文/河北省廊坊市の大法弟子
【明慧日本2014年10月27日】
正念の力
1999年「7.20」の後、大法を実証するために、私は何度も北京へ訪れ、何度も中国共産党による強制連行、拘禁、労働教養を受けました。2009年7月のある日、私が家でちょうど洗濯をしていた時でした。突然3人が入って来て政府の人だと言い、私はその人たちに「何か用ですか?」と聞くと、その人たちはちょっと見に来ただけと言いながら、家の中に入って来ました。そして師父の法像を見ると、二人は小声で何か話しながら座り込みました。
その中の一人が私に「今も修煉しているの? 何歳ですか?」と聞きました。その時、私は冷静かつ穏やかに「修煉しているかはもう聞かなくていいでしょう。何歳か聞いても何の役にも立たないでしょう。あなたにとても役立つことをお教えします。それはあなた達が覚えるべき言葉、『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』です」。その人たちは「はい! はい!」と答えました。テーブルの上にあるCDを見ると「これは何ですか?」と聞き、私はこれは神韻のDVDです。見せてあげますと言いました。その人たちは少し見た後に「持って帰って見てもいいですか?」と聞き、私は「いいよですよ!」と答えました。私は神韻のDVDと大法弟子の歌曲のCDを一緒に贈りました。その人たちが帰る時、私は「私があなた達に言った事を忘れないで下さい。もう来ないでください」と念を押しました。するとその人たちは「はい、分かりました」と答え、去っていきました。
彼らが去った後、部屋に戻ると、その人たちが座っていたソファの隣に一袋の真相資料がありました。彼らが少しでも頭を下げれば見えるような所にあり、棚を開ければ中は全て大法に関係する物でしたが、彼らは結局触りもしませんでした。
そこから私は「悪い心の持ち主が歪んだことを考える時、あなたの場の強烈な作用を受けて、その考えを変え、悪いことを考えなくなるかも知れません」[1]という段落を思い出しました。当然、その人たちはそれ以後、来ることはありませんでした。
技術を学ぶ過程で心性を修める
師父は「ですから、全ての大法弟子、新しい学習者、古い学習者はみな行動を起こし、全面的に真相を伝えるべきです。特に中国大陸の大法弟子は、一人一人みな表に出て真相を伝え、あらゆるところに真相が伝わるようにし、人のいるところに漏れることなく真相を伝えるべきです 」[2]と説かれました。法を正すことが進むにつれて、真相を伝える同修がだんだん増えてきて、大きな資料拠点はもう注文に間に合わない状態でした。私も一つの資料拠点を作り、資料点にいる同修のために少しでも圧力を負担してあげたいと思いました。
私は今年で69歳です。パソコンは私にとってはまだ見慣れない物でした。全然触ったこともありませんでしたが、自分はできると感じました。私は常人の中でも自分は別に愚か者とも思っておらず、小さい頃から頭が良く、学校でも、会社でも一歩前を進んでいる人で、社会の中でもみんなに強者と認められ、他の人ができる事はもちろんできて、他の人ができないことも私にはでき、人に負けを認める事はありませんでした。また、技術の同修も私の娘で、他の同修にはない便利な条件がそろっていて、更に自身の条件も合わせて、とても順調で容易なことだと思っていました。
しかし学ぶ過程ではとても複雑でした。娘と一つの関を越えたらまた一つの関。その後、これは全て私の人心によるものだという事を悟りました。先ほど述べたいくつかの文からも分かるように、自我を称える心、他人を下に見る心、傲慢さと情が、技術を学ぶ時に様々な人心によるトラブルを引き起こしました。こんなにたくさんの人心があるのに順調にやっていけるはずがありません。
例えば一つの事を覚えて、娘が居なくなるとすぐに問題が起き、どうすれば良いのか分からず、また娘に聞きました。しっかりと覚えるために、私は順序にそって一歩一歩、クリックして、ウィンドウが出てきて、クリック、ウィンドウがまた出てきて・・・・・と、詳しくメモを取り、更に図や絵まで書きました。娘がネットワークに接続する事について教えているとき、私はじっくり真剣に聞き、見て覚えていました。しかし彼女はダウンロードについて話し始めました。私はその時、ちょうどネットワークに接続する事について考えていて、彼女がダウンロードについて話しているのを聞き逃してしまいました。そしてダウンロードができず、もう一度娘に教えるよう求めたとき、彼女はとても機嫌を悪くします。そして遠慮なく「あなたはなんでこんな人になったの? 嘘をつくし、私は絶対に教えたのになんで『教えていない!』と意地を張るの?」と言いました。私は聞こえていなかったと言いました。また、彼女は「学ぶならちゃんと学んで、学ばないならもうどうでもいい!」と言いました。
