文/広東省の農村大法弟子
【明慧日本2015年6月5日】
笑
中国共産党は大法を迫害し、私も違法に監禁されました。夫(常人)も同時に解雇され、半年以上収入がなく、安定した生活が出来ないので、仕方なく田舎に戻り、小さな診療所を開きましたが、3人の子供の面倒を見てくれる人がいませんでした。
その後、私は違法に刑務所に監禁され、夫の商売もうまくいかず、周りの同修にお金やコネで動いてもらい、私はやっと釈放されました。出て来ても、邪悪にまとわりつかれ、少し何か動きがあれば、騒ぎに来て、洗脳班に連行されました。私は洗脳班から脱出して、ずっと外で流浪していました。
2003~2004年頃、多くの協調人が連行されました。私と「同案」の同修は、大晦日に家族と一緒に過ごしたいと帰宅したとき夜、突入した警察に連行され、4年もの刑を下され、言いしれないほど迫害されました。私も邪悪に指名手配されました。真相が分からない田舎の知人が当局に買収され、私が家に戻って来たら、すぐに通報するようにしていました。
心ある人が夫にそのことを知らせました。夫は共産党が無情であり、迫害の相手に、1日も安定した生活を過ごさせないことが分かっていたので、常に私の事を心配していました。2004年末(旧暦12月28日頃)に、出稼ぎの子供達が家に帰って来ましたが、夫は私が邪悪に連行されることに恐れて、親戚の家でお正月を過ごさせることにしました。
夫は私の荷物をまとめながら、ため息をついて、「他の家族なら妻は夫の外での安全を心配するが、我が家では妻のためにいつも心配している。出稼ぎの人達は、お正月に荷物を持って帰ってくるが、あなたは荷物を持って出て行くね。私達はどう過ごしたらいいのか!」と言いました。そのとおりで、常人ならこのような苦難に耐えられません。しかし私は修煉の道で困難を恐れませんでした。常人のすべてを失っても、動揺せず、心は大法の事に専念しました。
県内の同修の甲さんが電話をかけて来て、同修の乙さんの夫が田舎に帰ったため、彼女の家でお正月を過ごさせたいという事でした。私が着いたらもう4~5時頃で、荷物を置いてすぐ同修と相談し、資料拠点を探して、ラベルの印刷に出かけました。大晦日の日、乙さんは毎年実家で過ごしていると言いました。私は、「いいですよ。いってらっしゃい」と言いました。彼女は御飯を食べてすぐ帰ってくると思いましたが、8時、9時になっても帰ってきませんでした。私は彼女の家の前を歩き回りましたが、入れませんでした。
そのとき、甲さんは空き家があると知り、家のカギを持って来ると電話をくれました。彼女は私が外で立っていたのを見て、すぐ抱きしめてくれました。「お正月で、みんなは家で御馳走を食べているのに、あなたは入る場所もなかった!」と泣きながら言いました。
彼女は泣きましたが、私は笑っていました、しかも心から笑っていました。そして、彼女も涙を拭いて笑いました。
私は余計なことを考えませんでした。夫と子供達は料理ができないのに、どうやってお正月を過ごしているだろうか。私は御馳走もなく、入る場所もない事など、考えませんでした。私は乙さんと一緒に準備した、たくさんのきれいにデザインしたチラシの事しか考えていませんでした。もう少し経ったら、同修達と一緒に町全体に貼りに行き、お正月中にもっとたくさんの衆生を救いたいと考えて、心から笑いました。
落ち込む
田舎に帰って来たら慣れなくて、同修達と遠く離れ、とても寂しく感じ、落ち込んでしまいました。家の環境も良くありませんでした。夫の診療所は賭博場になってしまいました。最初は不景気で、数人がトランプをして、暇つぶしをしていましたが、その後その人達はここが静かで、涼しいと思い、みんな遊びに来ましたので、だんだんお金を賭けるようになりました。私は夫にお金を賭けさせないようにと注意しましたが、夫は、「ただの遊びだ。大金を賭けてない。毎日にぎやかで過ごしやすいのだ。あなたは自分なりに修煉しているが、我々も自分なりに遊んでいる」と言いました。
