文/日本の大法弟子
【明慧日本2014年7月22日】私は27歳の弟子です。1999年に東京で開催されたアジア法会で修煉体験を発表したときは、まだ12歳の子ども弟子でした。この15年の間、本当に様々な道のりを歩いてきました。その道の中で、何度も転んで立ち上がっての繰り返しで、師父には非常にご心配をおかけしたと思います。今まで見放さずに見守ってくださった師父に、心より感謝致します。
まだ子どものときには、修煉というものはどういうものか分かっていませんでした。ただ、これはやらないといけないものだと子どもながらに思っていたので、親について、衆生の家への新聞配り、街中での署名活動などをしました。子どものときは本当に純粋で、新聞配りも署名活動も本当に一生懸命して、みんなが救われるようにという一念を持って行っていたので、あまり難しいことは話せませんでしたが、多くの衆生が署名をしてくれました。その当時は衆生を救うということは深く理解できていませんでしたが、学校の休みの日に活動があれば、親が仕事で行けなくても、弟や同修と一緒に新聞配りや署名活動に参加しました。
高校生のときには、姉と私で2つのグループに別れ、私は日本語があまりできない中国人同修と九州地方のマスコミを訪ねました。記者会見を開く前に、各記者に中国で起きている迫害の真相を伝えました。最初は高校生の私が、しかも普段から口下手な私が、大人の記者を訪ねてちゃんと話ができるのかと不安でした。しかし実際に回ってみると、普段は出ない言葉がすらすらと出ました。その時はなぜなのか分かりませんでしたが、今思い返すと師父のご加持だったのだと思います。その後、記者会見の結果もとても良くて、高校生の私でも大人がするような活動に参加して良い結果を残せたことが非常に嬉しくて、だんだんと修煉の意志を固めていきました。
この15年間、様々なプロジェクトに参加してきました。そこで特に私が頑張ったと思うのが、神韻公演のプロジェクトです。私は3歳の時から音楽を勉強し、高校、大学でも音楽を専門に勉強してきました。それまでは音楽を専門的に活かせるプロジェクトがなかったので、他のプロジェクトに携わっているとき、なぜか分かりませんでしたが、「何か違うのではないか、私がすることは別にあるのではないか」という違和感を覚えていました。神韻公演が初めて日本に来ることになったとき、私は台湾に留学していたため、話に聞くだけで特に神韻のプロジェクトに関わることはできませんでした。その後、日本に帰国してから少しずつ神韻のプロジェクトに参加するようになりました。私は20年以上音楽の世界にいましたので、音楽の世界の常識というものが身についていました。そのことが神韻公演のプロジェクトに参加する上で役に立って本当に嬉しく思いました。最初の何年かは地元の広島で神韻のプロジェクトに携わっていました。私が広島に戻るまでは、母が一人でチケット注文の電話を取り、自営業のお店の営業をし、店でもチケットを売り、父が外で神韻の営業をしていたという話を聞いて、非常に驚きました。自分の常人としての仕事を一生懸命にこなしながら、真相を伝えることも緩むことなく毎日努力する姿に感動しました。
私が広島に戻ると、コールセンターの環境を整え、また新しくて若い修煉者が入っていたので、新しい修煉者と一緒にコールセンターの仕事をし、私はチケットの管理を担当しました。コールセンターでは、修煉の場を大切にし、電話が鳴っていないときは、学法、発正念、交流を続けました。公演も近くなり7、8割ほどチケットが売れ、完売も近くなってきたとき、東北・関東のほうで大地震があり、その年の公演は中止になりました。その後のチケットの処理は大変でしたが、来年はより良くできるよう、今年出た失敗は繰り返さないように誓いました。次の年には、出産のため実家に戻ってきた姉が手伝ってくれたため、より良く行うことができました。特にチケット管理は非常に大変だったので、本当に助かりました。また広島の同修の協調もとてもよく、一人ひとりがとにかく自分の心性を向上させることに取り組み、8割以上のチケットを販売することができました。広島では良いホールがあまりなく、有名なアーティストや海外から来る芸術団は広島を飛ばして福岡や山口でコンサートをするような場所です。ふだんからコンサートを見に行く習慣があまりない広島で、8割もチケットを販売できたことはすごいことだと思います。会場の担当者も大変喜び、「すごいお客さん入っていますね。来年もぜひうちを利用してください!」と言ってくれました。その時の会場は、広島で一番有名で、綺麗で大きくて良い会場です。私は受付のスタッフをしていたため、客席内を見ることはできませんでしたが、外にいても聞こえるほどの鳴り止まない大きな拍手に感激したことは今でも忘れることができません。多くの衆生が、「本当に素晴らしい! 来年もぜひ来たい!」と大喜びしていました。
