【明慧日本2015年6月12 日】1996年1月のある日、私は法輪功修煉者・趙明さんの宿舎に、集団学法に行きました。そこで、その週の日曜日に『轉法輪』の製本の出版記念式が清華大学で開催されるので、清華大学の法輪功修煉者は手伝ってほしいと言われました。そのため、私は早めに家から学校に戻りました。私達は清華大学南校門で記念式に参加する法輪功修煉者達の受付をして、彼らの案内をしました。記念式が始まる直前に、私はやっと清華大学の建築学部新館の会場に戻りました。会場に着いた時、師父はすでに到着されたと聞き、私は興奮して手が震えました。
私が会場に入った時、師父はすでに演壇に座っておられました。師父が説法される姿は、師父の説法ビデオとよく似ていました。師父が当時おっしゃった話の多くを、私ははっきり覚えており、当時の場面が今でもありありと目に浮かんできます。私に深い印象を与えたのは、質疑応答のた時、当時北京の総責任者は前に出て皆に、「師父はもうすでに長く説法しておられ、しかも、他の用事もあるので、皆さんはもう質問をしないでください」と言いました。師父は手を振って、それを止め、引き続き会場の皆に質問をさせ、そして、さらに長く質問に答えてくださいました。
最後に、1人の北京大学の女子学生が立ち上がって、師父と一緒に記念撮影をしたいと提案しました。将来、関門を突破する時、その写真を見れば、修煉の意志を強めることができるからと言いました。師父はとても優しく、「私は通常、修煉者と単独で写真を撮らないようにしています。それは修煉者に顕示心を持たせないためです。師父と一緒に写真を撮ったことを自慢させたくないからです。しかし、今回は、彼女と一緒に写真を撮ってもいいでしょうか?」と皆にお尋ねになりました。女子学生は直ぐにステージに上がり、師父の後ろに立ちました。他の数人の修煉者も師父の側に立ち、一緒に写真を撮りました。
この時、清華大学の世話人は清華大学の法輪功修煉者は会場の外に集まるようにと知らせてくれました。私は何か他にする事があるのではないかと思い、会場の外に出ると、なんと師父と記念撮影をすると知らされました。私達が列に並ぶと、ちょうど師父が会場から出て来られました。世話人が一緒に記念撮影を師父にお願いすると、師父は快く、「私はどこに立てば良いでしょうか」とおっしゃいました。世話人は師父に真ん中に立っていただくようお願いしました。記念撮影が終わって、修煉者達は師父を囲んで、いくつかの質問をしました。師父は修煉者に対して、幾つかのことを話されました。そのお言葉を今でも覚えています。その時、私は師父がとても背が高いと感じました。私の父も東北出身で、身長が183センチあり、たくましい体格をしているため、私は長身の人を見慣れていましたが、師父はとても高くて大きく、すべての人より背が高いと感じました。迫害が始まってから、2000年に、東城留置場で、拘禁されていたとき、ニュージーランドの修煉者は私に、「師父の身長は変わらないのに、師父はいつも一番高いように見えます」と言いました。
師父が会場から出られた時、車がすでに階段の下で待っていました。先ほど師父と記念撮影をしたいと言った北京大学の女子学生はまだ師父に、「私は師父の追っかけをしたいです」と言いました。師父は根気よく、優しく、彼女に、「あなたがしっかり修めれば、毎日私に会えますよ」とおっしゃいました。その時、私は押しのけて師父の側に行かず、ただ階段に立って、静かに少しも見落とさないようにずっと師父を見つめていました。あの女子学生はぽっちゃりして、それほど可愛い子でもないのに、師父は彼女に気さくで優しく、まったく嫌がるような様子はありませんでした。当時、私は法を得て、まだ半年しか経っておらず、たくさんの常人の考えを持っていました。私は、「師父は本当に普通ではない。ほかの有名人達と全然違う。有名人だったら、絶対このようにファンに対応しないだろう」と思いました。師父が乗車されて、その場を離れてから、私達はやっと戻りました。
これは私が初めて師父にお目にかかった時のことでした。法を得た当初は、私はとても興奮して、とても師父にお会いしたいと思いました。それまで、私の人生は順風満帆でした。小さい時から、私は両親の庇護のもとで成績が優秀で、有名進学校から清華大学に合格して、さらに推薦で大学院に進みました。しかし、私はいつも名利のために生きることはつまらないと思い、人間はなぜ生きるのか、どう生きるべきかを知りたいと思いました。本や雑誌の中では、不幸な人や絶体絶命に陥る人の報道を見て、いつも彼らのために悩み、「どうすれば、その苦境から抜け出すことが出来るのか」と考えました。1995年6月8日、私は清華大学の東本館の階段を下りた時、向かい側の黒板に法輪功の紹介が掲示されているのを見ました。法輪功の八つの大きな特徴は私を引きつけました。法を得た後、私は大法がこれらの問題を解決できると分かり、周囲の人々に法輪功を紹介しました。特に体の悪い人と生活の不幸な人に勧めました。それによって、私の家族、親戚も次々と法を得ました。
中国大陸では、師父にお目にかかれることはとても羨ましがられるのです。その後の歳月の中で、私はいつも師父にお目にかかったその日のことを思い出しました。