文/北京市の大法弟子
【明慧日本2014年10月29日】私が法を得たのは、まだ幼稚園の時でした。小さい頃体が弱く、普通の子供と比べて「鈍く」、押されたり、殴られたりいじめられたりしました。しかし、修煉者は「殴られても殴り返さず、罵られても、言い返さない」という師父の言葉を覚えていたため、ほかの子供たちと喧嘩になることはありませんでした。
惑わされる
1999年7.20、中国共産党の悪党が法輪功迫害を始めました。少し経つと母は海外に行きました。父は修煉せず、常人であり、後に祖父母と叔母も引っ越してきて一緒に住むようになり、彼らは皆修煉者ではありません。祖母は悪党に惑わされ、ニュースの時間になり、大法を侮辱する場面が報道されると、無理やり見せられ、とても悲しい思いをしました。当時、学校でも法輪功を侮辱する放送が流れ、私達は邪悪な冊子を見せられ、授業中でも、毎日のように先生は法輪功を侮辱するような話ばかりで、悪党が作り上げた「天安門焼身自殺」のビデオを見せられました。結局私は中国共産党のでたらめな宣伝に対抗できず、悪党の嘘を聞いてしまいました。今思い返せば、非常に後悔しています。
真相を知る
幸いなことに海外にいる母と暮らす機会がやってきて、私に真相を教えてくれました。なるほど、劉思影さんと彼女の母は法輪功を修煉していなかったのか! 堕胎は殺生であると師父は説法の中で説いていました。大法弟子が天安門で自殺するはずがありません! しばらくして、私は事の真相を理解でき、中国大陸のたくさんの小学生が私のように騙されていたことを知りました。後に、母からたくさんの大法の真相資料を読み、再び修煉の道に戻り、大法の中に戻ることが出来たのです。真に修煉し始めてから、体の状態が良くなり、以前は漢方薬の話をすると顔色が変わるほど薬を飲んできた私でしたが、それからは、薬ときっぱり縁を切りました。
慈悲な師父よ、この頑張ろうとしない弟子を見捨てずにいてくださって感謝しています。師父は最初に母から私にこの大切な大法を教えさせ、それからも、師父は悪党と旧勢力に破壊されそうになった時に、母から私に命を救う真相を教えさせたのです。
「自殺」の真相は理解していても、徹底的に中国共産党から離脱する覚悟はできていませんでした。国に帰り、私は以前のように赤いネクタイをしていました。ある日、同修に赤いネクタイが邪悪の象徴であることを言われました。悪党の嘘はあらゆる隙に付け入っており、子供に対する殺傷力は非常に大きいのです。悪党は小学校一年の時から私達を洗脳しはじめ、法輪功についての宣伝が嘘だけでなく、中国共産党のいわゆるすべての「栄光ある事跡」も嘘なのです。赤いネクタイは国旗の一部分だと言っていますが、それは革命時の戦士たちの血で染められたものです。これらの嘘で子供を惑わし、犠牲になった「戦士」たちも悪党の犠牲品となってしまいました。悪党は子供たちを命の絶壁に少しずつ押し、中国共産党に誓いを立てたすべての人は、悪党の烙印を付けられ、天が中共を滅ぼすときの埋葬品にさせられるのです。
これらのことを理解した私は、直ちに脱退を宣言しました。
真相を伝える
中国共産党から離脱した後、私は法輪功が迫害されている真相を他人に教えたくなりました。当時の自分は「天安門焼身自殺」の事で天と地を覆うような中共の宣伝しか見ておらず、中共がこのことを通じて、衆生に大法への恨みを植え付け、衆生を破滅へ導いていることに全く気付いていませんでした。後に、師父が説法の中で、「邪悪は天地を覆うようにやってきたこの時期に、多くの人が悪毒の虚言、世を欺く虚言に欺瞞され、恨みの気持ちで大法と私の弟子に対処したのです。このような人は未来淘汰されるに決まっています」[1]と説かれました。そのような事は本当に見たくありません。そして、私は勇気を出し、友達に真相を伝え始めました。彼女たちの背後にいる悪霊から消し去り、発正念をしながら話していました。長い間、悪党の教育を受けてきたため、彼女たちを理解させ、脱退を同意させるには長い時間がかかりました。恐怖心があるため、担任の先生にはなかなか言い出せず、矛盾していて苦しみました。
