文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年11月13日】私はある問題に対して、考え方が間違ったことがあります。私は常人の中にトラブルがあったら、すぐ内に向けて探します。内に向かって探すという目的は、やはり常人とのトラブルを早く解決したいと思っているからです。実は、修煉者として、内に向かって探すことの目的は、執着を見つけ、執着を取り除くことです。心性を向上させ、次元を高めます。師父が按排された円満に修煉する道、師が法を正すことを手伝い衆生を救い済度する道を歩みます。
たとえば、私が金銭に執着する時、家計が苦しく感じることがあるかもしれません。この執着を取り除いた後、私たちは体が軽く感じ、心性を高め、次元も昇華しました。しかし全ての人が金持ちになるわけではありません。多くの場合は、私たちの執着が多すぎて、自分でははっきり分かっていますが、放下したくないだけです。修煉者の基準で自分に要求していません。常人の中でトラブルがあった時、確かに内に向けて探すことを思い出しました。しかし、その目的は、大体常人のトラブルを早く片付けたいと思うからです。このような考え方自体、大法を利用し、自分の利益を求めています。この基点は歪んでいます、基点は人間の次元に置かれています。つまり、「私」です。
これは私が学法するときに、偶然に悟ったものです。必ず正しいとは言えません。同修の皆さんは慈悲にご指摘ください。