こちらの衆生はみんな大法を知っていますが、済度することは難しいのです。海沿いの衆生はもっと済度し難いのです。近年、共産党は人民が血と汗を流して稼いだ金を不合理に支配し、「船頭牌」を持っている人は、海に出る出ないに関わらず、ひいては転業した若者も、2000元近い油手当をもらっています。常人なら少し利益をもらったら、私達がいくら一生懸命に真相を伝えたり、「三退」を勧めたりしても、聞く耳を持ちませんでした。ときには攻撃された場合もありました。私は彼らに失望し、彼らがかなり妨害されているので、諦めたかったのですが、慈悲な師父は私達の心を見てくださっていました。
ある日夢の中で、私は小道を歩いていました。突然後ろに5、6人の巨漢が私を殺そうと追いかけて来ました。私は必死に走っていきましたが、行き止まりになり、前は下り坂で、向こう側は辺縁が見えない海でした。海水は深く、下り坂の途中まで行ったら、あの巨漢達がだんだん近づいて来て、私は走る道がなくなりました。突然、目の前に1人のおじさんが坂道に座っていました。私は、「おじさん、助けてください。彼らは私を殺したいのです!」と叫ぶと、突然彼らは姿が消えてしまいました。おじさんは微笑みました。あの慈悲な感じは言葉で表現出来ず、私はパワーに包まれた感じで、とても気持ちが良かったのです。おじさんは少しも私がやったことに文句を言わず、「頑張りなさい」と言いました。同時にポケットから何かの種を包んでいる小さい包みを私に渡して、「この種をこの辺の土に植えなさい」と言いました。どこに土地があるか、と思った途端、おじさんが手を振ると、目の前に広い段々畑が現れました。おじさんはいなくなり、私は田野を歩いていました。
目が覚めたら、これは慈悲な師父の啓示だと分かりました。私は泣きました、自分の愚かさから師父にご迷惑をかけてしまったこと、自分が法に基づいて修めていないことを、泣きました。
内から探し 環境を正す
その後、私は内から探し、人心を放下するように努力しました。当地の同修と協調し、一緒に田舎の衆生を救いました。2013年、息子の結婚式の披露宴で、数人の同修が真相を伝えに来ました。1人の同修はパンフレット、DVDをすべての席に配りましたので、真相がわからない人に通報されました。
10数日後、当市の「610弁公室」組織、所属会社、県市公安局政法委、田舎の「610弁公室」と県政法委等10数人が殺気立って、我が家を家宅捜査し、私を連行しようと来ました(当時私は家にいませんでした)。夫はドアを開けず、入口に彼らを止めて、議論をしていました。
1人の巨漢は某県政法委の者だと言い、殺気が顔に溢れて、凶悪に突っ込んで、ドアを抉じ開けようとしましたが、夫は外に出て、大きな声で、「やめなさい! この間、会社の上から下まで、横断幕を掛けながら彼女達に法輪功を勉強させたじゃないですか。現在彼女達は煉功をして健康になったのに、逆に彼女達を迫害するのですか? あなた達が法輪功が良くないと言えば、本当に良くないのですか? 私は良いと言いたいです。私は明日から食料を持って、北京に横断幕を掛けて、『法輪大法はすばらしい!』と伝えに行きます! 私をどうすることもできないでしょう!」と言いました。
夫の正義の声によって、大法弟子を迫害する邪悪の人達は恐れを感じて、邪悪の勢いが消え、のさばっていた様子もなくなりました。1人のリーダーのような人は、「我々は奥さんを学習に誘いに来ました」と言いました。夫は、「何を学習するのですか? 妻が良いか悪いか、私の責任で、あなた達とは関係がありません。まだ学習と言えますか?」と大声で言いました。
その時、あの人達は、ぼーっと立っていて、夫は犯人を審問するように、1人ずつに、「あなたはどこからですか?」聞きました。「私はxx市610弁公室の者です」「あなたはどこから?」「私はxx県政法委の者です」「あなたは?」「私はxx県610弁公室の者です」「私はxx政法…」、「私は610弁公室…」、「私も…」。「あなた達は毎年数十回も騒ぎに来ましたが、また来ようと思うのか」と夫が聞くと、一斉に「もう来ません」と答えました。
