文/河北省の大法弟子 修心
【明慧日本2014年9月23日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
私は1998年に修煉を始めた古い大法弟子です。15年間の修煉の道程を振り返ってみると、心の中には喜びと感激でいっぱいです。二度とない大法に出会えたことに感激し、法を正す時期の大法弟子になれることに栄光を感じ、常に偉大な師父のご加護があることに幸福を感じています。
それでは、主に、名利をなくし、真相を伝え衆生を救うということに項目から師父に報告し、皆さんと交流したいと思います。
一、名利を無くし、真の大法弟子になる
師父はこのようにおっしゃいました。「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです。常人の社会において、人々は奪い合ったり、騙し合ったり、個人のわずかな利益のために人を傷つけたりしますが、こういった心は全部捨てなければなりません。特に、今ここで功を学んでいる人は、これらの心をなおさら捨てなければなりません」[1]
修煉に入ってから、師父のこの言葉は私の頭の中に焼き付いています。名利損得の前で、私は常に師父の言うとおりにしなければならないと、自分に言い聞かせていました。
市の模範人物賞はいらない
ある日、オフィスの同僚が、早く表を埋めてきなさい、上司があなただけ条件にふさわしいと言っていましたと羨ましそうに私に言いました。表を受け取ってみると、市の優秀模範人物の選抜用紙であり、個人の基本状況と履歴を記入する紙でした。これに関してはあまり驚きませんでした。以前から自分はまじめに仕事をしており、大法を修煉してから自分に厳しく要求し、すでにたくさんの賞を貰っていました。しかし今回の選抜はとても魅力的でした。なぜなら、市のレベルなのです。そして私の会社は小さな町に位置し、全市で何名かの枠しかありません。そして将来の昇進や昇給にも関わりを持っているのです。
家に帰り、私は書斎のパソコンを立ち上げ、今回の選抜の具体事項を見ようとしました。しかし、ネットにある選抜に関するすべての資料には共産党の幹部を擁護し、邪悪な宗教を拒否するなどが描かれていました。これらの内容を見て私は躊躇しました。「この表を埋めるか? 埋めないか? 私は法輪大法を修め、法輪大法が私の体を健康にし、道徳観も高めてくれて、知恵も授けてくれたのです。私は大法の無実を証明しなければなりません。この表を埋め、模範になったら、悪党とともに大法を貶しているのではないでしょうか」と、思いました。この時、母親は別の部屋で、「嘘をつかないで! 元を変えてもすぐにわかるから!」と、大声を上げていました。私はこのことの重大さを理解できました。まずは法を勉強しよう。師父に悟りを求めようと思いました。
私は自分の寝室に戻り、机の上にはちょうど『精進要旨』が置いてあり、私はそれを手に取りました。中のある段落が目に飛び込んできました。「目下のところ、ラジオ、テレビ、新聞などのメディアで伝えられている良い人と良い事の多くはみな、わたしたちの大法修煉者が大法を修煉したことによって、心性が向上したのちに成したことです。しかし報道の中で、これらの人は何かの模範であるとか、何かの中核的人物のため成したことだとして、大法を修煉したことで成したことだということを完全に消し去ってしまいました。その主な原因は、弟子自らが作ったものです。修煉とは偉大にして殊勝なものですが、なぜ取材をする人に、それは大法を修めたため成したことだと正々堂々と言えないのでしょうか? もし、報道した人が大法を取り上げたくないのであれば、わたしたちは、大法を盗みながらも大法を実証しないいかなる形式のためにも、体裁よく繕ってはなりません。わたしたちはみな良い人として行動していて、社会にとって、人類にとって有益なものなのに、なぜ、公正で合法的な環境を手にしてはいけないのでしょうか? 大法は皆さんを圓容していますが、皆さんも大法を圓容しているのだ、ということを弟子の皆さんは覚えておいてください」[2]
