文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2015年1月9日】師父、こんにちは。同修の皆さん、こんにちは。
師父は次のように説かれました。「あなたという生命がこの世に来たのもこのことのためであり、なぜ精進せずにいられるのでしょうか? なぜ緩んでしまったのでしょうか? 機縁よ、この万古の機縁! どんなに長い時間が経過しても、皆このことのために準備しており、苦を嘗め、 業を滅し、苦しみの中で今日まで歩んだのに、精進しなくなったらもったいなくないでしょうか?! しかし、この一歩は非常に大事で、精進しなければ台無しになります。あなたの生命はこの一刻のために存在しているのではありませんか?」[1]
一、農村に行き、真相資料を配って人を救う
私は遼寧省のある県の中心部に住んでいます。数年前、農村への法輪功迫害の真相資料の配布がまだ普及していないため、一部の同修が協調して、町村をいくつかに分けて、同修を数組作り、農村に資料を配りに行きました。
その後、我が県で数人の男性同修が農村で資料を配るとき連行されて、迫害され、私たちを連れて農村に資料を配りに行った同修が亡くなりました。これは我が地域の衆生の救い済度に大きな損失をもたらしました。私は人を救うことを停止してはいけないとよく分かっていますが、協力してくれる同修が見つからず、心の中で焦りました。学法を通して、私は大法弟子としての責任をはっきり認識し、正念が強くなりました。私は自分に「あなたは1人で行けますか? 1人で夜の道を歩けますか?」と自問したとき、「行きます。私は普通の女性ではありません。私は大法弟子です」と心の底から思いました。
昼間、私は行く路線を考えて、そこへ向けて正念を発しました。200部ぐらいの真相資料を揃え、夜の6時に正念を発した後、家を出て、タクシーに乗りました。車が走っている間、運転手と会話して、運転手はみな真相が分かった後に三退を表明しました。ときには、運転手の電話番号を聞いて、帰るときタクシーを拾えなければ、電話をして来てもらいました。
資料を配る間、私はずっと正念を発し、自分がやっている事は最も正しいことだと思い、恐怖感がまったくなく、毎回師父の加持の下で順調に帰ってきました。
その後、協調人の紹介で60代の同修と知り合いました。彼女は農村の道が分からなかったのですが、歩くのがとても速く、私が出かけたいとき、彼女に言うといつも躊躇しませんでした。私は資料を揃え、彼女は包装を担当し、2人で一緒に配りました。協調がとてもよく出来て、2人の正念場も強かったのです。
しかし、ある出来事が私たちに修煉の厳粛さを認識させました。冬、大雪の後、路上が凍っていました。同修の靴には滑り止めがなく、何度も滑りましたが、私が支えたので転びませんでした。私は同修に明日は滑り止めの靴を履いてきてくださいと言うと、彼女は明日昼間に娘に靴を買ってもらうと言いました。翌日、私は資料を印刷して揃えることに午前の時間を使いました。午後、資料をこの同修の家に持っていきましたが、だれもいませんでした。仕方なく、私は資料を持ち帰り、家で包装しました。夜、私たちが資料を配るとき、この同修の靴が滑り始め、私は止められず、彼女は転んでしまい、仰向けのまま動けませんでした。
その日の夜は特に暗く、私は心が落ち着かず、よくない念もよぎりました。しかし、私はすぐそれらを排除し、師父の加持を求め、邪悪の妨害と迫害を許さず、この虚像も認めないようにしました。私は同修に「師父にお願いして、邪悪の迫害を認めないように、速く立ち上がってください」というと、しばらくして、同修は何ごともなかったように立ち上がりました。しかし、同修は歩くと滑り、前へ進むことができず、私は1人で資料を配りに行きました。空がとても暗く、さきほどの事で、私は少しふらふらし、道も分からなくなり、大半の資料をまだ配っていませんでした。このまま帰ってはいけない、全部配らなければならないと考え、私はある同修に電話しました。同修は正念を発し、私も正念をずっと発して、師父の加持を求めました。資料を配ったあと、私たちは帰りのタクシーに乗りました。途中、同修が転んだ後に失神してしまったことを話すと、同修はなにも知りませんでした。
帰ってきた後、私たちは内に向けて探しました。なぜ邪悪に妨害されたのでしょうか? 同修は、「その日子供の布団のことに執着し、約束の時間を忘れ、滑り止めの靴も買わず、大法の仕事を遅らせました」と言いました。私は口で言いませんでしたが、心の中で落ち着かず、同修を責め、寛容さに欠け、また自分に安逸心がありました。私たちは修煉の厳粛さを認識し、自分を正しくし、師父の保護に感謝し、それから2人の間の協調はずっと順調でした。
二、一つの「小さな花」
