文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年4月7日】法を正す形勢はすさまじい勢いで前進しています。師父は大いなる慈悲で時間を勝ち取られました。弟子は無上の崇敬の念を持って、一年来の修煉体験を師父にご報告し、未来に捧げます。
一、学び続ける
私は年配の弟子で、システムのインストールを学んでからの時間はあまり長くありません。やっとXPのインストールに対処できるようになったと思ったらすぐに、Windows7へのシステムのアップグレードに臨んでいます。普段から私を助けてくれる技術の同修は、この土地の技術の主力でしたが、突然家庭の妨害に見舞われ、出て来られなくなり、システムとアップグレードのインストールのプロジェクトに参加できなくなりました。基礎が弱い私にとって、これは間違いなくショックでした。
当時、使用可能なお勧めのシステムがなく、技術担当の同修にも具体的な整ったプランがなく、2014年の4月まで有効なXPシステムがまだ使えるかどうかもわかりませんでした。しかし、パソコンを買わなくてはならない同修と、システムをインストールしたがっている同修がずっと待っていました。Widows7システムのインストールはまだわかりませんでしたが、XPシステムのインストールは長い時間を要しませんでした。このような考えに迷い、技術不足と、システムをインストールしなければならない同修たちの切迫した事情が、私を散々な目に合わせました。
ある同修はエイサーのノートパソコンを買いましたが、中に入っていたのはWindows7のシステムでした。しかも、完全できれいなWindows7システムではなかったので、帰った後、Windows XPシステムをインストールするしかありませんでした。しかし、起動すると、やはり問題があり、大変な精力を使いインストールした後にシステムが崩壊し、システムが安定しないので、もう一度インストールしなければなりませんでした。また、ある同修もエイサーのノートパソコンを買い、Windows XPに変えた後、画像が出なくて、普段からよくフリーズしていました。繰り返し再インストールしているうちに、私はいらいらして気持ちが乱れてきました。
とりわけ私たちの住んでいる場所では、早い時期からいろいろな原因のために、多くの同修が持つパソコンがレノボのメーカーで、このメーカーのパソコンはWindows7システムをインストールするにはあまり向いておらず、そうかといって、XPをインストールして起動するのもやはりハードルが高く、長時間使えず、そのうえ、こういうパソコンの量がまた多いので、まったく難しかったのです。ある日、同修が私にノートパソコンのインストールを頼んできたのがレノボで、しかも、新しく買ってあまり経っていないものでした。「天地行」が国産のパソコンをずっと推奨していないのに、どうしてまだ、レノボを買う人がいるのか私はまったく理解できませんでした。多くの同修、インターネットをする同修を含めてみな、「天地行」を重視せず、学習して技術を理解する事を重視しない事を、交流を通して知りました。問題は、パソコンに詳しい同修を探し、その同修に依存してしまう事でした。しかし、その同修が知っている事も限りがあるので、このような現象が現れるのです。このパソコンは、どんなにやってもシステムをインストールできないので、私は疲れはて、やむを得ず諦めてインストールせずに、家に帰る事にしました。家に帰った後、突然目が回り、頭が上げられず、目も見えず、嘔吐が止まりませんでした。同修の発正念などの応援の下で、症状はある程度良くなりました。
この件で私は大きなショックを受けました。なぜなら、最近、システムをインストールする技術の主力同修が、家庭の魔難のため出て来られなくなったあと、プリンターのメンテナンスをする主力の同修が、邪悪の妨害を2回受けました。交通事故に見舞われ、次は急に血を吐いて倒れ、みんなの手助けによって危険は免れましたが、まだ弱り切ったままです。当然、これには同修が内に向けて探すべき所があるのですが、邪悪が全体の技術に向かってやって来た事に異論はありません。迫害を否定したいなら、技術を普及させる必要があり、そしてはじめて至る所に花を咲かせることができるのです。
