【明慧日本2014年4月17日】雲南省曲靖(きょくせい)市の法輪功修煉者・彭平国さん(52)は、1998年に法輪功を学び始め、心身共に健康になった。彭さんは度量が広くなり、親切で善良な人であると近隣の人々に知られている。
しかし、彭さんは中共(中国共産党)当局の警官により不当に連行され、判決を下された。雲南省第一刑務所に拘禁された彭さんは毎日、薬(血圧を下げる薬)の服用を強要され、頭痛・めまい・狭心症・両足の浮腫みなどの病状が現れた。
拷問のイメージ図:強制的に薬物を注射される |
2010年12月3日、彭さんは懲役4年の不当判決を宣告され、雲南省第一刑務所に拘禁された。
以下は、彭さんが刑務所で受けた迫害の経歴を述べたものである。
強制労働、薬物迫害
拘禁されて10日後、彭さんは雲南省第一刑務所第10監獄区に拘禁された。刑務所に着くと、すぐに刑務所の病院で身体検査を受けた。医者は私に「血圧が高い、薬の投与と点滴が必要だ」と言った。警官は2人の監視役を配置し、24時間体制で、毎日、私に点滴と薬の服用を強要した。毎日大きい瓶と小さい瓶を1本ずつ、約1時間半かけて点滴を行い、どんな薬かも教えられず、点滴は1カ月近くに及んだ。ある日、点滴を受けると顔がとてもかゆくなり腫れ上がった。しかし、監視役は「大丈夫だ」と言った。
健康な私が毎日3回、薬を服用するように強制された。私は間接的に4種類の薬物名を知ることができた。
これらの薬を飲むと、頭が割れそうに痛み、めまいや狭心痛も伴って、足が腫れ上がる。監視役は減刑などの条件に誘惑され、私がその場で確実に薬を飲まなければ気が済まない。四川省西昌市の法輪功修煉者・方征平さんも同じく、牛乳と食事の中に薬を混入されていた。
1カ月後、私は縫製作業場で包装作業を強いられた。彭さんは朝から晩まで、長期にわたって薬を服用しているため、頭がぼうっとして痛く、ある日転んで顔を負傷した。
拘禁期間中、警官は私に修煉を放棄する旨の書類・保証書を書くように強制した。
当時、同監獄区に拘禁されていた四川省攀枝花(はんしか)市の法輪功修煉者・蒋光富さん(70代)は、3年間迫害を受けて、私が出所する前に解放された。
私は刑務所で3年間、電話をかけることも許されず、家族と面会できたのは3回だけだった。私は昨年5月4日に帰宅したが、出所前日まで薬を服用させられたため、思考が鈍く、記憶力は低下し、頭はぼおっとしていた。帰宅後、家で法を学び煉功を続けて回復した。
「血圧を下げる薬」の正体
帰宅後、私は4種類の薬を調べた。また専門医に尋ね、結果を聞いて驚いた。「これらの薬は、たとえ重度の高血圧患者が服用したとしても副作用はとても大きい」と言われた。
しかも、「任意に組み合わせて同時に服用してはいけない」と医者は説明した。私は1日に3回、3年間服用させられたことを話すと、医者はびっくりした表情で「正常人が長期にわたって服用すれば、全身器官の機能が乱れ、最後に意識がもうろうとなり、危篤に陥り死亡する。即ち慢性自殺することだ」と言った。
全世界の正義の声が絶えない状況下で、刑務所は表では法輪功修煉者を迫害する勇気はないが、陰での迫害はずっと続いている。もし法輪功を修煉していなければ、今日の私は健康に生きることはできないだろう。
多くの法輪功修煉者は迫害の下で貴重な生命を失った。前に言及した四川省の方征平さん、雲南省第2女子刑務所に致死させた玉渓市の沈躍萍さん、文山壮族苗族自治州丘北県の楊翠芬さん…。
以下は、彭さん自からが述べた内容である。
法輪大法を学んで人生が新しく生まれ変わった
私は長男で、小さい時から家庭の重荷を引き受け、そのうえ家の経済状況も貧しく、生活のプレッシャーの中でいつも心のバランスが取れず、落ち込んでいました。
1998年に法輪大法を学んだ後、価値観が変わり、私は李洪志先生の「真・善・忍」の教えに従って良い人になり、もっと良い人になることを知り、以前の心の不満などが消え、自分の両親、舅、姑と全家族に優しく対処し、至る所で法輪大法の修煉者であることを忘れず、周りの皆が認めてくれました。
私達の家族全員が法輪功の恩恵を受けて、睦まじくなりました。
理由なく連行され、拘留される
2010年3月26日、私と妻は街市場に行っていたところ、馬街派出所の警官に呼び出され、派出所に着くと、警官は私の家財を没収しようとしました。私が派出所に行く前に、警官はすでに私の家を包囲していました。妻が帰ってドアを開けたとたん、警官らは一斉に押し入り、何の証明書も提示せずに部屋を荒らし回りました。李洪志先生の写真・法輪功の書籍・煉功テープ・CD・法輪功の資料・お守り・テープレコーダーなどを没収され、いかなる明細書もくれませんでした。
私は陸良県留置場に1カ月間、拘禁されました。
不当連行、判決を下される
私は陸良県留置場から家に帰って間もなく、2010年5月17日、妻と田植えをしていた時、陸良県公安局の警官から「聞きたいことがある」と言って、電話で馬街派出所まで呼び出されました。その日、私は帰ることができませんでした。
私は陸良県留置場に拘禁され、毎日、ビーズでネックレスなどの装飾品を作る労役を強制されました。毎朝7時に作業が始まり、ノルマを完成できなければ、睡眠をとらせずに終わるまで働かされます。私は視力が悪いので、糸通しがうまくできず、ノルマを満たさなければ殴られました。警官は受刑者に指示して、私の肋骨を青くなるまで殴りました。
この時、陸良県610弁公室・県公安局・国保(国家安全保衛)大隊の警官は、私に5回以上、尋問を行いました。他の法輪功修煉者の連絡先を自白するように強いられ、「言わなければ厳しい判決を下すぞ」と脅されました。
10月末、曲靖市中級裁判所(高裁にあたる)は私に対する不正裁判を行いました。家族にも知らせず、私の妻は他のルートで情報を知り、自ら傍聴に来ました。法廷で私は話すことも許されず、当日は判決を下されませんでしたが、12月3日、懲役4年の判決文が送られてきました。