我が県の大資料拠点が邪悪によって破壊された後、私は内に向けて探しました。私たちには依頼心があり、プレッシャーを数人の同修に負わせました。師父は次のように説かれています。「大法弟子として、皆さんはこの迫害の中において、如何に旧勢力が私たちに強引に加えたこの迫害を排除し、旧勢力のこの按排を否定するのか、如何に大法弟子 の道を正しく歩み、この迫害の中で衆生を救い済度するのか、これらはみな歴史が大法弟子に賦与した責任です。これは、大法弟子が行なわなければならないことであり、しかも良く行なわなければなりません」[2]。明慧ネットも資料拠点を花が咲くように各地で広げるよう提唱していましたので、私は正しいことなら、自分もやろうと一念を決めました。
私は同修と一緒に機器を買ってきました。夫は常人ですから、許さないかもしれないと私は心配して、機器を母親の家に置きました。私は年を取っている母親を世話しながら、資料を作り、「小さな花」を咲かせました。ある日、私が資料を作成していたところに、夫が来ました。どうしようと考えましたが、私は心の状態を整え、自分がやっていることは最も正しいのですから、いつまでも彼をだましてはいけません。結局、夫はプリンターはいくらかと聞き、私は千元ぐらいだと答えると、彼は高くないと言って他になにも言いませんでした。しばらくして、私は機器を家に移しましたが、夫はなにも言わず、ときには私の資料を見て「すごい」とほめました。夫は修煉していませんが、このことに対して、自分を正しい立場に置きました。
私は「資料拠点」という概念はなく、大法弟子としてやるべきことをやり、数人の年配の同修と周囲の同修に真相資料を提供しました。資金は全部自分が出しました。仕事をしている私の給料は地元では高いほうで、余裕の資金を大法のために使いました。すべては師父から与えられたもので、私たちが正しく歩めば、師父は最も良い按排をしてくださいます。
私のこの「小さな花」が十数年咲き続けたのは、周りの同修の支えや技術の同修の助けがありました。特に私が見たのは、技術担当の同修の生活はとても質素でしたが、大法修煉の中から得た大きな智慧を持っています。宇宙の真理に対して修煉者の特有な信念や大法弟子の風格を見て、私は大いに励まされました。
大法の修煉には形式がなく、私たちは常人の中で修煉しており、仕事があり、家庭もあります。仕事や家庭生活にしても、私たちは真善忍の基準に従い、自分の義務と責任をしっかり担わなければなりません。同時に、私たちは衆生の救い済度の偉大な使命も負い、精進して、師父のおっしゃった「三つのこと」をしっかり行い、大法修煉と常人とのバランスをとることが、常人の中での私たちの修煉形式です。
三、同修と協力し、直接真相を伝える
今、外に出て直接相手に真相を伝える同修がますます多くなりました。協力してくれる同修は一日の半分は学法し、半分は外に出て真相を伝え、晴雨にかかわらず行いました。年配同修の倦まず弛まずの修煉状態を見て、私は恥ずかしいと感じました。私は同修と話し合い、毎週2~3日は夜に同修と一緒に真相を伝えに行くことにしました。
縁のある人に会うと、同修が先に声をかけ、私があいさつし、距離を縮めて、同時に正念を発しました。世人を救うことを妨害するすべての要素を取り除き、自分の正念を強めるようにしました。多くの人は真相を聞いた後、みな笑顔を見せ、生命が救われた後の喜びを示したのです。真相を聞かない人、三退をしない人、態度が良くない人に対して、私たち2人はお互いに注意をして、人を責めず、機会があれば再び真相を知ってもらうように望みました。毎回、15人ぐらいが三退を表明し、また真相を伝える電話もかけました。
空いている時間に、私たちは最近の修煉状態と周りの状況を交流し、情を放下し、執着を取り除き、今後の道をしっかり歩むようにお互いに励ましました。同修は昼間に半日歩きましたが、夜に再び私と一緒に2時間以上歩きました。70歳近いこの同修に毎回「疲れましたか」と聞くと、いつも「全然疲れません」と答えました。
中共の虚言に惑わされている今の人々がみな何を追求しているか分かっています、大法弟子だけが自分のお金、自分の時間を使い、労苦をいとわず真相を伝えています。これはかれらの平安と救いを得るためなのです。
四、結び
法を正す道を今日まで歩んできました。私たち一人一人の大法弟子はみな困難と曲折を経て、修煉の機縁がますます少なくなっていることがよく分かりました。自分を分析してみると、個人修煉には不足がまだ多くあり、ときには消極、怠慢が現れ、精進と人を救う力に影響も与えました。原因は自分の修煉の意志がまだ堅くなく、人間の考えも放下出来ず、無意識のうちに「私」を守り、師父の慈悲なる済度に面目がないと感じています。これから、法の勉強を強化し、師父の大いなる佛恩の下で、「私のため我のため」の心を治め、完全に「他のため」の生命になります。
最後に、師父のおっしゃった言葉で励まし合いたいと思います。「歴史の大河の中で、この時間は一瞬なのです。消極にならないで、自らを奮い立たせてください。あなたは修煉者です。衆生はあなたに救われ済度されるのを待っています!」[1]
注:
[1] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法四・二〇〇三年ワシントンDC法会での説法』
(明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)