文/中国の大法弟子 静思
【明慧日本2014年9月4日】数日前、以前の同僚だった明理さん(仮名)に会いました。彼は今、某局の局長を務めています。彼は私に「私の子供はもうすぐ米国に留学に行きます」と言いました。私は心の底から祝福しました。仕事も順調で幸せな家庭を持つ彼を見て、私は感慨深かったのです。
以前、明理さんはわが県の新聞社の社長を務めていました。私よりずっと若く、私となんでも話せる友人でした。1997年、『光明日報』に大法を誹謗するある文章が掲載され、全国の多くのメディアがそれを転載し、わが県も転載するよう言われました。新聞の印刷がすでにスタートしたとき、明理さんは何となく良くない感じを覚えました。彼は私が大法を修煉していることを知っていました。当時、私は田舎にいたため、彼は車で十数キロを走って私を尋ね、私の意見を求めました。私は彼に、法輪功とは何か、全国に数千万人が法輪功を修煉していること、そして修煉によって人々の道徳が回復し、健康になったことを伝え、この文章はデマの捏造であり、法輪功を誹謗中傷していることを伝えました。
明理さんは戻ってから、すでに印刷された1万部あまりの新聞を破棄し、新たな内容を入れ替え、印刷し直しました。正邪を前に、明理さんは自分の立場をはっきりと示しました。
1年あまり経ったとき、即ち1999年に、新聞社における昇級が始まりました。利益の得やすい新聞社の競争は激しく、一部の人は昇級を得るため、以前の新聞破棄事件の事を言い出しました。明理さんはそれが原因で昇級できず、部外の他社に左遷されました。彼の官吏になる道はこの事によって悪い影響を受けたと思われましたが、実際はそうではありませんでした。
新聞社の昇級が終わるや否や、江沢民を始めとするごろつきグループが法輪功に対し迫害を始めました。全国の新聞社はこの迫害に巻き込まれ、わが県の新聞社も例外なく、大法に対して罪を犯したのです。それは意図があろうがなかろうが、能動的か受動的かは関係ありません。そして罪を犯した償いもその後影のように付いてきました。明理さんの代わりに新聞社の社長になった人はその後、間もなく死亡し、その妻も50歳で癌で死にました。その後任になった社長は40代で癌で死んでしまいました。その後、新聞社は廃業となり、社員たちは職を失い、良い報いを得た人はほとんどいませんでした。
しかし、明理さんには福が頻繁に訪れ、数年のうちに、彼は副科長級の主任から局長に昇進し、家庭も幸福で、子供は優秀な成績を収め、間もなく米国に留学に行きます。これこそ言い伝えがあるように、「大法を善処する一念があれば、幸福と平安が天から恵まれる」という事なのです。