1999年7月20日、劉さんは法輪功を学んでいるとの理由で、病院側に毎月の給料から300元あまりをカットされた。
翌年、劉さんは再び市内の東山区610弁公室に拘禁された。関係者は病院と結託し、病院内に刑務所を設置し、劉さんを拘禁した。
同年7月、劉さんは三水労働教養所に拘禁された。その期間、行動を制限され、睡眠を禁止された。2002年3月25日、劉さんは断食で迫害に抗議した。しかし、3日後に灌食され、8日後に再び農場病院に送られ、毎日灌食され計80日間にのぼったという。
8月、労働教養所から帰された劉さんは職場に戻るつもりだったが、病院のリーダーに給与を支給されず、仕事に行かせてもらえなかった。生活を維持するため、劉さんはやむを得ず出稼ぎに行ったという。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)