文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年5月12日】私は70代の大法弟子です。中年から、病気のせいで、身体が衰弱して呆けており、気持ちよく暮らした日々はほとんどありませんでした。
大法を修煉し始め、師父のご加護で、私の体は健康で丈夫になりました。歩くときの勢いは風のように元気です。体が軽くなったようで、疲れを感じなくなりました。よく知り合いの人に「あなたは顔色がよくて、私達より健康状態がいいですね」と言われます。ほかの人に「あなたはいくつですか?」と聞かれて、私は「今年で74歳になります」と答えますと、みんなは「60代にしか見えません。」と言いました。こんな時、私は法輪大法のおかげで、私の心身に変化が現れてきたと、大法の素晴らしさを必ず皆に伝えています。
ここ1カ月、突然、自分が老けていることに気づきました、前から、使っていたメガネが突然、使いづらくなったり、耳が遠くなったり、人の話を聞くときに、よく邪魔をしたり、歩くときに、膝が痛くてしびれたりします。体の重心が崩れて、精神状態が朦朧としてきました。
私は「急に老け顔になったが、これは偽りの現象だ」と思い、本当に「老けている」のではないと堅く信じていました。師父は『轉法輪』の中で、「真の煉功者としては、高い次元に立って物事を考えなければならず、常人の考え方で物事を考えてはいけません。病気だと思えば、本当に病気を招いてしまうかも知れません。なぜなら、病気だと思った時、あなたの心性は常人と同じ高さになったからです。煉功と本当の修煉の場合、特に先程述べた状態では、病気に至ることはありません」と説かれました。
自分の修煉状態を法に基づいて探してみれば、「病気ではないことははっきり分かりますので、一体どこかに問題があるのだろうか?」と考えました。学法を通して、内に向けて探してみると、自分の人心のせいだと分かりました。人心で「煉功すれば衰える現象を緩めることができる」と認識しています。これは常人の観念です、当然、老けるのです。自分が人に若く見えることを褒められた時、自慢したり、いい気になったり、歓喜心まで生じてしまいました。よく鏡に自分を映したり、顔のチェックをしたり、外見を重んじすぎました。自分の老けている様子が修煉者の名誉に影響するかどうかと心配しています。そして、怖がる心が生じました。「歓喜心」と「怖がる心」はすべて常人の心で、修煉者は必ず放下しなければなりません。
この、1カ月の難を乗り越えて、体と精神状態は元通りになりました。今思い出してみると、非常に情けないと思います。私は修煉を始めて、10数年にもなったのに、外見ばかりを重んじていました。今後、大法を修煉する中で、すべては師父の按排に従って、しっかり三つのことを行い、師父と一緒に家に帰ります。