【明慧日本2014年6月5日】私には40歳になる前に叶えたい大きな願いが二つありました。その一つは健康な体を手に入れる事、もう一つは母から遠く離れる事でした。
私の家族は6人姉妹で、私はその中の4番目です。私は幼いころから体が弱く病気がちで、くる病も患っており、毎日が苦しくてつらく、笑顏になる事も少ない日々を過ごしていました。母は私の事を「不吉な子」と呼んでいました。
母は、そんな私をとても嫌っており、他の姉妹を外に連れて出かけるのに、いつも私だけに留守番をさせ、茶碗洗いや床掃除の家事をやらせました。私は「なぜいつも私だけが?」と悲しくなり、怨みも日々増していきました。私はいつも母とぶつかり、また母も容赦なく、ほうきで私を叩きました。その叩く強さといったら、ほうきも折れたほど強かったのです。隣の人は見ていられなくなり、「この子にこんなひどいことをして! 将来あなたが年を取ったら、この子に面倒を見てもらうんじゃないの?」と忠告しました。しかし母は「この子に老後の面倒を見てもらうつもりはない! たとえ金の山や銀の山を背負ってきてくれても、見てもらわない!」と言いました。その母の言葉は、幼い私の心に深く刻まれました。
私は母への恨みを晴らすために、よく壁の隅に母を罵る言葉を書きました。その時、自分は一生、母を許さないと思っていました。私は結婚した後も、実家にはたまにしか帰らず、帰っても母とあまり話しませんでした。私の母に対する恨みと反抗の心はずっと無くなりませんでした。
年を重ねるにつれ、私の体はますます悪くなり、体は重く、力が出ませんでした。また心臓病まで患って、夜寝ている時も息ができなくなり起きてしまうこともたびたびありました。私の家は7階にあるので、上がったり下ったりするたびに途中で3、4回休まなければなりません。
生活していく事、体の辛さ、内心の恨みなどにより、私は生きることを苦しいと感じました。「自分はいつになったら、このすべてから抜け出せるのだろうか? 人生はまだ40年しか過ぎていない、あとどのぐらい、この苦しい日々が待っているのだろう?」 と思いました。毎日、朝起きていつも最初に感じるのは、希望ではなく、苦しみでした。
1997年10月のある日、会社の同僚は法輪功がとても素晴らしく、病気が治り健康にもよいと教えてくれました。私はこの苦しみのすべてから抜け出そうと思い、法輪功を学び始めました。『轉法輪』を読み終えて、人はなぜ病気にかかるのか、人はなぜ苦しむのかなどの理が突然分かりました。病気を治して健康な体を回復するため、私はまず「真善忍」の基準に基づいて振る舞い、物事を行い、心性を修めなければならない事を理解しました。
その頃、私は倉庫の管理人を務めており、たびたび他の企業との業務上のやりとりがありました。法輪功を修煉する前は、私は時々仕事の立場を利用して、お客さんに便宜をはかったりして、見返りにお金や物をもらっていました。当時、私は誰もが羨むこんないい仕事にめぐりあえて、なんて幸運なんだろうと、内心嬉しく思っていました。しかし『轉法輪』を読んでから、私は一気に目が覚めました。どんなに私がその良くない事を、他人に分からないように、うまく隠し通しても、「頭上三尺に神あり」と言われているように神は見ています。そしてその事で自分の貴重な徳と常人の利益を交換して、徳がなくなったりしたら、きっと悪の報いが始まると思いました。私は利益の誘惑を前にしても、心を修め徳を重んじる事を選び、「真善忍」の基準で厳しく自分を律して、社会の腐敗した流れに従わないことにしました。
それからというもの、お客さんが謝礼金をくれると言っても、私は断っています。そして「私は法輪功を学んでいます。師父は私たちに良い人になるよう教えて下さっています。もし私がまた以前と同じようにすると、『真・善・忍』の基準と背くことになります。でも安心して下さい。私は謝礼金をもらわなくても、あなたたちにいじわるな事はしません」と言いました。私の話を聞いたお客さんはみんな非常に感動して、「法輪功は本当に偉大です。もし、政治局の人がみんな法輪功を学んだら、我が国には、あのような腐敗堕落した人はいなくなるでしょう」と言いました。
あるお客さんは私の変化を見てとても驚き、私がこんなに良い人になるなんて、いったい『轉法輪』には何が書いてあるのか読んでみたいと言いました。彼が読んだ後、予想外な事に彼の妻も読んで、しかも法輪功を学び始めました。もともと彼の妻も病気がちでしたが、学び始めてから、全ての病気がなくなり、体の調子がとても良くなりました。