私はこの段落を読み繰り返し、法理もはっきりしてきました。基本状況にこのような優秀な成績を取れたのは自分が大法を修煉しているからと紹介すべきです。しかし、このような迫害の中で、たとえそう書いたとしても、賛同してくれるでしょうか。事実通りに報道してくれるでしょうか。事実通りに報道されなかったら、模範になった私は共産党の味方になってしまうのではないでしょうか。それに、表彰文の中には大法に泥を塗るような内容まで書かれています。ここまで考えると、私はこの模範に決してならないことを決心しました。共産党に追随して大法を傷つけてはならないし、共産党の味方にもなりません。
私は直接上司のオフィスに行き、まだ埋めていない市レベルの優秀模範の選抜表を返しました。「私への高い評価をありがとうございます。しかし、私はこの模範にはなりたくはありません」。私の話を聞き、彼は驚きました。皆がなりたがっている模範に、私がなりたくないと言ったからです。なぜかと聞く彼に、私は「評価条件の中に、大法を貶める内容が書かれてあります。私は大法の恩を受け、このような名誉のために心に反する言葉を言ってはならないのです」と、正直に答えました。またこの機会を借りて彼に大法の真相を少し話しました(以前話したことがあり、上司は大法を認めています)。彼は手の中の表を見て、「この上に悪い内容など書かれてはいませんよ」と言いました。私は、表には載っていませんが、ネット上の評価条件に書かれてあったと答えました。私の話を聞いた上司はこれ以上何も言わず、私の決心を否定しませんでした。上司のオフィスから出て、心がとても軽くなりました。
不満や文句を言わない
何年か前に、夫と関係の良かった友人から、工場に新たな設備を導入するため、資金が必要になり、お金が足りないからと、夫に資金集めを頼んできました。そして、一年後には必ず返し、銀行より高い利子を付けると約束をしてくれました。彼との関係はそれなりに良いと思った夫は、お金をどこに預けても一緒で、友達が困っているなら助けてあげるべきであると考え、自ら三万元を出しただけでなく、隣近所も説得して三万元を貸してあげました。しかし、一年、二年と過ぎて行きましたが、夫の友達は約束を果たさず、かえって夫を避け始め、あまり家に来なくなりました。友達に不満を感じた夫は約束を守らないと怒りました。商売をしている人たちにとっては大したことではないかもしれませんが、一般家庭にとっては小さな額ではないのです。それに、半分の三万元はお隣が貸したお金であって、彼が返さないなら、私たちは近所に何と言えばいいのでしょうか。
夫のこのような友達を見て、私も動揺し始め、夫と共に文句が出て、時には、早くお金を貸してもらうよう夫に催促して貰いました。彼の友達がもう家に来なくなったため、電話するしかありませんでした。その友達は毎回、返すと言ってくれますが、一向に返してくれませんでした。修煉者として修煉の中で偶然など一つもなく、お金を返してくれないことも何か私に関係していると悟りました。ある晩、私はとても鮮明な夢を見ました。夢の中で、私と夫は知らない場所にある家の中にいて、あるナイフが私に向かって刺してきて、私を殺そうとしています。この時、夫はその黒い男に何やら手紙を渡し、その男は手紙を持って去って行ました。そして、私に向かってきていたナイフも消えたのです。目が覚めて、夢の中の男の様子を思い出し、私たちからお金を借りてきた男に似ていました。昔、彼に何かの借りを作り、今では、このような方法で返さねばならないことを悟りました。これは良いことなのです。修煉者の基準で自分を要求しなければなりません。それからは、夫の友達にも文句を言わず、近所のお金は自分たちが先に返し、これくらいのお金で、催促せずにゆっくり待とうと夫を説得しました。
師父はこのようにおっしゃいました「なおさらそのようにすべきではありません。修煉者は自然に任せることを重んじるべきです。自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」[1] まずは自分のお金でお隣さんに返すと夫を説得しようとした時、意外にもお金を借りていた友達がお隣さんから借りていた分のお金を返してきました。しかし、夫から借りたお金は未だに返していません。私も夫もこのことを口にしたこともなく、まるでかつて友達にお金を貸したことを忘れたかのようでした。
(続く)
注:
[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2]李洪志師父の著作:『精進要旨』「法は人の心を正す」
(明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)