文/オーストリアの大法弟子
【明慧日本2014年10月1日】師父が「在席している一部の学習者は、私に分かっていますが、精進しておらず、人によっては非常に精進していない学習者がいます。しかし師父はいつも、あなたはどうしたらいいのでしょうか、なぜ正念がないのでしょうか、師父はあなたを救いに来たのではありませんか、この法は皆さんを救いに来たのではありませんか、しかも、あなたはほかの人を救うという責務をも持っているのに、自分自身がしっかり行なっていなければ、どのようにすればいいのかと考えています。自分が神と交わした誓約を果たさなければ、結末はあなたが誓約の中ですでに決めたのです」[1]と説かれました。
師父の上記の法に対して私も感じるところがあります。私も時に精進していないからです。師父の法が警鐘を鳴らしてくださいました。それでは、なぜ一部の大法弟子は時に精進しなくなるのでしょうか? 自らの体験から、同修と交流したいと思います。個人の次元の認識に過ぎないので、不適当なところは同修のご指摘を願います。自分の状況と合わせて分析してみると、精進できない原因は少なくとも二つあると思います。
見えない、悟性がよくない、大事にしない
私たちは常人社会の「迷い」の中で修煉しているので、普段接触し、出会うのも常人の事ばかりで、常人に混じりこみやすく、常人社会のいわゆる栄華や富貴、偽りの現実に惑わされやすいのです。常人の中の得失、ちっぽけな利益のために喜んだり、悩んだりします。多くの大法弟子は見えずに修煉しています。他空間が見えず、悟性を頼りに自分を精進するようにしています。それでもし悟性が悪ければ、更に常人の偽りの現実と色々な誘惑に陥りやすく、大法を大切にせず、この千万年来生命が待っていた機会を大事にできません。
師父は「今日私が伝えているこの宇宙大法は、人間に最大の機会を与えていることでもあります。なぜならば、これほど大きな法で修煉することは、昔において当然想像もつかないことだからです。ですから、皆さんが今法を得て、私自らの説法を聞くことができ、しかも法を正すことと関係していますが、今皆さんはまだこのことの意義がどれほど偉大なのか想像もつきません。時に皆さんは精進できませんが、それは自分に対して責任を持っていないのです。なんといっても人間だから、人間としての考えがあり、これらのことに気づくことができず、こういう情況になるしかありません。実は、それは言葉で表現できず、将来皆さんは自分がどれほど幸運なのかが分かるようになるはずです」[2] と説かれました。
千万年待ち望み、思い切ってこの迷いの世間に下り法を得に来て、特に宇宙の法を正すこの特別な時期に、幸運にも主佛と共にいて、師父が法を正すことを手伝うことができて、これはどのような光栄なのでしょうか? 宇宙のどれだけの生命が望んでも得られない機会でしょうか! しかも、過去の歴史上の修煉者たちは小さな法、小道のものを修めていたにもかかわらず、一生も緩まず精進し続けたのに対して、私たちは宇宙の大法を修めており、短い時間で成就しますし、しかも加速された時間内で、更に精進すべきではないでしょうか? なぜかえって怠けてしまうのでしょうか? この機会を惜しまずに、本当に真相が現れる日になったら、精進しようとするのですか? その時になったらまだ機会があるのでしょうか?
「法を正す弟子は、法を正す時期を乗り越えられなければ、修煉の機会は二度とありません。それというのも、歴史上、すでに皆さんにはありとあらゆる最も良いものを与え、今の個人修煉の中では、ほぼ何の苦も嘗めることなく、しかも、皆さんが一世一世で作った、とてつもなく大きな罪業も、皆さん自身で耐えなくてもよいようにしたからです。同時に、最も速い方法で皆さんの次元を高め、皆さんの過去の良いものをすべてそのまま残したからです。その上、それぞれの次元の中で皆さんにさらに素晴らしいものまで補充をし、修煉の中で絶えず各境地で最も偉大なる一切を皆さんに与えて、圓満成就の後に皆さんがそれぞれの最高の境地の位置へと戻れるようにしているからです。これは皆さんに教えられることですが、さらに多くのことについては、皆さんは今はまだ知ることはできません。大法弟子が偉大なのは、皆さんと師父が法を正す時期を共にして、大法を護ることができるからです。もし、自分の行ないが、すでに大法弟子として、ふさわしくなくなったならば、皆さん考えてみてください。この天地開闢以来、かつてなかった慈悲と佛の洪恩の下でも、いまだしっかり行なうことができなければ、どうして次の機会がありえますか? 修煉と法を正すことは厳粛なことで、この時期を大切にできるかどうか、ということは、実は、自らに対して責任を負えるかどうかのことになります。この時期は長くありませんが、異なる次元の偉大なる覚者、佛、道、神、そして異なる次元の主の威徳を鍛え煉りあげることのできる時期であると同時に、自らをゆるめた修煉者を、すでにいる非常に高い次元から、あっと言う間に駄目にしてしまう時期でもあります」[3]と師父は説かれました。
同修たちよ、千万年も待った機会はあっという間に去っていきます! 大事にし、自分に永遠となる遺憾を残さないようにしましょう!