その時最初の凶悪な巨漢は後ろにさがって、夫に、「奥さんは告発されたので、上の人に家宅捜査、逮捕をするように命令されました。奥さんに注意してください」と言いました。彼らは敗戦兵士のように帰りました。彼らは帰る途中、「610弁公室」の上が慌てふためき、毎回家に来ても同じ結果だったからだと激怒しました。
もう1回、鎮の政法書記が1人を連れて、午後1時過ぎに家に突っ込んできました。その時、私は法を学びながら、神韻のDVDと表紙を作っていました。編集しながら作り、乾かすので、テーブル、棚の上にいっぱい置いていましたので、入って来たら見えると思いましたが、すでに2人は後ろに立っていました。私がパソコンの電源を消すのが間に合わず、本を置いて、心で彼らの目が見えないように師父にご加護を求め、彼らをリビングに案内しました。彼らは本当に何も見えませんでした。
家の前に休憩をしたり、トランプをしたりする人がたくさんいました。夫は衛生室で休息していました。いとこは私が2人に連れて行かれそうだと見て、夫を呼んできました。夫は政法書記と知り合いですが、もう1人は知りませんでした。夫は、「何のご用ですか?」と聞くと、知らない人を指しながら、「死ぬ気ですか」と怒っていました。書記はその人に、「早く帰りなさい」と言いました。その人が帰った後、書記は夫に、「奥さんを早く逃げさせてください。『610弁公室』の人が車2台で、たくさんいるので、私は知らせに来たのです」と言いました。2人は出て、私が家にいないと言いましたので、仕方なく、彼らは帰ってしまいました。
以前彼らも実家に私を探しに来ました、ちょうど「SARS」が流行っている頃でした。村長に任務を執行するため、村にxxxを探さなければならないと目的を伝えました。村長は、「村に入るのを許しません。無理やりに入るなら、ラジオでアナウンスする。村の若者が鋤や斧を持ってきたら、あなた達は命も、車も無くしますよ」と言いました。村長の話を聞いて、彼らはすごすごと立ち去ってしまいました。「610」に帰ったら、「xxxの実家の村民達は怖いですよ」と報告しました。
師父のご加護のおかげで、彼らは数え切れないほど失敗しました。夫は、「かれらは馬鹿だ」と言いました。この数回、村のたくさんの人がこの場面を見ましたので、夫を尊敬し、「お兄さんが一言声を出したら、私達はすぐ飛んで来ます。いつでも待っていますよ」と言ってくれました。
心性を向上する
こちらで資料や同修達が読みたい明慧ネットの文章を準備するため、2007年、同修に手伝ってもらい、家も資料拠点になりました。最初は以前の経験があるので、難しいことではないと思いました。しかしプリンタは同修の家ではうまく動いていたのに、家に来たらだめになってしまいました。さっきまで問題がなかったのに、突然止まってしまいました。時々資料を急いでいるのに、機械はパチパチ点滅し、動いてくれませんでした。少しでも調子が悪いと、修理が出来ないので、同修のところに持って行って、見てもらうしかありませんでした。同修ができるなら修理してもらい、できないなら、専門の店に持って行って、店で半日以上待っていました。すぐには修理出来ない場合、もう1回お店に行かなければなりませんでした。しかし同修はいつも文句を言わず手伝ってくれました。
こんなことの繰り返しで、私は飽きてしまいました。原因を考えると、プリンタは今の私自身の状態と同じではないでしょうか? 同修のところで、数台のプリンタが一緒に作動すれば、テンションも上がりますが、私のところで1台だけになると、寂しくて、落ち込みました。毎回プリンタを持って帰って、設置するときに、私はいつも寂しく感じました。同修達と一緒にいて、立派な仕事をしていたのに、私と一緒にいると、田舎で埃も多くて、寂しいのです。これは正念ではないですね。プリンタは無理やり田舎に来たいわけではないのに。そのとき、私は急に分かりました。ずっと私を妨害して、同修の時間を占有するのは、私の純粋でない人心のせいではないでしょうか?
それ以来、私は真剣に法を学び、内から原因を探し、正念で修煉中のすべての出来ごとを見るようにしました。
次元が限られており、法に基づいていないところがありましたら、同修達の指摘をよろしくお願い致します。