文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年7月26日】私は東北地方のある海辺の都市に生まれました。
一、大法修煉のきっかけ
1993年、39歳だった私は仕事を辞めて自分の企業を創立して、家財を積みました。しかし、私はひどい神経衰弱に苦しめられ、夜は眠れず、神経衰弱に関する物理療法や薬、健康食品を試しても、症状はひどくなる一方で、私は絶望に陥りました。1998年12月18日、家の近くの講堂に李洪志先生の広州説法のビデオを見に行こうと姉に誘われて、あまり興味はありませんでしたが、私はしぶしぶ行きました。その後『轉法輪』を読んだ翌日に、不眠症の症状は完全に消え、久しぶりにぐっすり眠れるようになりました。
法を得たばかりで悟性が悪く、おまけに経営者としてとても忙しいため、集団学法に参加できる日は少なかったのです。しかも経営者として付き合いや宴会が多く、当時の私はよく酒気を帯びて集団学法に参加していました。その時に、有名な4.25陳情事件が始まりました。集団煉功に参加していなかった私ですが、中国の古いことわざに、「一日師たれば、終身父たり(一日でも先生になってもらったなら、生涯父のように尊敬すべき)」の道理が分かっていましたので、行動で大法と師父を守らなければならない、今日から集団煉功に参加しなければと思いました。そこで私は酒を止めて、付き合いも減らしました。4.25は私の修煉の本当の起点だったのです。
二、困惑の中で正念を固める
しっかりと修煉を続けるうちに、7.20の全面的な迫害が始まりました。7月20日の午後、テレビをつけたとき、法輪大法を誹謗中傷する画面がまるで頭上の雷のように私を直撃しました。これはどういうことでしょうか? 私の師父は本当にあのような人間でなのでしょうか? これから私はどうすれば良いのでしょうか? 大法に出会ったばかりの私は、大法を離れると生きていてもどんな意味があるというのでしょうか? 自分の世界が真っ暗になったと感じ、続けて3日間、私は何も食べず、会社にも行くことができませんでした。集団学法の環境と煉功場を惜しむ気持ちを思い出して、当時しっかりとみんなで一緒に学法や煉功をしていなかったことを後悔しました。
4日目に、『轉法輪』をまだ第7講までしか書き写していないことを急に思い出し、とにかく引き続き書き写していこうと思いました。今度は、大法の内包に深く惹かれました。あれほど誹謗中傷されても佛法はこの上なく偉大な佛法だと深く感銘しました! その日から、私は毎朝4時に起きて、夜10時までずっと『轉法輪』を書き写しました。腕に汗疹ができても私は気にせずに、全身全霊で佛法に溶け込み、とても幸せを感じました。9カ月かけて私はきちんと綺麗な字で『轉法輪』を9回書き写しました。『轉法輪』をまるごと書き写すには、速い時は25日、遅い時は28日かかります。9カ月の中で毎月1日から書き写し始め、終わって月末になると私は『轉法輪』を通読しました。自分はすでに法輪大法の一つの粒子になり、自分の信仰を変えられる力はどこにもないと確信しました。
三、大法の真髄を得る
大量に学法して『轉法輪』を書き写すことを通じて、私の心身は大きく変化し、不眠症、リューマチ、胃病、腰の椎間板ヘルニアなどがいつの間にか治りました。病気がなく全身が軽やかになった感じは、本当に幸せでした! 私の顔つきも変わりました。以前、「おばちゃんは満面に凶悪な人相で、本当に成金のようだね」と言っていた姪は今、「おばちゃんの表情は優しくて穏やかになった。大法弟子らしくなったね」と言ってくれました。
修煉を始めてから、体が浄化されることを私はほとんど経験したことがないのですが、『轉法輪』を書き写して間もなく、体が浄化される経験をしました。その日、突然に私の全身が痛くなり、しばらくして顔面まで痛みを感じて、目、歯、鼻もすべて痛くなり、目から涙がとめどなく流れて、体温も摂氏42℃まで急上昇しました。夫は私を病院に送ろうとしましたが、私は断りました。翌朝煉功の途中で、天目が開いて目の前に巨大な砂の山が見えました。30分ほどの間、大きな砂利と石がずっところころ下へ転んでいました。あれは私自身の業力だ、師父はこれほど多くの業力を消してくださったのだ、と私は悟りました。煉功が終わって私の体温も下がりました。「42℃の高温では、病院に行って点滴をしても3日、5日してやっと体温が下がるのではないでしょうか」と私が言うと、夫も頷きました。その日から夫は私の修煉を応援するようになりました。