高校に上がり、明慧ネットで同修が匿名の手紙の形で自分たちの先生に真相を伝えていることを知り、良い方法だと思いました。そして、自分の政治の先生に手紙を書き始めました。郵便局に向かう途中、『洪吟二』の中の「あなたに恐れ有らば 它はじきに抓む 念を正しくすれば 悪はじぐに崩る [2]」を暗唱しながら、堂々と手紙を出しました。先生が授業中に「卒業した生徒から手紙が届きました、法輪功は邪教でないことを教えてくれたのです」ということを知り、少し安心しました。私の手紙を読んでくれました。それから、私は他の先生にも手紙を書き、真相を伝えていきました。
それから神韻のDVDを手に入れ、他の同修のように配り始め、世間に大法の素晴らしさを伝えていきました。高校の授業は難しく、宿題も多く、大学入試のストレスも大きかったのですが、私は「三つのこと」を続けていました。また、明慧ネットの文章を読む中で、自分と同修の差を見つけました。私は法を正す道程に頑張ってついて行きます。「三つのこと」をすることは勉強の支障にならず、それどころか目標の大学に合格することが出来ました。
恐怖心をなくす
しかし大学に入り、私は恐怖心が大きくなり、真相を伝えることも以前のようにうまくいかず、なかなか言い出せなかったり、言い出せても遠回りして話したり、心が落ち着かなかったりしてしまいました。相手は理解できず、もしくは受け入れられないという結果に至りました。
ある時、私はUSBメモリを持って、中共のネット封鎖を突破するプログラムを渡すために、友達の家に行きました。彼女の家に着くと、彼女の両親がお買い物に出かけていました。本来であれば真相を徹底的に伝えることが出来たはずですが、時間をすべてプログラムの使い方の説明に費やしたために、時間がなく、真相を伝えきれず、彼女に反応する機会も与えることが出来ませんでした。
後に師父の「修煉者の現れは純正なもので、多くの人は皆さんの現れを見て、皆さんのことを本当に良いと思ったのです。もし、普段自分の行動に気をつけなければ、皆さんの行いは常人の目にとどまってしまいます。常人は私達が法を勉強する時のように、深くあなたを調べようとしないので、あなたの行いを見るだけです。あなたの一言一行によって、その人が済度されなくなってしまい、大法に良くないイメージをもたらしてしまうかもしれません。私達はこれらのことを考えなければなりません」[3]の説法を読み、後悔しました。師父はすべてを按排なさっていたのです。私達が行動するのを待っているのです。それなのに自分は心の底に埋まっている恐怖心で、よい機会を無くしました。彼女はそのプログラムを良いと言ってくれましたが、いまだに彼女に対して申し訳なく思います。これからはこのような間違いを二度と起こしません。真相を伝えたからには最後まできちんと伝えます。
少しずつ恐怖心を無くしていきました。大学二年生の時、私はとても良い先生に出会い、どのように真相を伝えればよいのかを考えていました。ちょうど神韻のDVDがあったため、学期末に彼女に送りました。そしてすぐに彼女から赤ちゃんと一緒に見て、とても素晴らしかったという返事をもらいました。私の所に縁ある人を連れてきて下さった師父に感謝いたします。彼女たちは救われたことを嬉しく思います。
少し経つと中学校の同窓会が開かれ、中学の時の担任も来ました。私が中学の時になかなか言い出せなかった先生です。この後悔を補うため、私は神韻のDVDを渡し、これは本当の中国伝統文化を再現する演出であることを教えました。これを聞いた彼女は「伝統のものが無くなりつつある今、このようなすばらしいDVDを頂くことが出来てよかったです。ありがとうございます」と感謝してくれました。今回も師父が縁のある人を連れてきてくださり、私を励ましてくださったことを感じました。
師父が法を正されて10数年、考えるたびに涙がでます。私は弱気ですが、全体の進度には必ずついて行きます。「三つのこと」をしっかり行い、衆生を救い、自分の誓いを果たすため、最後の道程をしっかり歩んでいきたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『導航』 「米国西部法会での説法」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「怕啥」
[3] 李洪志師父の経文:『各地での説法二』 「二〇〇二年ボストン法会での説法」