文/蒼宇塵埃
【明慧日本2013年4月8日】私はある同修の文章『何を実証するのか? ◎師父評註文章』を読み終えた後、『悲しい先知者』というブログを思い出しました。そのブログの名前は「遠伯」と「先知者」と言いました、私はこの二つブログの文章を読んだことがありますが、やはり、師父の名をかたったり、はったりをきかせて人をあざむいていました。騙された人も似たような行動を現しており、彼らを崇拝していました。実はしっかり学法すれば、彼らの言った多くの話は嘘だとすぐ分かるはずです。例えば、「先知者」は人を騙すために、「師父に手伝い法を正す、法の中に何か足りない部分があれば、私は円融できます。」と話していました。これだけで、もう大きな罪になるのです。私達は学法を通じて知っていますが、この全宇宙の中のそれぞれの次元の神は、この大法のすべてを分かるわけがありません。大法弟子が修煉の中で悟った法理はそれぞれ次元の中での法の現れであり、しっかりと修煉している大法弟子でも、この大法から修めて出来上がっています。師父は何回も「法は圓容であり、今までの宇宙の健全ではない要素は今回法を正す中で全部円満に解決されました。」[1]と語りました。「先知者達」は図々しくも「法の中に何か不足があります」と言います、こんなことまで言える人がどんな人なのか、考えれば分かるはずです。
好奇心に動かされないようにしてください。修煉の道には手本がありません。人の真似をしてはいけません。法を学ばなければなりません。大法弟子は師父が見守っている中で、さまざまな困難を切り抜けて、今日まで歩んで来ました。師父はこの宇宙の根本的な大法を私達に教えられ、私達は大法の基準に基づいて判断すれば、疑惑がないはずです。物事の善し悪しも分かるでしょう。大法の法理に符合すれば、直ちにやります。符号しなければ、断固として排除します。
個人的な悟りであり、適切でないところがあれば、ご慈悲に指摘してください。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『各地の説法五』「二〇〇四年米国西部法会での説法」