何かを聞くと、彼女は毎回不機嫌な態度で答えます。彼女が私に対して怒るとき、私は彼女に対して怒りを表す勇気がありませんでした。彼女を怒らせて教えてくれなくなるのが怖かったからです。こうして恐怖心が生まれました。しかし心の中ではいつも「いくらなんでもあなたは私の娘なのよ! なのにそうやって母親にそういう口を聞くの? もし大法を修煉していなかったら、あなたにこんな態度を取らせるはずはないのよ!」と言っていました。彼女が私に向かって何かを言う時、私はいつも我慢していました。心の中で、「私が覚えて出来るようになったら、もうあなたなんか必要ない。もういつもあなたに脅かされるのはごめんよ!」と思っていました。こうして恨む心が生まれました。彼女はいつも私の覚えが悪いことを嫌がり「1つの事を教えたら3つの事ができるようにならないと覚えられないよ!」と言いました。その後、私は試しにやってみましたが、やればやるほど怖くなってしまいました。結局ちゃんと出来なかったどころか、使えるものを削除してしまいました。そして彼女に聞くと、また理由もなく一発来て、「出来ないなら勝手にやらないでよ! あなたのためにやってあげたんだから、教えた通りにやってよ!」と言われました。私は口では「はい、そうですね」と言っていましたが、心の中では不服でした。「あなたが私に1つの事を教えたら3つの事ができるようにしてと言ったんでしょ? もう何か問題があっても、自分で処理するべきではないのだ」と思いました。こうして依頼心が生まれました。
またある時、彼女は私に対して怒りました。「出来るならやればいいけど、出来ないならやらないでよ! 一人で出来ないのに人の足を引っ張って!」私は立ち込める怒りを抑えて、「私は学んだことがないでしょ?」と言いました。彼女は「あなたは学んだことがないと言いますけど、誰が学んだというの? 私だって学んだことがないでしょう? 他の人が私に教えてくれた時だって、一回聞いただけです! それでいいじゃない!」と言い捨てると、去っていきました。
今回はいくら何でも我慢しきれませんでした。彼女が去った後、私は泣き出しました。一回一回襲ってくる侮辱と苦しみ。我慢が頭まできて限界になりました。「私は衆生のためにやっているのに、あなたは毎回毎回、私にこんな態度を取るなんて。もし他の人が教えるならこんな態度はとらせないのに!」と思いました。また、「いっそのこと、やらなければいいのでは?」と思いました。しかし「もし私がやらなければ師父の按排してくれたこの環境に報いることができない」と思い直しました。
何日か連続して娘は来ませんでした。この何日間、私も振り返って自分の反省点を見つけていました。「衆生を救い済度するために私が技術を学ぶのは間違いではない。師父が私にこうさせたのだ。なのに、なぜこんなにたくさんの邪魔な問題が起こるのか?」師父は私たちに何かあったら内に向けて探すようにと言っていました。何かする時は他人の事を先に考えるよう言われました。
私は心を静めてゆっくりと内に向けて探し始めました。探してみたら結構ありました。自分の考えは初めから法に合っていませんでした。まず自分を高く持ち上げ、人を下に見て、謙虚に人から教えを乞うのでなく、軽い気持ちで、自分の娘だと思い、じっくりと教えてくれるべきで、いつも彼女を自分の娘という立場でとらえ、彼女を技術の同修としてとらえていませんでした。こうしてまた嫉妬心が生まれました。「どうしてあなた一人だけ技術ができるの? もし二人目がいたなら私だってあなたを使わない」と思っていました。どうしても彼女の前で舌を巻かせてやりたいと思っており、あなたがいなくてもできると見せつけてやりたいと思っていました。ここでも闘争心、なんでも勝ちたがる心が表れました。ああ、探してみればこんなに、こんなにたくさんの汚れた常人の心でしっかりとやる事をやるのは無理でしょう。これらの心は全て大法弟子の取り除くべき心ではないのでしょうか? 師父は「真にこのように向上することができるのであれば、皆さんが純粋で浄らかな心の状態の下で行なうことこそ、最も良いことで、最も神聖なのです」[3]と説かれました。
私は他人の事について全く考えておらず、何でも相手が自分に対して、どうのこうのと考えていて、相手の立場に立って考えていませんでした。実は彼女はとてもよく修煉できていて、技術の分野で同修に知識を隠すことはなく、自分が学んだ技術を次々と教え、他の同修に対しても丁寧に教えています。彼女にも家庭があり、たくさんの常人の仕事があります。しかし彼女は大法を第一に置いて、同修に何かあって彼女を探しに来た時もすぐに駆けつけます。彼女が私にあのような態度をとるのは、実は師父が私の執着心を取り除くためにやっているのです。そして私に心性を向上をもたらしました。
このような事を悟ったら心がだいぶすっきりしました。全ての侮辱と苦しみが一気に消え去りました。何日か経った後、娘が来ました。私は彼女に「ちょっと見て、あなたが行った後にパソコンに問題が出たの」と言いました。彼女が開けて見てみると「これでいいんじゃない?」と全てが正常でした。しかし、彼女の態度はもう以前のようではありませんでした。私は、「あなたが来たら直っちゃった。なんでかな?」と言いました。これは私の依頼心を取り除くために用意されたものだと分かりました。その時から私は依頼心を取り除き、他人のことを良く考えるようになりました。また何か問題が出た時は、心性上の原因を考えたり、師父にお願いしたり、パソコン・コピー機と気持ちを通じ合わせたりして、ほぼ解決できるようになりました。本当にどうしても解決できなくなってから、技術の同修を探しに行きます。もちろん、それ以降はもう熟練して今は基本的に一人で独立して操作できるようになりました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『《精進要旨三』「人心を放下し、世の人々を救い済度する」
[3] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「再認識」