文/ニュージーランドの大法弟子
【明慧日本2015年1月17日】昨年の5月中旬、私は屋根に上がって、排水溝に溜まった竹の葉っぱや屋根のごみを掃除しました。梯子を降りる時、どういうわけか、梯子が自動的に折りたたまれ、私は屋根から転落してしまいました。腰をコンクリートの地面に直撃し、背中と首が鉄の梯子に激突しました。その時、意識はとてもはっきりしていて、あまり痛みを感じませんでした。私は大声で夫を呼び、とても驚いた夫に、「私は師父に助けを求めるのを忘れていました。さもなければ、こんなことにはならないはずです。私は立ち上がれないので、抱いて家に連れて帰って下さい」と言いました。夫が私を抱き起こしたとたん、私は意識を失いました。
夫は友達に頼んで、私を車でオークランドの病院に搬送しました。当直の医師はすぐX線写真を撮り、「怪我は相当ひどいです。まず痛み止めを注射して、それから点滴をしましょう。飲み物や食べ物は禁止です。明日手術をします」と言いました。また、「あなたの背骨のいくつかは損傷しており、特に腰の骨は損傷が激しい。7番目の背骨は元の2センチから今は0・5センチにまで押しつぶされ、3番目の背骨もつぶれています。そのほか、押しつぶされた小さな骨の破片が神経の近くに残っており、直ちに取り出さなければ、大変なことになります」とも言いました。
気がついた時、私は真っ向から誰かに棒で頭を一撃されたように感じました。私はこのすべてを絶対に認めないと思い、急いで発正念をしました。とても広い救急室にいるのは私1人だけでした。私はとても嫌な感じがして、絶対に手術を受けてはならないと思いました。私は大法を修めて20年、艱難辛苦(かんなんしんく、人生でぶつかる困難や苦労)をなめながら、何とか対処してきて、今日になってどうして手術を受けることができますか? 私は旧勢力を全面的に否定しなければなりません。私は師父に、「師父、弟子は麻酔の注射をすることも、手術をすることもできません。薬も飲みません。押しつぶされた骨の破片を元に戻していただくようお願いします」と師父にお願いしました。それから、私は掛け時計を見て、1時間毎に発正念をして、師父の『論語』を暗唱し、何も考えないことにしました。
翌日の朝7時過ぎ、主治医と通訳が来て、「手術をする必要がなくなりました。押し潰された骨はすでに固定しましたから」と言いました。私は感激して涙が溢れ、心の中で繰り返し師父に命を救って下さったお礼を言いました。医師は引き続き、「あなたの怪我は相当ひどいもので、6週間ベッドで安静にしなければなりません。毎日の薬以外に、1日1回、血のかたまり(血栓)が血管に突然つまることがあり、それを溶かす注射をして、それを6週間続けます。そのほか、足は酸素マサージをしなければなりません。今日はMRI検査をしますので、この救急病室に泊まってください……」と言いました。
医師はずいぶんたくさん話をしましたが、私はあまり気にかけませんでした。私は、師父が私を見守ってくださっていると分かっていますので、再び師父に、「師父、私は注射をしません。薬も飲みません。私の痛いところをロックして閉じ込めてください」とお願いしました。私がそう思うと、本当に効き目が現れました。昨夜入院した時、痛み止めの注射をしたにもかかわらず、一晩中、痛くて眠れなかったのに、今は痛みがすぐに消え、また、これまで経験したことのないほど心地良くなり、以前、痛かった所も痛みを感じなくなりました。その時、本当に百脈が全開し、エネルギーの流れもとても強くなり、体は軽やかでした。とても不思議で、とても興奮しました。
師父の慈悲なる済度に対して、どんな言葉を尽くしても、私の感激と感謝の気持ちを表すことができません。私は法を広めることを決意しました。私はここの医師と看護師、そして病院で出会ったすべての人に、大法の威力を知ってもらいたいと思いました。
私は目を閉じて、横になって煉功を始めました。第一式、三式を続けて煉功しました。看護師が薬を持って来ましたが、私の煉功を邪魔せず、終わるまで待ってくれました。彼女は親指を立てて、「素晴らしい」と言いました。私はあまり上手ではない英語で彼女に、「私は法輪功を煉功しています。体はもう痛くありません。とても心地良いです」と言いました。彼女は注射をしなければならないと言いましたが、私は「本当にとても調子が良いです。注射はいりません」と言いました。彼女も強要しませんでした。その後も何人かの看護師が来ても、私はすべて同じように対応しました。
