文/河北省の大法弟子
【明慧日本2015年2月28日】2003年10月23日午前8時、私は真相を伝えて法を実証するため、たった一人で天安門広場に行きました。前門から北へ進み、広場に入ろうとしましたが、天安門広場はすでに戒厳令がしかれ、多くの観光客は毛沢東記念堂の東側の通路で足止めされていました。私はここから観光客に真相を話し始め、自分が法輪功を修煉してから無病で健康になった経験や、「天安門焼身自殺」事件は捏造されたものであること、中央テレビの番組「焦点訪談」の虚言などを暴き、人々にくれぐれもメディアを信じないよう、すべてのメディアが政府に協力して法輪功を誹謗中傷していることを告げました。
私は一群れの人に話し終われば、また次の群れの人に話し、しかも声をとても大きくしていました。周りがあまりに騒がしかったため、声を少しでも小さくすると、騒音に呑み込まれそうになっていました。私の話を聞いている人は皆目を大きくして、不思議そうな目つきで私を見て、声を出す人はいませんでした。このように話していると、突然、後ろから誰かに強く服を引っ張られました。振り返って見ると、1人の警官でした。私は彼に近くの公安局の天安門支局に連行されました。
公安局の天安門分局で、私は尋問や身体検査、写真撮影に一切協力しなかったため、ある警官は激怒しました。彼は履いていた皮靴で私の膝、ふくらはぎを蹴り、私を打ちのめし、数人の警官がさらに私を殴ったり蹴ったりして、私の髪の毛をつかんで私を持ち上げ、さらに暴行を振るいました。私は頭を抱いて大声で「警官が人を殴るのですか」と叫びましたが、一階の奥の部屋では、いくら叫んでも誰にも聞こえないし、聞こえても、恐らく誰も止めに来る勇気はなかったでしょう。警官がひとしきり暴力を振るった後、地べたには、引っ張られて抜けた私の髪の毛がいっぱいに散っていました。その後、彼らは私の訛りから唐山出身の人だろうと判断し、電話をかけて、唐山の北京駐在事務所の警官を呼んできました。来たのは私服警官でした。彼は私の両手に手錠をかけ、車で私を北京駐在事務所の唐山賓館に連行しました。
警官に腕を折られる
唐山賓館の入口で、私は「法輪大法は素晴らしい」と大声で叫んだため、1人の警官が突然握りこぶしで私の頭部、顔面を4、5回殴りました。私は耳からドカンドカンと音がしましたが、痛くはありませんでした。部屋の中にいた中年男性は、自分は唐山市公安局の副局長の孫で、法輪功の取り締まりを担当していると言いました。彼は私から手錠を外して、尋問を始めました。天安門分局の時と同じように、私は彼らに何も言いませんでした。彼は激怒して、さらに大きいサイズの手錠を持って来て、私の目の前で振りながら、「おとなしくしなければ、お前にこれを嵌めるぞ」と脅しました。
私は彼に真相を伝え、さらに、「法輪功は素晴らしいものです。政府が法輪功を迫害するのは誤っています。警官が法輪功学習者を殴ることは犯罪です。責任を負わなければなりません。将来私は法廷であなた達を告訴します」と言いました。彼は当然聞こうとせず、横暴で、野蛮に私に手錠を嵌めようと向かって来ました。何人もの警官が押しかけて来て、私をベッドに押し倒し、数人が私を殴り始め、私の頭を抑えつける人、腕を抑える人、こぶしで殴る人がいました。私は全身の力を尽くして、大声で「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と叫びました。
不思議なことに、数人の警官がこの年寄りの女性に手錠をはめるのは、本来、容易なことで、殴り合いも必要なく、こんなに苦労しなくても済むはずですが、しかし、彼らは何度頑張っても手錠をはめられませんでした。そこで彼らは更に狂気になって私を殴り、私の左腕の骨を折り、そこで、やっと手を止めました。私はベッドに座り、泣きながら、彼らの暴行を抗議しました。その副局長は偽善的な態度で私に、「一番いい病院に送って治療させるから」と言いました。しかし、3人の警官は私を車に押し込んで、唐山市に送りました。途中で、私は気持ちが落ち着き、少しも恐れず、自分の安否をまったく考えず、骨折した腕も痛く感じませんでした。師父が私のために引き受けて下さったのです。私は心の中で、『論語』と『洪吟』を暗唱しました。以前、車に乗ると、私はいつもめまいや、吐き気、嘔吐をしましたが、今回はなんの症状もありませんでした。夕方頃、車は唐山市の整骨院に入りました。
