文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年9月21日】私は今大学2年生で、勉強も生活もともに順調で、いつも周囲の人から羨ましがられています。しかし、幼い頃の私は、人の目からみると悪い子供でした。その後、師父と法輪大法が私の運命を変えて、正しい道へ導いてくださったのです。
私が4歳の年に、父は脳血栓を患い、治療が遅かったため重い後遺症があり、脚を引きずって歩くようになり、右の目も失明に近い状態でした。母は私を出産したあと関節リウマチになり、力仕事ができなくなりました。両親ともに外で仕事ができない上に、長期にわたり薬代も必要であり、私の家庭がどういう状況だったかは想像できるでしょう。
私の記憶の中の幼年時代は、とても暗いものでした。小学校1年の時、勉強がよくできて、年末試験ではほかの3人の同級生と並んでトップでした。担任の先生はトップの生徒に「賞」と押印したノートを渡すと言いました。それを聞いた私はとても嬉しくて、誇りに思いました。しかし、私の番になると、意外にも先生から「あなたは貧しくて、本代も雑費も払えないから、あなたにあげることはできません」と言われ、その途端に涙が溢れました。放課後、私は走って家に帰り、母の懐に飛び込んで、わあわあと大きな声で泣きました。
本来、私の家はとても貧しく、着る物も使用する物も良い物ではなく、同級生の笑いものにされていましたが、私の唯一の誇りに思っていたものがかえって、担任の先生によってプライドを大きく傷つけられてしまいました。それ以後、みんなの前で二度と恥をかくことを恐れ、あまり勉強しなくなりました。
2年生から、私は盗みを覚えました。食いしん坊で我慢できず、隣の同級生のお菓子を盗んで食べました。最初は発見されなかったので、2回、3回と繰り返すうちにお金を盗むことまで覚えてしまいました。また、同級生と喧嘩もしましたが、体が痩せて小さいことから、打つことができず、いつも負けてばかりでした。怒りや恨み、その上、生活の中の苦しみで、私はとても疲れて生きるのがあまりにも辛いと思い、時に自殺、家出を考えるようになりました。
1999年の初め、母が法輪功の修煉を始め、体がだんだん良くなり、薬も飲まなくなりました。しばらくして仕事ができるようになりました。姉も中卒後に働き始め、仕事は順調で、これで家庭の状況が変わってきました。たまに母は果物を買ってくれるようになり、1週間に1回ビスケットも買ってくれました。しかしその間も、私は相変わらずお金を盗むくせは直っていませんでした。
6年生になった時、私は母と一緒に法を勉強し、煉功し始めました。「真・善・忍」の法理が私の物を盗むくせを徹底的に直してくれました。今は、たとえお金を目の前に置かれても盗もうとは思いません。
大法を真に修めてから、私は全てが変わったかのように、とても大きな変化がありました。小学校6年生までの成績は全く駄目でしたが、中学校に入ってから、成績は一直線に上がって、再びいい生徒になり、人を殴らない、罵らない、喧嘩をしなくなりました。中学の卒業試験ではこれまでにない良い成績で合格し、順調に高校に入学して、家族はみんな喜びにあふれました。
高校在学中、2週間に一度家に帰り、帰ったら必ず『轉法輪』を真剣にしばらく読み、師父の説かれた良い人になるよう懸命に努力しました。大学入試の前、心の中でいい大学に合格するよう師父にお願いして、その後、落ち着いて試験場に入りました。師父を信じ大法を信じ、師父のおっしゃる通りに行えば、師父は自然に見守ってくださっていると分かっています。成績の結果が出て、驚くほど良かったので、先生や同級生たちはみんな驚きました。重要な2回の試験とも、すべて実力以上の力を発揮して、私は相当いい大学に入りました。
大学1年の夏休み、私は家庭教師というとてもいい仕事を見つけました。1時間40元です。今は、パートタイムである養成機関の国語の教師になり、同級生たちに羨ましがられています。
私は人から嫌われるとても貧しい生徒だったのが、今は、みんなに羨ましがられる幸運児に生まれ変わりました。このすべてのすべては、大法を修煉して授かりました。良い人になるよう道理を理解してしっかり行い、私と家族が福報を得ました。再度師父に感謝いたします!