文/山東省の大法弟子 縁音
【明慧日本2015年5月25日】私は自分の学歴につり合わない仕事をずっとしてきました。大きなホテルの主管や教育訓練と企画、またブランドの車の販売などです。仕事をなかなか見つけられない今の大学卒業生に比べると、私の経験はまるで神話のようでした。
私がどこで仕事をするかに関わらず、私は皆に「良い人」と最大限に認められています。私には分かっています。これは師父から授かったのであり、大法の「真・善・忍」の法理の導きがなければ、今日の私は社会の物事の成りゆきのままに従う一員にすぎなかったでしょう。私が他の人より幸運なことは、私が宇宙の法輪大法を得たことです。
韓信の「股下の屈辱」を思い出す
私が大きなホテルの主管をしていた時、まだ19歳でした。ビジネススーツを着用したベテランの十数人の年上の従業員に教育訓練することになり、私は少し怖気付きました。社長が私をリーダーとして養成するのは、私が良い人だからと言いました。
ある古い従業員は特に私に従わず、何でも私と張り合い、さらに会議の時、公然と私にたてついて、また徒党を組みました。私は彼女と同じように争わず、私は最大の善の念で彼らに対処しました。従業員が私に対してかき乱したり、邪魔をしたりした時、私は毎回全て忍耐し、その後、自分のどこが良くなかったかを探して改めるようにしました。
ある日、古い従業員が病気になり、私は食堂に注文した料理を彼女の寮に届けました。彼女はベッドの上で一滴の水も飲まず、苦しんでいました。私は自分の部屋に大事にしまっていた缶詰を1個持ってきて、彼女の口に差し入れて食べさせました。その時、彼女はとても感動し、病気が良くなった後、心から私に謝罪しました。そしてその後、彼女は私の仕事の上で最も有能な助手になりました。
育成教育訓練の会議で、私はどのように善人であるべきか、全ての従業員に重点的に毎回話すことは、人の品格は学歴よりも重要で、人の心を善に向けて修めるという大法から学んだ道理を教えます。私たちの部署は徐々に争うことが少なくなり、お互いにさらによりよく協力するようになりました。彼女らは何かがあれば、私に教え、一緒に解決方法を考えます。彼女らは私を「お姉さん」と呼びますが、実は私は彼女らより約10歳年下でした。
業務の評価で、私たちの部署はいつも良い成績で、このことにより、私の従業員に対する指導はとても高い評価を得ました。支配人も何かがあれば、私の意見を求めにきました。これらのことは全て大法から授けられた知恵であり、善の力だと思います。
その後、私は販売の仕事に変わりました。ある日、ある大学の女教授が娘を連れて、私たちの販売部に来ました。その教授は支配人と業務の話をしている間、私は隣で彼女の娘の相手をして遊んでいました。私たちがとても楽しくしていたところ、電話が鳴り、私が受話器を取ると、その女の子は電話機のスイッチを押して電話を切ってしまいました。その電話機には発信者の番号表示がないため、重要な取引先の電話であったかもしれないと思い、私は笑顔で女の子に「今度からは電話を切らないでね。相手の人が困るからね」と言いました
女の子の母親は隣の部屋で私の話を聞き、すぐにやって来て、顔色を変え、私に怒鳴り始めました。支配人が来て彼女を慰め、落着いた後、私は退勤時間で家に帰りました。ちょうど家に着いたところへ、会社から電話があり、すぐ会社に来るようにと呼ばれました。会社の話によると、その母親は社長の所まで行って大騒ぎをし、そして私を解雇するようにと言いました。その時、私は不当な扱いを受けて口惜しい思いをしましたが、師父がおっしゃった劉邦の大将軍・韓信の股下の屈辱の歴史物語を思い出し、「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]、今回の関をしっかり乗り越えようと考えました。
会社に着いた時、その母親は社長室でまだ大騒ぎをしている声が聞えました。部長は室外で私に会社に呼び出したことを詫び、そして、「あの人は教授ですが、どうしてこんなに教養がないのでしょうか」と言いました。
続いて、社長は私を社長室に呼び入れ、その客は謝罪を要求していると言いました。その時、私の心はとても穏やかで、「はい、お詫びいたします」と言いました。その大学教授はそのような謝罪は駄目だと言い、二つの椅子を持って来て、彼女と娘がそれぞれの椅子に座り、2人の前に私を立たせ、そして軍人のように直立した後、最敬礼をして2人に順番に謝罪するようにと要求しました。さらに、謝罪後、子供が許すかどうかを聞いて、子供が許すならば、この謝罪を認めると言いました。
その時、社長、部長、同僚など十数人がおり、私は少しショックを受けましたが、私は平常心でこの関を必ず乗り越えようと自分に言いきかせました。私は大学教授の要求に従い、直立し、最敬礼をして謝罪し、また子供に許しを乞いました。その子は何が起きたのか訳が分からないようで、私を見て「またおばちゃんと遊びたい」と言いました。
