【明慧日本2014年10月9日】内モンゴル自治区の赤峰市元宝山(げんほうざん)鎮とサラウス村の中国共産党の役人らは、村民の預金を着服した犯罪行為を隠蔽するため、先月11日午後2時ごろ、法輪功学習者・白玉梅さん、白勝珍さんを不当に連行した。2人は市内のモンゴル族高等学校の近くで拘禁されている。
その場所には、玉梅さん、勝珍さん以外にもう一人、身分不明の女性学習者も拘禁されいる。彼女たちを監視しているのは、元宝区馬林町の役人二人、サラウス村の二人の女性村民だ。
事情の背景
玉梅さん、勝珍さんはサラウス村の土地を30年請け負う契約を結んだが、この間に国が高圧線を引き延ばし、電柱が占有する場所となり、25万元を勝珍さんに弁償した。その年、勝珍さんは村の担保で、銀行から7万元のローンを借りたが、勝珍さんは銀行へ返す時、銀行の担当者は「返金は不要です、国はすでにローンを返しましたよ」と言った。勝珍さんが口座を確認したところ、預金残高から7万元が減っていたという。
9月11日午前、勝珍さんの夫はこの件について村へ状況を尋ねに行くと、村の役人は「待ってください!」と言った。同日の午後2時半ごろ、3台の車で8人が勝珍さんの自宅に駆けつけ、元宝山鎮の者だと自称し、勝珍さんを強制連行しようとした。勝珍さんの息子が、なぜ捕まえるのかと聞くと、法輪功を学んでいるからだと答えたという。そして、警官らは家を荒らし、法輪大法の創始者の写真と法輪功の書籍を押収した。勝珍さんの息子が暴行を阻止しようとしたが、首を押さえつけられて、お前も一緒に連行してやると脅された。その後、村民らが阻止し、勝珍さんの息子は連行を免れた。
玉梅さんと勝珍さんの自宅は隣接しており、同日に玉梅さんも連行された。9月12日、2人の家族は解放を要求したが、監視役の人は、手続きを行ってからにしろ、と言って追い返した。翌日、家族はまた解放を求めたが、応じてもらえなかったという。
玉梅さん、勝珍さんの2人はこれまで、警官により残虐に拷問されたことがある。以下は2人が実際に受けた迫害事実である。
1999年の年末、元宝山区建昌営村の数人の法輪功学習者が、平庄留置場に強制連行された。2人のほか、法輪功学習者・張桂平さん、劉国華さん、白玉茹さん、姜勇軍さんは平庄留置場へ行き、連行された学習者の解放を求めたところ、馬林鎮政府と馬林鎮公安派出所の30数人から暴行を受けた。当時、勝珍さんは両手に手錠をかけられ、10数人に囲まれて殴られたり蹴られたりし、勝珍さんは全身怪我だらけだった。
中国共産党の暴徒らは絶えず白さんたちの頬を殴り続け、疲れるまでずっと暴行し続けた。この残忍な暴行の場面を見ていた他の受刑者は、恐れて泣いていたという。勝珍さん、玉梅さんは暴行を受けた後、何日も動けなかった。
2000年の春、馬林町の至る所に、法輪功迫害の真相を伝えるチラシが貼られた。そのため、勝珍さん、劉さん、張さん、馬桂芬さんが強制連行された。勝珍さんは警官に殴られて肋骨が折れ、折れた骨が突き出ていた。張さんも蹴られて肋骨を損傷した。馬さんは靴底で顔面を殴られ、劉さんは燃えている吸い殻で鼻を焼かれた。さらに、警官らにひざまずくよう強要され、裸足で雪の上を走らされた。残虐に拷問された学習者たちは不当に1カ月間拘禁された後、図牧吉女子労動教養所に連行され、引き続き迫害された。
2001年の春、玉梅さんなど10数人の法輪功学習者は家財を押収され、連行された後、全員が拷問されたという。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)