【明慧日本2014年6月3日】大連市の法輪功修煉者・楊春玲さんはひどい迫害を受け、4月2日に亡くなった。その日に、40歳になったばかりだった。28歳から40歳まで、人生のすばらしい時期の10年余り、楊さんは中共(中国共産党)の刑務所の中で過ごした。6日の朝6時に楊さんの遺体が火葬された時点で、刑務所に拘禁されている夫はまだ妻の死を知らず、家にいる姑にも全く情報が入らなかった。楊さんの実家には70代の父が一人きりとなった。
一、遺書の中で受けた迫害を暴く
楊さんは母の董宝新さん・妹の楊春華さんと一緒に法輪大法を修煉している。楊さんの母は修煉する前に多くの病気を患っていたが、修煉してから心身ともに健康になった。
2000年12月、楊さんと母・妹は大連市で法輪功の資料を制作していた時、警官に連行された。楊さんと妹は脱け出せたが、母の董宝新さんは撫順市労働教養院に送られ、残酷な迫害を受けた。2001年1月、楊さん親子3人は借家で大連市侯家溝派出所の警官に連行され、鉄柵に昼夜閉じ込められた後、大連市司法局戒毒所(麻薬中毒回復所)に連行された。2002年4月、楊春玲さん・楊春華さんは再び大連市で連行され、不当に労働教養2年を強いられ、悪名高い馬三家労働教養所に拘禁された。その後、それぞれ6カ月と4カ月拘禁を延長された。
2005年9月5日、遼寧省遼陽県のCATVで『共産党について九つの論評』が1時間30分にわたって割り込み放送された。中共は直ちに、国安のスパイ・公安などを利用して法輪功修煉者に対して待ち伏せ・電話の盗聴・住所調査などを実施し、大量の資金を使用して人員を買収した。大連の法輪功修煉者の陳明慧さん・曲桐林さん・呂開利さん・張偉さん・楊本亮さん・楊春玲さん・曹玉珍さん・朱本富さん・孫敬美さんなどが相次いで連行され、重刑を下された。楊春玲さんは命令に従わないとして、2005年10月13日に入室した警官に殴られ、腕を骨折した。
以下は、楊春玲さんが生前に書いた内容である。
1、遼寧女子刑務所で受けた迫害
2006年、私は不当に懲役7年を宣告され、遼寧省女子刑務所(大北刑務所)に拘禁されました。この前、私の右腕は警官の連行された時に骨折しました。留置場で、私は8カ月以上断食したため、刑務所へ送られた時、体調不良で3回入所を断られました。その後、関係の警官は事前に大北刑務所に行き、コネをつけて私を大北刑務所に拘禁しました。
刑務所で、警官は毎日、邪悟者を私の前に来させ、私の耳のそばで邪説を読み上げます。彼女たちが邪説を読む度、私は「法輪大法は素晴らしい!」と叫んで排斥します。クリスマスの時、刑務所は労役の残業を強制し、私は「法輪大法は素晴らしい!」と叫んでそれに抗議したため、受刑者・趙燕に口を覆われて地面に倒されました。そのため、私の右腕は再び骨折しました。警官はずっと扉の向こうで見ているだけで、阻止しませんでした。
私は労役の残業に協力しないため、何日にもわたって監視され、睡眠を許されませんでした。
2、馬三家労働教養院で受けた迫害
2002年5月、私は人に陥れられて労働教養2年を科され、悪名高い馬三家教養院に送られました。私は警官の便所に監禁され、睡眠させず、ずっと監視されていました。その後、本渓・錦州・大連・瀋陽など教養院に転々と移送され、洗脳を強制されました。
期間中、私は警官に頭の髪の毛を掴んで壁へぶつけられ、頭上に卵大きさの瘤ができたため、2カ月ほど血が止まらず、片側の顔が黒く腫れ上がりました。警官は真相を隠すため、家族との面会を許さず、しかも「お前は真理を堅持するのか、煉功を堅持するのか」と言いました。
拷問の実演:壁にぶつけられる |
彼らは私の両足を組んで縄で36時間縛りつけました。私は意識がぼんやりとしてはっきりできない状態でした。
拷問イメージ図:両足を組んで縄で縛りつけられる |
彼らはシーツを捩じって縄にして、本渓市の張さんの首を強く絞めつけて、窒息させました。しかも、何回も繰り返しました。私は不当に刑期を5カ月延長されました。
二、妹の楊春華さんの証言
楊春華さんは「テレビで『共産党についての九つの論評』を放送成功は、中共当局を驚かせ、1級の重大事件と見なされました。1カ月後、放送に参与した8人の法輪功修煉者、全員が連行され、重刑を下されました。姉の楊春玲は懲役7年を宣告され、 楊本亮さんは11年の不当判決を下されました」と述べた。
妹の楊春華さん |
春華さんは次のように述べた。「連行当日、彼らは姉を地面に押さえて、体の上に乗って殴り続けました。姉は外に飛び出して、救援を呼びかけ、『法輪大法は素晴らしい』と大声で叫びましたが、すぐ監視役に引っ張り戻されました。彼らはテープで姉の口と頭部を幾重にも巻き付けて、鼻さえ貼り付けて、引き続き暴力を振るいました。姉は呼吸できず、一晩中殴られ、すっかり様子が変わり、足はびっこを引き、腕を2回も骨折しました」
「迫害の中で、姉は依然として自分に暴行する人達にも法輪功の『真善忍』の道理を伝えました。当時、監視役の1人は凶暴な殺人犯で、いつも致死させるほど人を殴りました。ある日、彼は『私は出所したら、私も暴力をやめる、あなた達の法輪功を学ぶ』と表明しました」
三、一家離散し肉親を失う
2013年3月11日、楊さんは満期になり帰宅したが、依然として厳密に監視・尾行されていた。
出所してから1年経たず、迫害され極度に衰弱した楊さんはこの世を去った。夫の楊本亮さんは現在、瀋陽市刑務所の第1刑務所に拘禁されており、同じく体調が悪くなる一方である。刑務所は楊さんが転向しないことを理由として、長期にわたり家族の見舞いを禁止した。
楊さんの姑の曹玉珍さんは、2005年11月に遼陽留置場に息子と嫁を探していた時、警官に連行され、懲役9年の判決を下され、現在、遼寧省女子刑務所の第九監区に拘禁されている。
楊さんの母・董宝新さんは、何度も不当に拘禁され、苦しみを嘗め尽くし、2004年10月、悲しみの中でこの世を去った。