私は3歳からピアノを習っており、高校生のときもピアノ科として、音楽高校に入学しました。受験する前に、「音楽高校はコネがないと合格できないから難しいよ」と中学校の担任から聞かされていましたが、音楽高校を受験する際、ピアノ科と声楽科の試験を両方受け、嬉しい事に両方とも合格したので、ピアノ科として入学しました。入学後しばらく経ってから、担任から「あなたはピアノよりも声楽家としてのほうが延びる可能性があるわよ」と言われ、何年も習って、音楽高校の合格を目指すために、必死に練習してきたピアノより、受験直前に少し練習しただけの声楽のほうが良かったなんて…と最初はショックを受けましたが、担任がピアニストだったこともあり、この先生が言っていることは間違っていないだろうと思い、またピアノの上達も限界が見え始めたこともあって、声楽科へ転科しました。それからずっと声楽を勉強しています。私が大学生のときだったと思いますが、新唐人の声楽コンテストがあり、参加してみました。すると、あまりのレベルの差にびっくりしました。それから何回も連続で参加しましたが、なかなか準決勝、決勝に進むことができません。だんだん神韻の歌手になりたいという思いも薄れてきて、普通の会社に入り、仕事をしているうちに、声楽の練習もしなくなりました。何度か親から、「神韻の歌手が足りないから、もっと練習して神韻に入らないと!」と励まされ、少し練習しては、思うように歌えずまた諦める…ということを何度か繰り返しました。
昨年末、親がある同修から、「日本で神韻のプロジェクトに参加するのも大法弟子のすることだけど、あなたの娘は師父から歌手としての才能を頂いている。あなたの娘の誓約は何なのか考えてみたほうがいいのではないか」とアドバイスされたと、親から聞きました。少し考えてみるとそれもそうだと思い、今年の神韻の活動が終わったら真剣に練習しようと心に決めました。その後、神韻が終わってから実家に戻り、それからほとんど毎日練習してきました。私の歌声にはひとつ大きな欠点があり、それを克服しようと以前何度か練習しましたが、歌えば歌うほどその欠点が目立ってきて、最後には歌いたくなくなったことがありました。やはり最初はその欠点が目立ちましたが、それでも気にせず、とにかく毎日歌を歌うことは続けようと思いました。そのときちょうど、ある指揮者のブログを読むと、「楽器の練習を一日でも休むと音がだめになる」という文章を読んだので、とにかく毎日練習することが重要だと思い、どんなにだめな声でもがんばって毎日練習しました。最初は少し歌うだけでも喉が痛くなり、練習したくてもあまり長い時間練習できませんでした。しかし不思議なことに、練習を初めて1ヶ月後、今まで出したことのないような声が出たのです。毎日同じ部屋で聞いていた父が、「その声いいね、その声で練習してみたら?」と言うので、その通りに練習してみたら、今までと確実に違う声が出るようになっていました。それから、父から発声のアドバイスももらい、その発声方法で練習するうちに、どんどん声が良くなっているのが、自分でも分かりました。一番嬉しいのは、今まで何度練習しても克服することができなかった、声が震えるという欠点ですが、以前とは違う声を出せるようになってから、その欠点が消えたのです! これほど嬉しいことはありませんでした。きっと師父は父の口を利用してアドバイスしてくださったのだと思います。