警官が投薬する医師を阻止
唐山の整骨院で、2人の制服姿の警官が私を監視し、病院の警備科長は私の身体検査を強要し、市公安局の警察が写真を撮りに来ました。私はすべて協力しなかったため、彼らは写真が撮れず、結局諦めるしかありませんでした。私は200元没収されましたが、警備科長から正々堂々と返してもらいました。病院の診察室で、警官は王楽という医者に私を監視させ、自分達は通路の他の部屋の裏で私を監視しました。王医師は私にいろいろ話しかけてきたので、私はその機会を利用して彼に大法の真相を伝えました。
怪我の手当てをしていた曹医師は私に、「彼ら(警官と病院側を指す)はあなたに投薬をさせないので、私はガーゼで簡単に手当てをして、ギブスでちょっと固定しましたが、薬は使っていません。あなたはくれぐれも折れた骨が突き出ないように気をつけてください」と言いました。最後に、私にガーゼを首にかけ、腕をつるして手当ては終了しました。これが中国共産党の副局長が言った「一番いい病院での治療」でした。
脱出に成功
夜、私は病棟に送られました。私は同室の患者さんとその家族に、腕を骨折した経緯及び私がなぜ天安門広場に行って法を実証したかなど、真相を伝えました。彼らは皆とても私に同情し、私に裏門から脱走できると教えてくれました。翌日の午前、病室には医者、看護師、警官が順番に入り、彼らは私と雑談するのを口実に、私の口からいろいろ聞き出そうとしました。私は相手の策を逆手にとり、彼らに真相を伝えました。彼らは私の善に気付き、皆黙ってその場を離れました。病院で、彼らは私にご飯を提供してくれなかったため、私は抗議しました。しかし、誰も相手にしてくれませんでした。実は、私にはお腹が減った感じはまったくありませんでした。
午後4時頃、私は病院の売店にタオルを買いに行き、長い廊下の突き当りに、裏庭に通じる一つの扉を見つけました。この扉を出れば、裏門から脱走できると思いました。しかし、その扉の近くに行くと、扉はしっかりとロックされ、鉄製のチェーンで扉の柱と枠に何重も巻き付いて、そのチェーンが大きな束となって、チェーンの両端を通し、大きな鍵がかかっていました。私は躊躇しました。しかし改めて考えて見ると、「私は大法弟子で、超能力を持っている、試さないとだめだ」と思いました。私はまっすぐ扉に向かって行き、「金剛排山」(金剛力士が山を押す)と念じて、手で扉を押しました。なんと扉はガタンと軽い音をたてて開きました。私が扉を出ると、その扉はガタンと音がして、閉じました。私は非常に不思議に思い、数歩歩いて、後ろを振り向いて見たら、あの扉は誰も開けていないかのように、鉄製のチェーンが相変わらず巻かれて施錠してありました。私は、危険の中で、師父が弟子を救い出してくださったと分かり、心から感謝しました。さもなければ、私を待っていたのはあの悪名高い冀東刑務所だったでしょう。
家に帰った後、職場の上司も地元の警官も私のところに来ませんでした。恐らく、今回の大法を実証する旅では、私は供述も、署名も、写真撮影もせず、しかも、見事に脱出しました。尾行もなく、彼らは私の情報を何も掴めなかったのでしょう。安全のため、今回のことについて、私はほとんど人に話したことはありません。今日、これを書いて、共産党の大法弟子に対する残虐な迫害事実を暴きだし、大法弟子が法を実証する真実を記録し、法を実証する最後の歳月に、正念をもって正しく行い、初志貫徹して修煉し、これまでと少しも変わらず、師父について前進して行きたいと思いました。