問題を急いで解決出来る方法はなく、学ぶこと、学び続ける事です。2013年末、私は「天地行」からWindows7システムの初級テキストをダウンロードし、またノートパソコンを買ってWindows7システムを学習し、同修がくれたWindows7システムのマスターディスクで、繰り返し勉強して確認し、Windows7システムの技術を身に付けて、将来のシステムのインストール作業の下地のために、積極的に難関を突破しました。またテキストを同修に普及させる一方で、自ら進んでWindows7システムを理解するよう奨励し、困難にひるむ気持ちを突破し、Windows7システムを詳しく使用するために準備しました。同時に、みんなと交流し、システムのインストールを習いたいと思っている基礎のある同修を見つけました。また、どこに行けばすでに完全なWindows7システムを持っている同修が私たちに教えてくれるのかあちこち尋ねました。こうしたいろいろな努力により、私たちはこの地区でWindows7システムの学習交流を何度も行いました。
Windows7システムを学習していた時、初めてパソコンを教えてくれた同修にばったり会いました。当時、私は何も知らなかったのですが、その同修が私を明慧ネットに導き、パソコンを学んだ経歴とたゆまない精神について話し、ずっと何年も私を励ましてくれました。何年も前から会っておらず、今ここで出会っても、時間が迫っていたので、昔話ができませんでした。
ここ何年か相手が何を経験したのか私たちはわかりませんでしたが、あっさり笑い、どれだけ法を正す修煉をしたのかという感慨がその中にありました。今、技術を用いて師が法を正す事を手伝う修煉の道を私たちは肩を並べて歩きだしました。
このように最初に技術を学ぶ同修がみな、各自向上し、異なった次元で全体の技術の力を充実させました。
二、技術を普及させる
2014年4月、私たちの所にはWindows7システムの一式があり、大量のシステムのインストールが開始されました。経験がないので、あるグループは数台のパソコンを持ってきて、何人かの同修も来て習いたがり、見たがっていました。しかし、Windows7システムの再インストールの過程では、どのパソコンも違いがあるので、現れる問題の種類がきわめて多く、インストールがなかなかはかどらず、私は頭がくらくらして、ぼうっとしてきて、同修の精力を引きずり込み、人を救うその他のプロジェクトにも影響しました。学法と交流で、改めて調整し、各グループがそれぞれ1~2台インストールし、互いに力を合わせてだんだん広く展開できるようにしました。そのほか、各グループはみな、同修がシステムのインストールを学ぶことを奨励しました。このようにして、インストールが終わったパソコンの今後の使用やメンテナンスの安定に役立ちました。こうすることで、各グループの中からまた一部の同修がシステムを学びにきました。その同修の中で、最も年長者は72歳、最も若い人は57歳でした。
これらの考えは良好で、積極的だったのですが、教え、勉強を始めるととても難しかったのです! 本当に、心を修め、執着を取り除き、繰り返し修煉して魔を取り除き、経験を積み、協力する行程でした。また、自分が本当に法のため、全体のため責任を負っているかどうかを見るための試練でした。なぜなら、これらの同修の大多数はシステムの事を知らず、ただ簡単にインターネット、ダウンロード、プリントができるだけだったのです。一人一人の心性と基礎もまた、乱雑で揃っていませんでした。一緒に教えるのは、安全や条件などで、多くの不便があり、分けて教えるとなれば、私は骨身を惜しまず働き、各グループの間を忙しく立ち働かなければなりませんでした。
教える過程で、いろいろな現象が現れてきました。ある同修はテキストを見ながら、さきほど一行目のステップをやり終えたばかりなのに、目は第三行や第四行に行っており、行を見間違えて、精力を集中する事ができませんでした。一つのステップを終わらせたら、繰り返し練習しなければなりませんので、私は待たなければなりませんでした。しかしこんな風に骨を折って教えても、次回行った時にはまた忘れていました。またあるグループでは学ぶ人が大勢いたために、進み具合が人によって違い、一つのステップをやり終えて、速い人は次のステップをやっており、遅い人はついてこられなかったので、もう一度やらなければなりませんでした。骨を折って教え終えたのに、次回行ってみると、その人は「教えてもらっていない」と言いました。また少し基礎のある同修は、私が教える方法に従って学ぶのではなく、自分のやり方に従って学んでいたので、私の考えはめちゃくちゃにされました。私の心は強い衝撃を受け、崩壊寸前の極限状態になり、同修に対する糾弾と不満でいっぱいでした。しかし、私が非難すると、同修たちの目つきはすわり、ぽかんとしていたのでした。私は「放棄したい」という考えが何度も浮かびましたが、しかしまた、何度も何度も自分の正念を確かなものにしました。
