診断された。
それで、家族は再三、刑務所側に謝さんに治療を受けさせるため、「一時出所」の手続きを申請したが、刑務所側は謝さんが「三書」を書くことを拒否したという理由で「一時出所」を却下した。
2010年2月、謝さんは危篤に陥り、3月1日になって長沙病院に搬送された。医者は「前立腺ガンがすでに全身の骨に転移し、手術もできなくなった」 と話した。それで刑務所側はやっと謝さんの「一時出所」を許可した。しかし、帰宅した謝さんは1年あまり病気に苦しめられ、2011年4月12日に無実の罪が晴れないままこの世を去った。享年71歳。
譚さんは刑務所から出た後、ずっと地元の610弁公室の警官に騒ぎたてられた。譚さんはかつて、刑務所の迫害により肝不全になったことがあり、2012年の後半から、身体の異変を感じ、病院に行き、肝性腹水症だと診断された。徐々に病気を悪化した譚さんは先月14日に死亡した。
譚さん夫婦は善良で心身ともに健康で幸せな生活を送っていたが、当局の迫害で夫婦ともに亡くなったという。