文/中国東北部の大法弟子
【明慧日本2015年5月10日】私は1995年に法輪大法の修煉を始めた大法弟子です。それまで、患っていた多くの病気は、いくつかの気功を学んでも、佛教を信じても、いずれも効果はありませんでした。私は毎日働いてお金を稼ぎ、病気がちで、身の回りのことがほとんど自分でできない母(父は早く死亡)の面倒を見なければならず、本当に言葉にならないほどの苦しみでした。
大法を学んだ後、私の病気はすっかり治りました。母は私の変化を見て、翌年、私と一緒に法を学び、煉功するようになりました。半年後、師父は母の体を浄化して下さり、母も無病で体が軽くなり、何でも自分でできるようになりました。私はもう母の面倒を見る必要がなくなり、安心して仕事ができるようになりました。仕事から帰って来ても、母が夕飯を用意してくれ、洗濯なども手伝ってくれるようになりました。母子2人は新しい命を下さった師父に心から感謝いたします。
一、残酷な拷問に直面
1999年7.20、中国共産党と江沢民派はお互いに利用して、法輪大法と法輪功修煉者に対して、残酷な迫害を開始しました。私達は正義を取り戻し、大法の偉大さを実証するため、市や省、さらには北京に行き、自らに起きた変化という事実で彼らを説得し、大法を守りました。そのため、私は何度も連行されましたが、いつも師父のご加護の下で、正念で脱出しました。
私は同修と一緒に条幅をかけ、大法の真相のスローガンを書いていたため、警官に連行され、懲役6年の刑を言い渡されました。省の刑務所に送られた私は、ありとあらゆる拷問を加えられ、例えば、電気棒による電気ショック、死人ベッド、大掛け、また、真冬に素足で雪の上に1日中立たされ、歩行禁止、夏の炎天下に晒されるなどで苦しめられました。
最初の頃、足が凍傷になったり、顔が日焼けして皮膚が破れたりしました。しかし、私は師父を固く信じ、大法を信じる気持ちに変わりはありませんでした。私と母の命は師父から授かったのです! 師父の救いがなければ、私達親子はとっくに死んでしまっていたでしょう! 今の命は師父からいただいた以上、私は師父と大法を守るために命を捧げ、生死を問題にしません。
私は常に師父の「論語」と『洪吟』を暗唱し、座禅をして功を煉り、発正念をします。私は、「自分は李洪志師父の弟子です。私は神の道を歩む修煉者です。現世の残酷な拷問は一切私に役立ちません。全部跳ね返します」と念じ、師父にご加持をお願いしました。その結果、私は正念が満ち足りて、足と顔の傷もとても早く治癒しました。
冬、彼らが私を凍えさせようとすれば、私は体が熱くなるようにと発正念をし、夏、私を炎天下に晒そうとすれば、私は晒されないようにと発正念をします。そうすると、私は暑さを感じなくなり、涼しい風すら感じるようになります。彼らが私を殴っても、私は痛みを感じず、その代わりに、彼らが痛くなります。ある日、2人の警官のうちの1人が私の顔を平手打ちしました。私は、「私は痛くない、彼が痛い」と一念を発しました。すると、私は全く痛くないのに、警官の頬が赤くなって、歯から出血しました。彼は両手で顔を覆ってその場を去って行きました。もう1人の警官は私を蹴りましたが、彼の足が私の体に届かず、しかし、彼は足が痛いと叫びました。また、彼らは電気棒で私に電気ショックを加えようとしても、その電流が彼らの体に跳ね返っていきました。
ある日、2人の警官が電気棒で私に電気ショックを加えようとしました。私は、「2人の警官がお互いに電撃し合うようにさせよう」と発正念すると、彼らはお互いに電気ショックを受け、しかも離れようとしても離れられず、2人共汗びっしょりで、最後に私に、「発正念を止めてください。私達を許してください」と頼みました。
またある日、警官は私が座禅しているのを見て、4人の受刑者に、私を立たせようとしました。しかし、私はビクともしませんでしたので、彼らは私が組んでいた両足の上に1人ずつ立ちました。私は、「私は神です。私には師父の法身と護法の神のご加護があり、悪人も悪魔も私を動かすことはできません。私の体はこの上なく大きく、彼らが私の足の上に立っても、数匹のアリのようなものに過ぎません」と発正念しました。私は痛みを感じることもなく、落ち着いて座禅を続けました。しかし、彼らは体が痺れて、震え出し、耐えられなくなり、もう誰も私を引っ張ったり、私の体の上に立ったりすることが怖くてできなくなりました。
二、独房の暗闇の中に赤い光が見えた