社長にとって、この厄介な問題がこんなに円満に解決しました。
翌日、社長は監視ビデオでこの件を調べ、経過が分かった後、私に言いました。「私はほとほと感服した。あなたは普通の人ではない。こんな大きなことを平常心で忍耐して、大した人だ! 他の人だったら、無実の罪でこんな不当な扱いを受けたら、むしろ仕事を辞めてもいい、その人と全力で戦わねばならないと・・・」
これは大法弟子の大きな忍が人の心を打ち、感動させたのだと思います。その後、私は機会を得て支配人に大法の書籍を渡し、彼女は持ち帰って拝読しました。縁がまだ熟していないのかもしれず、彼女はまだ修煉に入っていません。
社長は圧力に屈せず 解雇を拒否
私の今の仕事は主に官庁と国有企業を相手としています。社長は官僚の汚職、腐敗を見慣れて、いかなる人も信用せず、休暇の前には毎回、商品を一つ一つ確認し、自分の不在の間に商品や代金が従業員に盗まれるのを心配していました。
私は入社後、帳簿をきちんと整理し、時に紛失した物があれば、自分のお金で補い、個人の損得など計算に入れたことはありません。むしろ自分が損をしてもいいと思い、ちょっとした甘い汁も吸ったことはありません。皆は私を「大知は愚のごとし」だと言いました。社長は私を通して、徐々に法輪功に対する見方を改め、高く評価するようになりました。彼女は「私はこの年齢まで、家族以外に信用する人がいませんでしたが、あなたは信用します。今度、人を募集する時、法輪功修煉者を雇います」と言いました。
数年前、母(修煉者)は不当に拘留され、家族は母をみごとに救出しました。その後、警察は私の個人情報を単独に保存しました。ある同修が不当に拘留され、その同修の家族がその時、私の家に泊まり、私は同修の家族と一緒に公安部門の要人に解放を求めに行きました。警官は私の個人情報を取り出し、皆の前で私を侮辱し、脅迫し、その後、会社に来て社長に私を解雇するように要求しました。
その時、社長の父親は癌になり、私はかつて彼に法輪功の実態を話し、「法輪大法は素晴しい」「真・善・忍は素晴らしい」と、誠心誠意念ずれば、健康を回復し、必ず救われると教えてあげました。社長の親戚は中央弁公庁の役人で、このことを知って、家で大騒ぎをし、社長と言い争い、社長に私を解雇させ、また私を逮捕すると言いふらしました。
また一方で、夫は私との離婚を求め、家から出て行きました。私がもし仕事を失ったら、家賃は払えず、食事をすることもできません。家のこと、会社のこと、人間関係のトラブルが一度に襲ってきて、これは本当に私にとって「百苦は一斎に降下した」[2]のようでした。私はとても苦しく、修煉者の出遇った魔難は常人が想像できないものだと感じさせられました。
その時期、私が唯一できることは法を多く学ぶことでした。その何日間か、社長も家と社会からの強い圧力を経験しました。ある日、社長は私に言いました。「あなたが優秀なのは誰もが認めるところですが、多くの方面からの圧力が私にあなたを解雇させようとしています。私は何日も考えました。あなたに言いたいのは、ここでしっかり仕事をしてください。私が誰を雇うか、私自身で決め、他人の言うことは聞きません。親戚は私にあなたを解雇させて、彼はあなたのような社員を見つけることができるでしょうか? 彼にこの能力があるでしょうか? 彼は今、官僚の服を着ているので、他の人は彼を人間として扱っていますが、この服を着なければ、彼は大便にも及びません! 私は誰も要らない、私はあなただけが必要です・・・」
その一瞬、私は涙が込み上げてきました。私は心から師父に感謝し、社長の正しい選択もうれしく思いました。社長は各方面からの圧力を耐え切って、自分に素晴らしい未来を選びました。
辞職 復職 自然に従う
社長の事業は同業界でも最も優秀でしたが、社長の息子は私が法輪功を学んでいるため、各方面からの圧力に耐えられず、会社に来て私を追い出そうとしました。このような状況下で、私は辞職を決意しました。社長は再三に私を引き留めましたが、私は自然に従うべきで、今は離れるべき時であると思いました。私が会社を辞めた後、社長は2人を雇って私の仕事を引き継がせましたが、すべて気に入らなかったそうです。
今年の年明け、社長は電話で私に戻って来てほしいと言い、待遇も同業界より抜きん出て高く、休暇も同業界より多く、また遅刻、早退も許可し、何か用事があれば、仕事時間中に随時してもいい、そして今している仕事を持ってきて、勤務中にしてもよく、毎月2人分の給料を支払ってもいいという条件でした。社長は「私のこれまでの人生で信頼に値する人は数人しかいません。私が最も信頼しているのはあなたです。今回あなたがもし来なければ、私はずっと待ちます。他の人は要らない、私はあなただけがほしいのです!」と言いました。