「多くの大法弟子は『師が法を正すことを手伝う』、『師父の言うとおりに行なう』と言っており、強い決意で言っています。師父が本当に行なってほしいことがあなたの意に添っていなければ、または少し難しい場合、師に手伝うという正念を少しも持たなくなります。不満を持って、発した念は妨害の作用を働いています」[1]と、師父は説かれました。
今年5月のある日、私は何人かの同修の家へ行って忙しく働いた後、帰途の路上で、急に風雨が強くなり、気温も晩秋の寒さのようになりました。学法で心を修める事が不足していたために、私は最近ずっと足が痛くなり、体がひどく妨害されていました。私の家は遠く、駅で乗り換えてもまだ遠く、長い道を歩かなければなりませんでした。風雨が強くなり、傘を開く事ができなかったので、私はあっさり傘をしまい、両肩をすくめて風雨に叩かれながら、雨の中を進みながら、考えたのは、「風雨が過ぎ去った後は、夕焼けで空は一面真っ赤になり、未来の宇宙は、きっと光がきらきらと一面に輝いているだろう」と確信しました。この日から、私の足はだいぶ良くなりました。長い間、私はたった20分強しか座禅を組んでいませんでしたが、これ以後、私はまた座禅を1時間近く組むようになりました。
数カ月が過ぎ、みんなたゆまず努力し、相互に寛容に理解し、師父の慈悲なる加持の下で、一番厳しい段階を歩みました。同修たちはそれぞれシステムのレベルに見合った学習をして理解し、身に付け、そして向上しました。技術の面では、「天地行」に接近し、「天地行」を基準にしました。みんなは自分のパソコンで、数回、十数回と反復練習し、システムをインストールする意欲が生まれ、「人に頼る状態」をほとんど抜け出しました。ある同修は他の同修が新しいシステムの使い方を学んだり、明慧メールボックスの使い方を学んだりする事を助け、他の同修のためにシステムのインストールをやる同修もいました。またある同修は「天地行」を学び、ある同修は新しい技術を次第に身に付けました。完全に独立できる程ではありませんが、各自のグループでシステムの使用中、大多数がみな、援助と保護の役割を果たせるようになりました。技術担当の同修の仕事量を分担した事により、同修たちが技術担当の同修を見つける事の難しさから来るプレッシャーが減ってきました。
最近、ある同修が、明慧ネット内のメールボックスの使用を他の同修に教えて会得させた事を私にメールしてきました。またある同修は「新しい技術を学んだ」とメールをして来ました。また数人の同修たちは何人かが一緒に力を合わせて他の同修のためにパソコンをセットアップし、私が自分の調整をうまくできるようお祈りするとメールで相談してきました。私は感極まって感慨し、師父が大きな忍の心で弟子のために作ってくださった錬磨のチャンスに感謝し、同修たちの理解と寛容、黙ったままの努力に感謝しました。
ある時、私は同修のためにシステムのインストールに行ったのですが、結果として、他の技術担当の同修が私よりも数日早くその同修のためにインストールし終わっていました。この同修は、私たちが最初にWindows7システムを学んだ中の一人で、さらにこの技術担当の同修は今もシステムを学ぶ新しい同修に手取り足取り教えています。このパソコンはその技術担当の同修とそのシステムを学ぶ新しい同修が一緒にインストールしたものでした。さらに、ある同修は、私とシステムのインストールを習う前に、他の地区のシステム講習会へも参加したが、学習した同修はみな基礎ができていなかった、と言いました。この事からわかるように、技術を普及させる事はすでに同修の中で声に出さないまま展開されており、誰にも知られずに普及し、だんだん至る所に花を咲かせ、発展していきました。
技術を普及させる事は誰もがシステムをインストールする事ではなく、みんなが技術をわかり合う事です。一枚の塀ごしに技術に向き合うという事ではなく、技術と自分は関係ない、という事ではないのです。みんなが現在持っている基礎の上で新しい技術を身に付け、成長し続けていくのです。同時に、自分が今持っていて身に付けている技術を誰かに引き継いでいくのです。「資料拠点と技術担当の同修はただ自分で仕事をするだけでなく、自分の限界を突破し、班長や隊長になる事をマスターし、同修を率いなければならない」と、ある技術担当の同修が冗談を言いました。当然、修煉者は役人ではないので、ただ一つの比喩に過ぎませんが。
