文/米国の大法弟子
【明慧日本2014年7月1日】私はアメリカで暮らしており、ずっと大法弟子によって運営されているメディア会社で働いています。最近、病業の関を突破したことを通じて、悟った修煉の理を書き出して皆さんと交流したいと思います。
先日、報道ニュースを制作している途中、突然物がぼやけて見えて視覚障害がおこりました。法を得るまでは、似たような症状もありましたが、大よそ1、2時間で自然に消え、私は軽度の脳卒中だと認識しましたが、同時にまだ若いので気に留めませんでした。その後は再発することもありませんでしたが、しかし祖父が脳卒中で亡くなっている為、修煉に対する理解のなかった医師である妻に、「万が一あなたの脳卒中は発作が起きたら、救急車を呼ぶべきか?」と、質問を投げられました。その時、私が答えに困っていました。万が一のことがあったら常人に理解されず、間違いなく大法に泥を塗ることになると思っていました。衆生を救い済度するためにたくさんやることがあり、その上家庭も私を必要としていると考え、現段階においては深刻の病業は来ないだろうと思いました。しかし一方で、万が一病業の関が大きくて乗り越えられなかったら、病院で受診した方がいいかも知れないとも思ったりしました。少なくとも常人に誤解されないで済むと考えました。
修煉の中で、以前にも消業の経験がありました。しかし命の危険にさらされるような深刻な症状ではありませんでした。仕事と法を実証する活動に影響さえ出ていなければ、気に留めませんでした(最近、この考えは正しくないと改めて認識しました。消業の現象はなかなか常人には理解し難いもので、衆生を救い済度することにマイナス的な効果をもたらす可能性もあります)。しかし、今回の突発的な症状には初めて危険性を感じ、もし本当にメディアの仕事に影響が出るようでしたら、BBS(ネット上の連絡掲示板)にメッセージを送って他人に私の仕事を引き継いでもらった方がいいかもしれないと真剣に考えました。
水は血液を希釈して血管のつまりを溶かす効果があるかもしれないという心の一念から、すぐに水分補給をしました。しかし症状が益々深刻になり、予想外の展開でした。私が腰を下ろし、再びこのようなことがあったらどう対処するか、病院に行くべきかについて心を静かに考えました。もし関を乗り越えられなかったら大法に泥を塗ることは確かで、衆生を救い済度する責任も果たせなくなります。誰よりも師父は考慮されているはずです。医者を求めるよりは師父を信じるべきだと、自らの考えを改め、間違えていないと再認識でき、胸を撫で下ろしました。病院に行く必要性がないと自然に出た結果になりました。案の定、数秒後に症状が自然に消えました。
今回の出来事を通じて以前認識できていなかった理を悟ることができてすっきりしました。今までは、もし関の突破に失敗したら、病院に行って受診しても大法に泥を塗らないようにすると思っていましたが、しかしその心配を師父はご配慮くださっているはずなので、法に従って行えば大法に泥を塗るまで悪化させられないと認識しました。そして肝心な時に師父を信頼できるかどうかは修煉者に対して大きな試練だと分かりました。
師父が按排してくださった全ての試練は、単純に日頃の修煉状態を確認するためのものではありません。同時に悟れていない法理について更に理解を深めるチャンスを私達に与えてくださいました。修煉者として試練にどうやって挑むかについて、漏れが見つかり、チャンスを掴んでいれば、正しい認識をもっていれば、往々にしてそれほど深刻なものだと感じなくなります。心性さえ向上させれば全ての関を乗り越えられます。
自らの修煉の道を振り返ってみれば、時々刻々、師父によるご加護を感じます。私の修煉の道は紆余曲折で、決して順風満帆とは言えませんが、しかし師父により按排されている全てには、師父の無限の慈悲が含まれています。真剣に内に向けて探していれば、師父の説法に従って悟っていれば全ては自らを昇華させることができます。
修煉は神秘的ものではありません。手の届かないところにあるわけではありません。心を用いて修めて行けば必ず円満成就ができます。取り残されている僅かな修練の時間の中、共に励まし合い、精進していきましょう。
不適切なところがありましたら、同修による慈悲なるご叱正をお願いいたします。合十!