学法が少なく、人心が多く、放下できない
多くの大法弟子は常人の仕事を持っており、家庭のこともあるので、往々にして常人社会の細かなことに困らされています。忙しい同修には使える時間さえ少ないため、学法の時間も比較的に少ないのです。私自身もこういう経験があって、時に仕事が忙しくて、残業で学法の時間まで奪われました。毎日の学法の時間さえ保証できないとしたら、大法弟子として非常に危険なことです。師父は「いくら厳しい環境下であっても、いくら忙しくても、法を学ぶことを忘れてはならず、必ず法を学ばなければならず、それこそ皆さんが向上するための最も根本的な、最も根本的な保証だからです」[4]と説かれました。
個人の認識では、私たち自身は迷いの中に身を置かれているので、学法しなければ、もしくは少なければ、法の導きがないため、どう修煉するかすら分からなくなります。それでどうやってこの迷いを突破できますか? 常人の状態から抜け出すのでしょうか? 学法こそ大法弟子がすべてをよく行う根本であります。人間が生きるには空気がなければならないように、大法弟子としては学法をしなければならず、またできる限り多く勉強する必要があります。一旦少なくなると、次第に人心が増え、名利情を放下できなくなり、常人社会の誘惑も、人間の幸せも放下できなくなり、同時に苦を嘗められなくなり、意志が弱くなり、主意識が弱ってしまい、だんだん消極、退廃していきます。しかし、放下できないことは修煉者にとって致命なのです! 修煉の本質は人間のすべてのものを放下することにあるからです。放下できないことによって関を乗り越えなくなってしまい、次元を落として、最後に台無しになるのです。
師父は「乗り越えられないのは実は執着心を取り除くことができず、あるいは法を信じないからです。多くの場合は、この心を放下できず、あるいはあの心を放下できず、何かの心を放下できないから、関を乗り越えられないのです。彼が人心から抜け出すことができなければ、乗り越えられないのです」[5]と説かれました。
自分の悟りでは、人心を多く放下できなかったら、旧勢力の妨害も多く、直面する関と難を人為的に大きくしてしまい、常人の中の面倒ももたらされ、「忙しい・・・学法する時間がない・・・人心が重く妨害が多い・・・面倒が多い・・・更に忙しくてどうしようもない・・・更に学法する時間がない」という悪循環に陥ります。長くこの状況が続くと旧勢力により落とされてしまいます。旧勢力は精進しない大法弟子を淘汰しているからです。この妨害を突破するには、方法は他になく、学法を一番重要な位置に置き、いくら忙しくても、ご飯を食べる時間さえなくても先に学法を保証しなければなりません! 確実に尊敬の意を込めて、「法の中に溶け込む」[6]ように心を静めて学法して、心の中に入るように学法するのです。
私には学法すればするほど法の貴重さを感じ、精進する心も強くなり、常人の心が少なくなって、思想もますます静まっていくと感じています。学法を良くできればどう行うべきかが自然に分かるようになり、「三つのこと」をよく行えるはずです。師父は「執着を放下して軽舟(けいしゅう)快(はや)し 人心凡俗(ぼんぞく)で重ければ洋を過ぐること難し」[7]と説かれました。
同修たちよ、背負っている荷物を下ろして、共に立ち上がって精進し、神への道を追いかけましょう! 終わっていなければ残った時間は、機会でもあります。しかし、この機会はすでに多くありません! 師父は私たちに最もよい一切を与えてくださり、天への道を舗装してくださっており、私たちに精進しない理由がありましょうか?
人生は短く夢のようなもので、この短い間のちっぽけな利益は、私たちの未来永遠の栄光と比べたら何でもありません。私たちが払ったものと将来得られるものとは、遥かに正比例になりません! この宇宙更新の肝心な時に、たくさんの衆生が救い済度されるのを待っており、彼らを救い済度しに行かないわけにはいきません。師が法を正すことを手伝う先史の誓約をなぜ忘れるのでしょうか? 共に精進、更に精進して、しっかりと「三つのこと」を行い、自分に永遠の遺憾を残さず、私たちに期待している衆生に失望させないように、誓約を果たして天国へ帰りましょう!
以上、個人の悟りに限界があるので、ご指摘を願います!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一三年米国西部国際法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『米国西部法会での説法』
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「法を正す時期の大法弟子」
[4] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「米国フロリダ州法会での説法」
[5] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
[6] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」
[7] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「心自ずから明らか」