技術を普及させた事で技術の神秘のベールをはがし、いわゆる「違う作業をする事」、つまり、技術を「技術担当の同修に制限する」という間違った道から救い出しました。このように、邪悪が図った「技術担当の同修を迫害することによって、全体に影響を及ぼそうとした陰謀」は目的を達することができませんでした。
三、内に向けて探す
システムを教える初期、私は教えるポイントを割りに若く、教養があり、基礎のある幾人かの同修に置いていました。少し経って、これらの同修は私が想像したような成果を上げていない事に気づきました。幾人かは気まぐれで、ある者はまったく勉強しませんでした。そういった心残りがあったので、常人のどんな観念もみな、自分と全体が向上するための壁となり、師父の整然とした按排を邪魔するのだと、私は反省しました。プロジェクトの中で誰ができて誰がダメなのか、その判断に信頼がおけるのは修煉の基礎であり、常人の表面的な条件ではないのです。
システムを教える中で、指導者だった事がある同修は有能で優れており、きっぱりしていて、苦労をいとわない同修で、学び始めた初期は意気込みに燃えていましたが、自己心が強く、たくさんのよくわからない事があると、すぐ他の同修にシステムのインストールをやってもらっていました。けれども、すぐにこの同修は変わり、いつも来るたびに自分の修煉の中の不足を内に向けて探した結果、ますます穏やかになり、落ち着き、へりくだっていきました。この同修の変化の中から、自分が何でも仕切ろうとする心、焦り、自己優位の自負心が少しも変わっていなかった事を私は見ました。この差は、技術を教える事によって覆い隠され、ごまかしてやり過ごす事ができた、ということになります。私は本当に恥ずかしく、汗顔の至りでした。
だんだんと、「黙ったまま、教養さえない幾人かの同修たちが、私の批難に向き合った時、困難に遭っても、ずっと笑顔で、最後まで意気込んでいた」という事に私は気が付きました。同修たちの寛容、理解、堅守の中で、「私自身はやはり恥ずかしい!」という事に気づきました。私が同修に教えたのは技術でしたが、同修が私に教えてくれたのは寛容でした。それは仕事でしょうか、それとも修煉でしょうか? この過程であますところなく表われ、格差はただ着実に修める中にありました。
初期においては、何でも仕切ろうとする心や、成功を急ぐ心が非常に大きかったのです。同修がいつどのくらいの成績を修められるか、私たちの地区はどれくらいの時間でどれだけの変化があるかによって、いつも何台のパソコンを設置しようかと予定していました。全体の歩みは師父がコントロールなさっており、同修たちの調子は各々の修煉の結果なのに、小さな私ができたのは内に向けて探す中で自分自身を正す事だけでした。いかなる結果を求める心もみな間違っていました。学法に立ち戻り、着実に修めて苦労を舐めて鍛え上げ、気まぐれを抑え、無言でマスターし、落ち着いて体得し、だんだん少しずつ落ち着いてきました。努力してマスターしていくうちに、内に向けて探す中で自分の思惟の変化を見るにはどうしたらよいかが、次第にわかってきました。
「多くの人は当初、一時的な考えを持っており、一時期頑張れば終わると思っていましたが、今はそうではないと分かりました。大法弟子は何を行なっても着実に行い、身を入れて取り組み、時間など余計なことを考えないでください。必ず全力を尽くして行うべきことをしっかり行い、それではじめてプロジェクト全体が良くなります。多くの人は迫害の圧力の前、迫害が早く終わってほしいと思い、一時期がむしゃらになって行なっています。そうではありません」[2]と、師父は説法の中で説かれました。
修煉の縁を幾度も与えてくださった師父に感謝し、皆さんの私心のないチームワークと何もしゃべらない円融に感謝いたします。「法の導きの下、寛大な全体の中で、『我』がだんだん小さくなる」事を信じる事ができました。「ご苦労様! あなたたちが黙ったまま費やし、無言のまま取り組んだ精密なテキストのおかげで、私たちは限りない恩恵を受けました。感謝いたします!」の言葉を、ここで私たちと「天地行」を助けてくれた技術担当の同修たちに贈ります。
未来の天国に咲くめでたい花は、色とりどりに美しく咲き乱れ、ハスの海に青い空が見えるでしょう。
慈悲で偉大なる師父にお礼を申し上げます!
合掌
注:
[1] 李洪志師父の経文:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」
[2] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』
(明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)