翌日、中年の医師と通訳が来て、MRI検査では私の頚部に損傷があり、また骨盤にひびが入っているのが分かり、血のかたまりを溶かす注射をしなければとても危険だと言いました。また「血のかたまりが肺に逆流して、肺を塞いでしまえば、緊急措置をとらなければなりません」、さらに「あなたはまだとても若いので、命を大切にしなさい」と言いました。私は彼らに「私は法輪功を修煉しています。強いエネルギーの流れは体内の詰まっている所を通じさせ、また、体内に溜まっている老廃物を排出することができます。そのエネルギーは体を浄化し、自らの力で健康を回復し、その上、体を若返らせることができ、それによって寿命を延ばすことができます。私は自分の命を大切しているからこそ、注射をしないのです」と言いました。私が退院する日、その医師は私の友達に「彼女は最も敬愛すべき人です」と言いました。
3日目、また若い男性の医師と通訳が来ました。彼は、「薬も飲まず、注射もしないのは、私達の病院では、今までに前例のないことです。あなたは病棟に移っていいです」と言いました。私は彼に、「私は長く法輪功を修煉しているので、薬を飲む必要はありません。政府と医師の優しい気持ちに感謝します。これらの薬をもっとも必要な患者さんにあげてください」と言いました。医師は、「あなたはこの病院で一番いい患者さんです」と言いました。
病棟では、私は4人の大部屋に入りました。この部屋には、お見舞いに来る人が多く、私は煉功して法を広めることにしました。数人の看護師から「法輪功を煉功していますか」と聞かれ、私が「そうです」と答えると、看護師は皆親指を立てて、「とても素晴らしいです」と言いました。それから、新しい患者が入院すると、看護師達はすすんで私を皆に紹介し、彼らはまた親戚や友達に教え、皆、「不思議だ、まったく考えられない」と言っていました。皆は私の見舞いに来ることを望み、皆は私に挨拶し、慰め、また、私に祈って欲しいと言う人もいました。そういう時、私は大法の資料を彼らに手渡します。
ある日、同修が私の見舞いに来て、私達はこのことについて交流しました。同修達は「あなたはよくやっています。師父はあなたを見守っておられますので、私達は安心しています」と言いました。同修達が帰ったその日の夜、看護師は私の背中を拭いてくれました。これは規則違反でした。もともとは3人の看護師が協力してすべき仕事で、最も忙しい時でも、2人が必要でした。しかし彼女は1人でやって、しかも、とても荒っぽく身体の向きをかえ、力を入れて拭き、私の体を大きく回転させました。彼女は私を酷く痛めつけ、まるでくっついたばかりの骨を引き離すかのように痛みました。私は大声で叫びました。彼女は「痛かったら、早く注射しなさい」と言って、すぐに注射器を持って来て、注射をしようとしました。私は「駄目」と止めました。彼女は「もし、注射しなければ、あなたは歩けなくなりますよ」と言いました。私は「私は歩けるだけでなく、ダンスもできますから」と言って、足をとても高く上げて見せました。彼女は驚いて、不思議そうな表情で私を見つめていました。
その日の夜、痛くて眠れないため、私は急いで発正念をし、彼女の背後にある悪いものを取り除こうとしました。しかし、改めて考えて見れば、私は真・善・忍を修める修煉者であり、自分自身の原因を探すべきだと思いました。そして、私は歓喜心と顕示心を探し出しました。自分は師父に見守られていると思い、負傷しても痛くもなく、恐れる心もないことを自慢して、同修達にその話をした時もとても興奮していました。実は、看護師が規則通りにしなかったのは、私の顕示心からきたのです。それは私がしっかり修めているどうかを試したのではありませんか? 2日後、私はまた元の状態に回復しました。入院中に、不思議なことはまだまだたくさんありましたが、ここではもう一々述べないことにします。
6週目、私はベストを着て、その時、私はすでに座ることができ、頭もふらふらせず、そして、立ち上がることができました。病室の他の人は一斉に、「とても不思議!」と拍手しました。それから、私は立って煉功を始め、そして、ゆっくりと歩く練習をしました。彼らは皆驚いて呆然とした表情で、「あなたの功法はなんと凄いのでしょう。私達には想像もできません」と言いました。
現代医学では、私のような重症は一生体が不自由になってもおかしくないと考えられています。私は手術をせず、薬も飲まず、注射もしないで、6週間で立ち上がり、煉功し、歩行できるようになりました。本当に不思議です! 本当に奇跡です!
その後の毎日、私はすべてのチャンスをしっかり掴んで、彼らに法を広めました。私は同修からもらった3冊の『九死に一生を得る』の小冊子を主治医とその他の医療関係者にあげました。彼らはそれがとても気に入って手放しませんでした。私は他の人にも読んでもらいたかったのですが、しかし、彼らは私に返そうとしませんでした。
このことを通して、慈悲深い師父は私を救ってくださり、また私の周囲の医療関係者や入院中に知り合った患者さんを救ってくださり、さらに、私自身の問題点を気づかせてくださいました。師父、弟子は師父に感謝いたします。