文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年12月28日】数年前、私は部屋を借りた後、偶然に数名の高齢の同修に出会い、学法グループを作りました。これらの同修は当時みな60、70歳で、小学校だけを卒業した人、全く学校に通ったことない人、自分の名前さえ見ても分からない人もいました。また、他所の土地のなまりの人もいました。学法の時、私は彼女らが読んでいる内容をよく聞き取れず、かつ私が読む時はとても大きな声で読まないと耳が遠い2人の同修に聞こえなかったです。私は心の中で、彼女達にとても敬服していました。彼女達に純粋な心があったため、師父は彼女達が集団学法に参加できるように彼女達の智慧を開いて下さったのです。これはすでに不思議なことでした。
しかし考えてみればわかりますが、学法の速度はとても遅いのです。文字を抜かして読むこと、間違って読むことがとても多く、ひいてはすでに習慣になっていました。最初、私は決心して、必ず高齢の同修を連れてしっかり学法し、学法の品質をなるべく早く上げようとしました。毎日の午前の学法で、私はいつもとても真面目に一文字も抜かすことなく、間違ったら訂正してあげました。しかし、時間が長くなっても効果があまり大きくないと私は少し耐えられなくなりました。特にやるべき仕事が多く、いろんなことが重なってきた時、時間が足りないと感じ、圧力がとても大きく、焦る心、私(し)の心が飛び出して来ました。心性は自ずと堕ちていき、学法の時、彼女達の法を読むスピードがとても遅い、あるいは間違って読むと心が苦しくなり、後になると眠くなり、学法時、ぼんやりし、さらに後になると逃げたくなりました。
一度、私は消耗品を買いに行かなければなりませんでした。しかし、そもそも午後に行ってもよかったのですが、私は午前の学法から逃れるために、午前に行きました。午前に店付近の同修の家に行き、彼女らと学法し、法を多く学んでから、午後に消耗品を買いに行き、帰ってから資料を印刷すれば、一石二鳥になると思っていました。私はこれほど良くない心を持って出かけ、とても早く同修の家に着きました。しかし、チャイムを鳴らしても応答がなく、ドアをノックしても、誰も応答してくれなかったです。私は外で待ちましたが、結局同修は帰ってきませんでした。たくさんの時間を無駄にしてから、私は消耗品を買いに行きました。帰宅はとても遅かったです。高齢の同修達は学法が終わり、みな帰宅していました。自分は学法が多くできなかったばかりか、少しもできませんでした。この時、突然同修らに申し訳ないと感じ、自分はとても微々たるものであると感じました。
当時とても後悔していましたが、その後も実際に何か事が起こる時、その旧宇宙の自分のためという要素はやはり私に巻き付いていました。そのため、いつも心性の関に出遭いました。ある日の朝、私はまた学法から逃げようとしましたが、その時、頭には絶えず「海は百の川々を包容する」という文字が頭に浮かんできました。私は慈悲なる師父が悟らせておられると思い、涙を流しました。私は恥ずかしくいたたまれなく感じました。師父に香を上げる時、敢えて師父の写真を見ることができませんでした。
今まで、私達の学法グループはすでに7年間続きました。この7年の間、旧勢力はまだ修められてない私達の執着を利用して間隔を作り、何回も私達のこの学法グループを壊そうとし、また同修の肉身に対して迫害し、私達が三つのことを行うのを妨害しました。本当に恐ろしく感じます。しかし、師父の慈悲なる加護の下、私達は乗り越えてきました。現在、私達の学法グループの同修の心性はみな絶えず向上しています、互いに協力して衆生を救い済度しています。資料を作ったり、善を勧める手紙を書いたり、真相を伝えたり、真相資料を配布したり、真相手紙を郵送したり、同修を救援したり、大法弟子を迫害した人の情報を調べて暴露したりしています。みな、自分の能力を尽くして、積極的に協力しています。
私はすでに当初の同修を「助ける」という考えを徹底的に変えました。世間で師を助けて法を正す中、これらの同修に出会ったのは、共に衆生を救い済度するためであり、それは大法のなかで結んだ奇縁だと悟りました。私は学法する際、量を求め形式を追求し、心に入らないという状態を変え、他人のことを考えるようになりました。高齢の同修達が『明慧週刊』を読むのが遅いのを見て、私は『空中明慧週刊』、『明慧修煉園地』の音声ファイルをダウンロードしてMP3プレーヤーに入れてあげました。すると彼女達は大法弟子の交流文章を聞けるようになりました。一部の同修が学法する時、文字がよく見ないことを見て、私は真面目に彼女と一緒に読みました。私が純善な心を持って行い、法の要求に符合していた時、学法をしていると、突然度量が広くなったと感じ、エネルギーに包まれて、法理が現れてきました。その感覚は言葉で言い表せません。
師父は苦心惨憺して、弟子たちにこの共に向上する環境を按排してくださいました。師父に感謝します。