私と同じく、道に迷った経験のある同修へ
文/吉林省の大法弟子
【明慧日本2014年9月22日】長い間、私は自分を大法弟子だと思い、周囲の同僚や友人も、私が大法弟子だと認識しています。しかし、私の実際の言動は法に沿わず、問題に遭遇すれば常人の考え方や観念で考え、そして法の中から言い訳を探し出ていました。長い間、私は名利に執着し、最も基本な学法や煉功もまともにできませんでした。これでも大法弟子と言えるのでしょうか? 名ばかりの大法弟子であるがゆえに、数えきれないほどの執着を持ち、隙に乗じられないことがあるでしょうか? まさに、私の人心が鬼を呼び寄せたのです。
再び迫害された時、ちょうど子供の大学入試の数カ月前でした。人心が氾濫し、大法の良さを知っていて放棄したくない一方、刑務所の中で尊厳を失い、殴られて死ぬのを恐れ、家族が受ける精神的苦痛や、世間に変な目で見られることも気になって、不本意ながら、再び煉功しないという表面上の保証書を書きました。内心では、絶対に大法を放棄しないと思っていました。これは典型的な「人間のことを手放したくないが、成仏もしたい」表れです。
釈放されてから、私は何をするにも恐れていました。何もしないのは正しくないと思っていますが、学法と煉功だけをしても駄目だと思い、かえって何もしないことにしました。堅持するという全ての決意は口先だけに留まり、毎日、仕事の忙しさを言い訳に何もせず、そのかわりに小説で自分を酔わせ、師父が多くの心労により与えて下さった貴重な時間を浪費しました。しかも、私は旧勢力のコントロールの下、多くの人間らしくないこともしました…。
しかし、いくら私がダメであっても、慈悲なる師父は何回も私を諭し、いつも私を呼び覚まそうと、同修を私のそばに送ってくださいました。大洪水、暴風雨、ドロドロになって歩けない道、壁が飛ばされ屋根しか残っていない家屋…それらは私が常に悪夢の中で見る光景です。
ちょっとした進歩を得れば、階段を上る夢も見ますが、しかし長い間、私は怠惰が習慣になり、安逸が自然になり、怠けるために多くの言い訳を用意し、なかなか目覚めようとしませんでした。
昨日、また同修が訪ねてきて、多くのことを話してくれました。「あなたはどうしますか? 将来、最も汚いところに本当に居たいのですか? 大法弟子には再び修煉するチャンスがなく、あなたがダメになれば、あなたの子供、主人も一緒にダメになってしまいます。彼らは以前あれほど良かったのに、今はどうなっていますか?!(主人は以前、私と一緒に学法したことがありますが、私が迫害された後、彼は同修を罵るようになりました。子供は小さい頃に私と一緒に真相資料を配ったことがありますが、今は大法に言及すればすぐに嫌な顔を見せます) あなたはいつも、自分が先にその気にならなければ、他に誰が何を言っても無駄だと言いますが、しかし、あなたは何時目覚めるのですか?……」
「いいえ、私はそんなに惨めな境地に陥ることはありません。それは大法弟子を迫害する悪人が受ける仕打ちです」と、私はこのような詭弁を言いました。すると同修は「それより肝心なのは、信じるかどうかの問題です。あなたは本当に師父を信じますか?」と言いました。この一言を聞き、私はびっくりしました。 そうですね、私は本当に師父を信じているのでしょうか? 以前、自分は信じていると思っていたのですが、それが真の信ではないことを、今になって気づきました。実際、常人社会における全てこそが、自分の最も気にしていることです。家族、仕事、名誉、地位……大法はただただ、生活の中の一錠の安定剤に過ぎません。「学法をしたこと」を「法を得たこと」だと思い、劫難の中で命拾いさえできればいいと思うために、大法を手放したくありませんでした。大法を得て数年経っても、いつも法との間に膜を感じ、大法に接近したものの、大法の中に入れないことは、どんなに遺憾なことでしょう! 真に修煉したいと思い、そして自分が修煉していると錯覚している人にとって、それはどれだけ恐ろしいことでしょう! 冷や汗をかきます……。「根本をたどれば、学法の量が少な過ぎます。学法しましょう。学法です……」。同修の鄭重な口調から、私はその同修の常人に対する、そして道に迷った同修に対する無限の慈悲と憐れみを感じました……。
本当に良く考えないといけない時期に来ました。これ以上、日々を無駄にしてしまうと、極まりなく危険です! 大法弟子として、自分の誓約を果たさなければ、誰を騙すことになりますか? 未来の宇宙に自分の居場所はなく、それでも法の中から言い訳を探して自分を騙すのですか? それでも、自分が法を学んだことがあり、煉功したことがあり、そして衆生を救ったことがあるからと言って、それを理由に劫難から逃れられると思うのです? 自分を変えようとせず、どんなことも自分の意に沿わなければならず、頭の中には様々な考えがよぎって、旧勢力と何ら違いはありません。こんな危険な境地に至って、それでも自分と家族は安全でいられるという幻想を夢見るのでしょうか? 常人の未来を気にせず、冷淡な態度を取る自分には、大法弟子の慈悲や善の念は全くありません。
昨夜、小学校に再び戻って授業を受ける夢を見ました。先生は同意されました。目覚めてから、私は感無量でした。再び大法に戻って、ゼロからスタートし、一歩一歩、真面目に修煉者として歩みたいです。私と同様の経験をした同修達に言いたいのですが、万古の機縁を惜しまなければ、どれほどの遺憾を残すでしょう。本当に真に修める大法弟子が円満成就するのを見て泣きたいのですか? その時、恐らく泣こうとしても泣くことはできないでしょう。
皆さん、一緒に頑張りましょう。堅実に、一歩一歩しっかりと師父が示して下さった道を歩み、衆生が救われる喜びを私たちの帰還の果実としましょう。その時、師父のご恩に再び感謝します! その時、師父にこう言えたら最高に思います。「師父、私はベストを尽くしました。私は師父から与えられた大法弟子という称号に恥じません」。