この間に修煉の関もありました。姉の口調が厳しく感じ、どうしても耐えられなかったので、姉に「最近口調が厳しいよ」と注意すると、「あなたもお父さんに対して厳しいよ」と言われ、少し喧嘩のようになりました。落ち着いて考えてみると、師父は弟子が内に向けて探すよう要求しているのに、ずっと姉が厳しいと思っていましたが、内に向けて探してみると自分が厳しいということだったのです。相手は自分の鏡で、自分に直すべき所があるから、わざと師父はそう見せたのです。その理は分かっていましたが、いざ自分がその関に立たされると、なかなか理性的に考えることができず、また衝突をしてしまい、自分が恥ずかしく思いました。そこでさらに内に向けて探してみると、私が歌を練習しているときに、父からのアドバイスを受け入れ難い、相手の意見を受け入れ難い心があることが分かりました。確かに私は強い所があり、自分が正しいと思う心があり、相手のアドバイスをなかなか受け入れることができていません。そこで私は決心しました。もし私が幸運にも神韻の歌手になることができたら、お父さんだけではなく、多くの人から指摘されるようになるかもしれないのではないでしょうか? では今お父さんからの指摘も耐えられないようでは、どうするのでしょう? しかも神韻の歌手は師父の大事な言葉を伝える、非常に大事な役なのに、人間の汚れた考えを持って、神韻の歌手になることができるのでしょうか? また師父は同修の口を利用して、指摘することもあるということも分かっていたので、それからは、誰に何を指摘されても、師父に指摘されているのだと思い、反論しないよう、受け入れるよう意識的に努力しました。最初はなかなか難しかったのですが、だんだん指摘を受け入れるようになり、今では何を言われても反論せず、受け入れることができるようになりました。そうするとある日、同修から「最近、優しくなったね、心が広くなった、話す内容が以前と違う、相手の立場に立って話せるようになったね」と言われ、ああ、この関を乗り越えることができたんだな、と思い、自分が努力しないといけないという気持ちを忘れた頃に同修が教えてくれました。
そうして心性を向上させていると、不思議と声もどんどん良くなっていくのです。そのうち、浄化が始まりました。はじめに喉、頭、そしてお腹…。浄化が終わるたびに、声がさらに良くなっていきました。そして最後にお腹の浄化が終わると、私が出したかった理想の声が不思議と出るようになったのです。今までは出したくても出せなかった声が、この数ヶ月、努力と心性の向上を通して、そして師父の加持によって出せるようになりました。練習を始めて数ヶ月ですが、師父の加持を感じたのは数え切れないほどです。以前の自分と何が違うのかを考えてみました。努力をこんなにしたのは初めてだし、心性の向上をここまで重視していたわけでもなく、私の心性がここまで達し、認識も達したので、師父が声を与えてくださったのだと思います。素晴らしい法器を授けてくださり、本当にありがとうございます。本当に「修は己にありて、功は師にあり」なのです。
歌のレベルを向上させることは修煉と深く絡んでおり、また歌の向上が修煉に良く似ていることが分かってきました。自分に良い声が出たと思って、次の日に更に良い声が出ると、前の日の自分の声は良くないと感じるのです。また更に次の日に更に良い声が出ると、前の日に良い声だと思った声があまり良い声には感じません。一つ段階を上がるたびに、以前の自分の声が良い声ではなかったことに気づきました。一つ段階を上がらなければ、それまでの声がとても良い声だと感じてしまいます。今は何度も段階を上がり、以前の自分の考え方が非常に恥ずかしいものだと感じることができるようになりました。そして自分で努力し、師と法を信じ、内に向けて探すことで、全てが開けることを体験しました。
この数カ月間、もっとこのような声を出したいと思ったら、不思議とポーンっとその声が出せるのです。その後、同じ声を出そうと思ったら出ないので、師父が加持してくださり、一人で練習している私に師父がヒントを授けてくださいます。思ったことはすぐ師父が叶えてくださいます。そういうことが何度も何度もありました。本当に師父は何でもできるのだと思うと同時に、こんな素晴らしい声を与えてくださった慈悲なる師父に、歌う度に感謝の気持ちが出て、涙が出そうになることもあります。この数ヶ月で得た声は、私の声ではなく、師父が与えてくださった声、法器なのだと感じる日々です。
私が歩んできた道のりは、決して平坦な道のりではなく、何度も転びながら、母や家族に引っ張られ、師父に見守っていただきました。こんな悟りの悪い弟子を見放さず、見守ってくださった尊敬なる師父、本当にありがとうございます。