残酷な拷問を加えても、彼らは私を従わせることができませんでした。私が転向せず、三書も書かないため、彼らはさらに厳しく対処し、独房に入れました。彼らは順番に様々な残酷な拷問を加え、食物は一日にとうもろこしの蒸しパン2個だけでした。私のような身長180センチで、体重約80キロの40代の男性にとっては、1回の食事でも、このような蒸しパン4、5個では足りないくらいです。最初の頃、私はとても空腹でした。その後、私は発正念をして、「私は大法弟子です。人間の食べ物を食べなくても平気です。お腹は空きません!」と念じました。師父のご加護があって、私は本当にお腹が空かなくなりました。しかし、体重は確かに20キロ減りました。
私は毎日座禅して、煉功し、正念を発し、「論語」と『洪吟』を暗唱しました。独房は湿っぽくて暗く、狭くて1人がやっと横になれる広さでした。光は射し込まず真っ暗で、夜か昼かも分かりません。しかし、私は赤い光を見ました。しかもとても素晴らしい光でした! 独房を出て、他の人からすでに80日が過ぎたと聞きました。しかし、私には雑念がなく、生死を度外視していたため、全く孤独感はなく、師父の法身が私の側にいらっしゃるように感じ、また、たくさんの同修が私と一緒に切磋琢磨しているようでした。独房は全く妨害されない修煉の環境となり、自分の向上もとても早く、座禅をしても、足は痛くもなく、体は痩せましたが、しかし、とても元気いっぱいでした。
彼らは私が80日間も倒れることなく、かえって元気になったのを見て、私を出して、働かせようとしました。私はそれを拒否しました。「私は罪を犯していないのに、あなた達は私にこれほど残虐な拷問を加え、私を苦しめました。あなた達の方こそ犯罪者です。私をまだ働かせようとして、私は働きません」と言いました。
しばらくしてから、彼らはまた私を暗い独房に閉じ込めました。私は絶食して迫害に反対しました。彼らは恐れて、最後には、私が絶食をしないという条件で私を独房から出すことに合意しました。迫害に反対するには健康な体でなければならない、私は自分の体を彼らに破壊されてはならないと思いました。今回の独房は15日間でしたが、私は15日間絶食しました。出て来てから、彼らは、肌が白くて、体重も増えた私を見て、「普通の人は7日間飲まず食わずでいると、だいだいもう駄目になるのに、この人は15日間、飲まず食わずで、かえって太って、元気になった。彼は本当に神になった!」と怖くなったそうです。
絶食を中止してから、私は毎日腹いっぱい食べるようにしました。私は何でも食べ、足りなければ、私はもっと欲しい、十分に食べさせなければ、私はまた絶食すると叫びました。彼らは毎日私に十分な量の食事を用意するようになりました。私は毎日腹いっぱい食べて、体はとても早く元のように回復し、元気になりました。
今、80日間独房に監禁された時のことを振り返って考えると、私は着替えをしたことも、手や顔を洗ったことも、勿論、入浴したことも、日光を浴びたこともありませんでした。それは私が最も苦しみに耐えた時期でした。しかし、私は向上しました。私はすでに生死を放下し、電気棒で電撃されても感じず、殴られても痛くなく、独房に閉じ込められたら座禅をして煉功し、睡眠を禁止されても眠くなく、食事を与えられなくても、体重はかえって増えました。
私は毎日座禅を組んで、煉功し、正念を発し、法を暗唱しました。私に手錠を嵌めさせないようにと正念を発すると、彼らは手錠を嵌めることができませんでした。受刑者が私を引っ張ろうとしましたが、私に近づく前に、彼らはもう体が痺れて震え出し、私の体に電気があると言いました。彼らは電気棒の電気ショックの怖さを知っていたので、彼らは私に近づくことができず、遠い所から私が煉功しているのを見ているだけでした。
三、内外の同修は心を一つにして、警官を震え上がらせる
その後、外の同修と連絡を取ることができるようになり、同修がmp3プレーヤーと携帯電話を持って来てくれました。私は電気工なので、充電器を使用しなくても、充電する方法を知っています。同修はまた、特製の『轉法輪』を届けてくれ、新しい経文が出れば、それも届けてくれました。私は短い経文を鉛筆で書き写して、同修に渡し、『轉法輪』と説法は皆が読んでから、私が保管しました。受刑者と警官は私の所持品を検査するのを恐れ、また同修達も、警官に師父の経文や大法の書籍を見つけられないように正念を発してくれました。
こうして、刑務所の中の同修は、ほぼ全員『轉法輪』と師父の新しい経文を学ぶことができるようになり、師父の法を正す進展を知ることができ、迫害に反対する信念が強固になりました。本心に反して三書を書いた数人の人は、全員それを破棄すると表明し、明慧ネット上で厳正声明を発表しました。