文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年6月4日】師父は「見せびらかすこと自体、強い執着心で、非常に良くない心であり、修煉者として捨てなければならないものです」「1」と説かれました。しかし、この見せびらかす心は私の修煉の中で最も取り除きにくい心の一つです。時に非常に強く現してきて、時に深く隠しており、気付きにくくなります。
この数年、真相資料の製作を担当しているため、毎日ネットを使うことは欠かせません。明慧ネット以外に、時々動態ネット(大陸の人がネットの封鎖を突破するソフト)のニュースや、常人の権利闘争の話を見ています。また学法グループの同修に話したりし、予想外に聞きたがる人がいて、毎回聞いてきます。そして自分がよく知っているかのように、個人の見解をもって同修の間で盛んに話しました。間接的に注意してくれる同修が絶えずいて、形勢がよくなっても自分を修めないとならないと言ってくれました。しかし、かえって注意してくれた同修に嫉妬心あるかもしれないと思い、全く気にしていませんでした。
絶えず法を勉強したことで、だんだんと自分がなぜこれらの常人のものを広げたいのかを認識することができました。師父は「顕示心理」の中で「また、噂を広げることが好きな人もいて、互いに伝え合っては、面白おかしくしゃべっており、情報通を自慢しているかのようです。こんなにたくさん学習者がいる中でも、自分がいちばん分かっており、誰よりも自分がいちばん物知りであるかのような顔をしています。本人にとってそれはもうごく当たり前のことで、無意識にやっているかも知れません。彼の潜在意識に、ほかならぬ顕示心理というのがあるのです。でなければ、噂を流して何になるでしょうか?」[1]と説かれました。師父の法に照らして、この顕示心を取り除くべきだと分かりました。しかし、人心を取り除くことは簡単ではなく、本当に確実に修煉しないと、あの物質を取り除くことはできません。周りの同修はネットを使えない人やお年寄りばかりなので、学法グループに何かあったら、自然と皆が私の考えを聞いてきます。時にはみんなに正念を発するよう知らせますが、同修たちはどうやって正念を発するかも分かりません。そして自分が紙に正念を発する内容を書いてあげました。甚だしきは私がみんなの代わりになることもあるほどです。そうして、知らずうちにまたこの顕示心理を増やしてしまい、自分が意見を言うのも好きでした。
ある日、師父は同修の口を使って私を目覚めさせました。この同修は私たちの学法グループに来て数日しか経っていません。彼は「私が気付いたことですが、あなたは真に修めていません。表面のことだけを追求して、根本から高めていません」と言いました。私はこの話に大きな衝撃を受けました。耳に心地良い話ばかりを聞き慣れており、法を暗記量も多いほうだし、三つのこともよくできているから、突然このような話を耳にして、心の中は本当に穏やかでいられませんでした。この長期的に取り除いていない頑固の心が完全に暴露されました。
自分が歩んできた道を振り返ってみると、どの心を切り捨てる時も骨身に沁みる苦ではありませんでした。この顕示心の根本はどこにあるでしょうか?まず、これは私のため、自分に執着する心であり、これがあれば他人の輝くところが見えなくなり、完全に他人のために考えることもできません。例をあげると、この間、一人のついてこられなかった同修を助けに行きました。数か月経って、自分の話の大部分が法に基づいていたにも関わらず、同修の状態は時にはよかったり、時には悪かったりして、結局私たちにもう来ないようにと言われました。原因を探ると、やはり自らのためという心を放棄していないからでした。人の欠点ばかりを見て、輝くところを見ませんでした。もしたくさん励ましてあげればきっと違うことになるでしょう。同修がついて来られないことは、小さい問題ではありません。試しに想像してみればわかりますが、完全に自我のない人に、自分を顕示する心があるでしょうか?
また、常人に真相を伝える中でも、たくさんの人心を取り除いていないため、効果のよくない時が多く、どう頑張っても目標を遂げられず、相手は脱退しません。今、突然師父がどうしていつも私たちに自分をよく修めるようを強調し、それでこそ人を救い済度することに大きな力を発揮できるとおっしゃったのかが分かりました。「法を実証するとき、しっかり行なうことができたかどうか、その原因はすべて自分にあるのです。」[2]
この顕示心はまた、一種の自分を実証する心でもあります。学法グループでよく同修が今日何人を救い済度したとかの話を耳にします。実は法に基づければ分かる事ですが、真に人を救い済度したのは師父であり、私たちはただ口を開いて、出かけただけにすぎません。師父は「苦労はあなたの修煉の一部であり、方法を考えてあなたが救うべき人を見つけなければなりません。このすべては大法弟子が行うべきことです。」[3]
この数年、三つのことを全部行なっていますが、しかし、根本から向上したのでしょうか? 自我を実証する心、他人の不足ばかりを見る心が現れない日があったでしょうか? これは修煉でしょうか? いつも他人や同修に自分が何を行なったかを見せびらかす潜在的な意識がありました。自分を見せびらかす人は口を修めることも難しく、言うべきでないことを言ってしまうと、同修と周りの修煉環境に影響を及ぼすことになります。この心は本当に危険すぎます!
今日、これらの浅い認識を書いた目的は、できるだけ早く自分の長期に渡って取り除いていない顕示心を切り捨てたいためです。法に基づいていないところがあれば、慈悲にご指摘を願います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『各地での説法九』「新唐人テレビ討論会での説法」
[3] 李洪志師父の経文:『各地での説法十一』「二十年説法」