法輪功を学び始めてから、私は毎日大法が修煉者に要求している基準で行い、何かをする前には他人を優先に考えて、トラブルの中で自分の問題を探しました。私の心はますます清らかに、そして寛大になりました。また脚の痛みも消え、心臓病で息ができなくなる事もなくなり、体が軽くなりました。以前あった様々な病気は、いつの間にか消えていたのです。その時、初めて病気がないということがどんなに幸せな事か、どんなに嬉しいことなのかを真に理解しました。
法輪大法を修煉してから、大法の法理は私を導き、私は母への恨みと反抗の心を放下できるようになり、冷えきって固まった氷のような長年の母への恨みは溶けてなくなりました。これは以前の私には思いもよらないことでした。
師父は『轉法輪』の中で「もちろん、われわれは常人の社会の中で修煉をしているので、親孝行をするのも、子供をしつけるのも当然です。どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです」とおっしゃっています。
師父の法に照らして、私は恥ずかしいと思いました。私は常に自分を律して、すべての人に親切にしなければなりません。ましてこの人は自分の母ですからなおさらです。絶えず学法するにつれ、私は長年溜まってきた母への恨みを放下して、「真善忍」の法理で自分を正しました。
私の健康状態はますます良くなっていき、姉妹の中でも一番良くなりました。母への恨みがなくなったので、家にもよく帰るようになり、たくさんの家事をこなしました。母は高齢なので、何をするのも不自由です。私は母の背中を流してあげ、以前の事がなかったように、心を尽くし、力を尽くして、子供として親孝行をできるだけこなしました。
姉妹やお隣さんは私の変化に感嘆して、私の前でも他人の前でも私を褒めました。母は「私の娘がもし法輪功を修煉していなかったら、こんなに私を見てくれるはずがない。法輪功は彼女を変えました。私は大法から恩恵を受けていますよ」と話しました。
母も80歳をすぎ、もう死ぬ間際になった時、6人姉妹の中で、私だけが昼も夜も母のそばで見守っていました。他の姉妹が母の世話をしても、母はいつも彼女達に「あなたたちの中に、あの子(私を指す)ほど気を配り、思いやり、心を込める者は誰もいない」と言いました。以前、姉が母の世話している時、母が突然涙をこぼした事が一回ありました。姉は「私、どこかうまくできなかったの?」と尋ねると、母は「いいえそうではない。以前、私はあの子をあんな目に遭わせたのに、あの子は今、私を怨まないで、こんなに世話をしてくれる。私の心は辛いよ。人は言いすぎるのはよくない。今、私は本当にあの子に助けられている。夜咳を一つしても、寝返りをしても、あの子はすぐにどうしたの? 水を飲みたい? トイレに行きたい? と聞いてくれる」と言いました。
そして母が亡くなる前にしてくれた一つの事に、私は感慨を覚えました。母は一度も仕事をした事がなかったので、もちろん年金はありませんでした。年を取って政府からもらう300元の生活費と各子供からもらった小遣いを合わせても裕福とは言えません。そんな中、母は節約して1000元ぐらいを貯めて、私たちに分けてくれました。私にくれたお金は一番多くて、500元でした。他の姉妹は300元だったり、200元だったり、もらえない人もいました。姉は300元をもらった時「お母さんはとても公正です。お金が多い少ないではなく、これは私たちの行った事の違いです。すべてのお金を全部彼女(私を指す)にあげても、私は何も文句は言えないし納得できます」と言いました。他の姉妹も同感でした。
母が患ったのは肺がんでした。この病気は末期になるととても辛く、私は母を世話する時、よく母に大法の素晴らしさを伝え、師父が弟子によい人になる道理をどのように教えられたかを話すと、母はそれを聞くのがとても好きでした。そのおかげか病気の間、他の肺がんの患者のように痛くてしょうがない様子はなく、最後に、母は眠るように穏やかに亡くなりました。母はきっといい所へ行けると思います。「法輪大法は素晴らしい」と分かったからです。
法輪大法を学んでから、自分が別人になったように、体も精神的にも、健康で、幸せで、リラックスしています。このすべてを与えてくださった師父と法輪大法に感謝いたします!