それに引き続き、心性の試練にも遭いました。2000年10月、車検に行った私は車を停めて車検場のトイレに行きました。ずっと待ってもトイレの中の人が出てこないので、少し焦った私は「あとどれくらい時間かかりますか」と聞くと、その女性は激怒して私に罵声を浴びせ、最後になんと私を殴ろうとしました。これは心性を高める機会だと分かって、私はちっとも動じませんでした。最後に彼女は「今日あなたは私の気に障ったから、あなたの車検を不合格にしてやる」と凶悪な目つきで私を睨みました。彼女は車検場のスタッフだったのです。しかし、私が車を指定場所に停めると、すぐにもう一人のスタッフは「合格だ」と言ってくれました。きっとさきほどの心性の関に合格したと師父が私を励ましてくださったのだと私は微笑しました。
以前、仕事が忙しくて家に帰ってご飯を食べることもあまりできなかった私は、修煉してからどこにいても良い人にならなければならず、家族にもっと優しくしないといけないと思い、仕事上の宴会や招待をできるだけ昼間にして、夕方、できれば早く帰って自ら夫と子供に夕食を作りました。夫が階段を上る足音を耳にすると、私はおしぼりと冷やしたビールを用意します。美味しい料理がいっぱい並ぶテーブルを見て、勇猛果敢な女社長でありながら横暴な性格の持ち主でもあった私を、優しい主婦に変身させた法輪大法を夫は心から心服するようになりました。
『轉法輪』の中で言われたことはみな本当だと私は体得しました。『轉法輪』に「坐り続けていると、足が無くなったような気がしてきて足がどこに行ったのか分かりません。身体も、腕も、手も無くなり、頭だけが残っています。さらに修煉して行けば頭も無くなったような気がして、ただ自分の思惟があるだけで、わずかな意念だけが自分が今ここで煉功していることを知っています。われわれはこの程度にまで達することができれば十分です」と説かれています。ある日の夜、座禅を組んだ私は禅定に入って、最初に左足がなくなったと感じ、次に右足もなくなったと感じました。あれは本当になくなった感じで、私は手で足を触って確かめたほどでした。次に右側の太もももなくなって、胴体も全部なくなり、そして頭部もなくなりました。そして徐々にすべての部位が戻ってきました。戻ってくる順序は「なくなった」順序とちょうど逆でした。本当に不思議な体験でした。
それ以降、『轉法輪』で説かれた多くのことが私の身に実際に発生しました。例えば車にぶつかること、色欲の関に出遭う時に夢に見た裸身の男性、亡くなった肉親が現われてこれをやってほしい、あれをやってほしいと言ったり、夫がいきなりすごい剣幕で罵声を浴びせてくることや、ある日突然、背が高くて堂々とした体躯の大仙人が訪れてくること……私が親に対する情に執着する時、夢の中で父は私に「誰が母親で、誰が子供なのか、死んでしまえば、お互いに誰も分からなくなりますが、造った業だけは相変わらず返さなければなりません。人間は迷いの中にあって、どうしてもそういうことにしがみつきます」とおっしゃいます。中国共産党の迫害を受けた時、私は瀕死体験もして、体が浮いていました……自ら『轉法輪』で説かれ多くのことを体験して、師父が言われたことはすべて真実だと分かった私は、14年間の迫害の中で一度も大法に対する信仰を動揺させたことはありません。
修煉してから金銭に対する執着がなくなって、企業経営に私はいっさい不当な手段を使わなくなりました。そのため、多くの取引先は私を信頼しています。私は彼らに「私は法輪大法を修煉してから、やっと良い人になった」と説明すると、彼らは「あなたは修煉する前でも良い人だ」と言います。そこで、私は「あの時、私は目的があって良い人になったのです。しかし、今の私は何の利己的な考えもなく、ただ師父の教えに従って良い人、もっと良い人になろうとしていますよ」と彼らに教えました。
幸運にも大法弟子になれたことは人生で最も幸せなことです。私利私欲に目がくらんで、利益のみを追求する経営者から、無私無我の大法弟子に生まれ変わらせるために、師父はどれほどの心血を注がれたでしょうか。命の親にも等しい師父のご恩には、永遠に報いる事ができません。