文/黒竜江省の大法弟子口述 娘・同修が代筆
【明慧日本2015年1月18日】私は2010年、73歳の時に法輪大法の修煉を始めました。修煉後、全身の多くの病気がなくなり、会社のために数万元の医療費を節約しました。
また私は視力も改善し、皺が減り、シミも目立たなくなり、以前よりますます若く見えます。現在、新聞や本を読む時、メガネは要りません。何にもまして良かったことは、修煉して1年後の2011年、50年以上飲んでいたお酒をやめたことです。
誰かに年齢を尋ねられると、私は冗談まじりで「67歳です。その年に見えますか?」と聞きます。すると、いつも同じ答えが返ってきます。「いいえ、もっと若く見えます」
修煉前の病気
私は修煉を始める前、関節リュウマチ、アレルギー性鼻炎、不眠症、酷い慢性便秘、脳出血後遺症などで、毎日、様々な薬や健康食品を飲んでいました。また、春と秋の2回、脳出血再発防止の注射を6千元~7千元でしてもらっていました。
私の2人の娘は法輪大法の修煉者です。2人は一緒に法輪大法を修煉するよう励ましてくれました。病気を治療し、長生きするため、私は最終的に娘たちのアドバイスを受け入れ、法輪大法の書籍を読み始めました。
私は政府部門で長年仕事をしていたため、中国共産党の文化に洗脳され、無神論者でした。法輪大法を修煉してから、私の物事の考え方が変わってきました。
2010年7月、急性腸炎の症状が出てきました。嘔吐と下痢が2日間続きましたが、その後、少しずつ良くなりました。私は師父が私の身体を浄化してくださったのだと分かっていました。この試練を乗り越えてから、私は『轉法輪』の内容は真実であると、以前よりさらに確信しました。
私は現在毎朝煉功し、それから『轉法輪』と師父の各地での説法も学んでいます。私は自分がどこからきたのか、どうしてここにいるのか、私の使命は何かが少しずつ分かるようになりました。
師父に感謝 事故から逃れる
ある時、私は大通りを自転車に乗って娘の家に向っていました。私の後ろから一台の乗用車が疾走してきて、私の身を掠めるようにして、走り去りました。娘は驚き、呆然としていました。師父のご加護がなければ、大事故になっていたでしょう。私にはよく分かっていました。
2011年の夏、左の腹部が突然痛くなり、激しい時は、ナイフでえぐられるようでした。痛みを軽減するために、私は心を込めて「法輪大法は素晴らしい」「真・善・忍は素晴らしい」と念じました。娘は私が痛みに耐えられないのではないかと心配し、もし必要であれば、医者に診てもらいに行くよう勧めました。私は動揺せず、これは師父が私の身体から黒い物質・業力を取り除いてくださっていると信じていました。1カ月後、私は完全に回復しました。
2012年8月、娘が法輪功の資料を配っていることを理由に、警察に拘束されました。家宅捜索で家財を押収され、それには私のMP3とMP5プレイヤーも含まれていました。私は現地の610弁公室に行き、押収された品物を返すよう要求しました。警官の1人がMP3、MP5プレイヤーを指さしながら、「これには何を入れていますか? あなたは法輪功を修煉していますか?」と聞きました。私は「はい、修煉しています」と答えました。私は少しも恐れず、彼に法輪功に対する迫害の真実を伝えました。警官はプレイヤーを私に返し、「それらのファイルを削除することを忘れないで」と言いました。私は何も言わずそれを受け取りました。
大法の実態を伝え より多くの人を救い済度する
2012年、私は娘たちと一緒に神韻のDVDや法輪功の資料を配り始めました。私は法輪大法を学んで多くの恩恵を受けました。もっと多くの人が法輪大法を学び、もっと多くの人が救われることを願っています。私は時には、娘のために資料を装丁したり、娘を手伝って家事をしたり、娘たちが衆生を救うことにもっと時間を按排できるようにしています。時には、娘たちが資料を配る時、自宅で発正念をします。
この4年間、私は100回以上『轉法輪』を読み、各地での説法を3回読みました。また『轉法輪』を1回書き写しました。私は万古の機縁を大切にし、三つのことをしっかり行い、私はさらに多くの人を救い、師父について、家に戻るよう頑張ります。
以上、私が口述し、娘が代筆しました。不適切なところについてはご指摘をお願いします。
師父、ありがとうございます。同修の皆さん、ありがとうございます。