それから、彼女は毎日私に電話をかけ、毎回30分、1時間かけて話しました。私は再三考え、そして同修とこの件を切磋琢磨し、同修もこのことは偶然ではないと考え、そこで私は前の会社に戻りました。
出勤した後、社長の息子は私に言いました。「前回、あなたが会社を辞めたのは私のせいでした。あなたが辞めてからの長い間、母は私を見ると激怒し、私に腹を立てました。この前、私は面子のためにあなたに謝りませんでしたが、今日、あなたに謝ります。すみませんでした。これからは、ここでしっかり頑張ってください。家や会社に何か問題があれば、私に相談してください。母は今私に出社させたくなく、私がまた騒動を起こすことを心配しています。実は、私の心の中には何もなく、あの時は圧力があまりにも大きかったからです。私もあなたが良い人だと分かっています。ここでしっかり頑張ってください。私たちはあなたを優遇します・・・」
私は言いました。「あの時、私が辞めたのはあなたのせいではありません。私の修煉がよくできていなかったので、心の容量があまり大きくなかったからです。安心してください。私はどこであってもしっかり仕事をします。師父は私たちを真に良い人に導いてくださいます。私はあなたたちから給料をいただき、全力を尽くすべきです。やるべきことをしっかりするのが本当の良い人です」
社長の息子は私の話を聞いた後、「お話を聞いて、法輪功はとても素晴らしいです・・・」と言いました。
息子は軍隊で仕事をしたことがあり、中国共産党の毒害を深く受けていました。私は以前、彼に法輪功の実態を話したことがあり、彼は聞き入れませんでした。しかし、今回彼は聞き入れました。その時、私は彼に引き続き真相を話すつもりでしたが、客が来ました。今後、善念をもってゆっくり話していこうと思います。
私が会社に戻った後、社長は私が再び辞めるのをとても心配し、先日、私に言いました。「あなたはここでしっかりやってください。私はあなたには十分なことをしてあげるつもりです。将来、あなたにとって良い結果になり、私が言わなくてもあなたにも分かります」。実は、社長が話しているのは彼女のマーケットのことだと私には分かっていました。彼女は良い人を見つけて、自分のグループを引き継いでもらいたいと何度も話したことがあり、息子には工場があり、将来この業界に従事することができません。社長は私に期待し、私がこの会社でしっかり仕事をして、私をしっかり教育するつもりです。彼女は「機が熟したら、あなたは社長になりたくなくても、社長にします」と言いました。
この話を聞いても、私の心はとても平静でした。彼女の話したことは心底からだと分かりましたが、私の心は動ずることなく、自分の道はすべて師父の按排で、今後、自分の道をどのように歩むかは、法を正す過程で必要とするところに従います。しかし、社長のこのような話から、彼女の心の中で大法弟子がどんなに大切であるかを十分に表しています。
ある日、公安部の人が買い物に来て、彼は私を指して「私はあなたのことを知っている」と言いました。その時、私たちは母を救出したばかりで、社長は私の身の安全を心配し、私を護るために直ぐにその人に話しかけて話題を変え、私に離れるように暗示しました。時に、私が公安の人に法輪功の実態を話す際に、社長も私に手つだって、「全世界の国々が全て大法を学ぶことを許し、中国も開放し、今、賢明な人が良い人を捕えることがあるでしょうか、良い人のすることは素晴らしいでしょう」と話しました。
ある従業員・Aさんは家の人が癌になり、社長はAさんに対して「法輪功を学ぶように、大法弟子・Bさん(Bさんは私たちの職場の大法弟子)の所に行くように、彼女には助ける方法があります。他の人に聞いても駄目ですよ。Bさんだけですよ」と言いました。Bさんはそれを聞いてとても感動し、うれしく思いました。
ある日、私は同修に「仕事上でのいくつかの体験を書いてみてください」と勧められました。私は思うには、私が大法を修煉していなければ、この乱世でどんなに汚染されていたでしょうか? 師父のお教えがなければ、骨身にこたえる苦しい試練の中で私は心が動じないでいられたでしょうか? 本日、私は自分の体験を書いて、大法は人を善に向かうように真に教え、導いていることを実証しました。この社会の道徳が一瀉千里に滑落している中で、「泥より出でて泥に染まらず」という蓮のように、俗世に左右されない人は、ただ法輪大法修煉者しかいません。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「苦其心志」
(明慧ネット第11回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)