文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年7月5日】
一、恨む心を放下し、姑とのトラブルを解決する
私は1999年から大法を修煉し始め、法を正す修煉の道で2009年、他の地区で真相資料を配っている時、連行され迫害を受けた以外は、ずっと衆生を救い済度する道で穏やかに歩んできました。
. 私の主人は1996年に自動車事故によって亡くなり、私は1人で息子を大きく育てました。息子が大きくなって、とても親孝行をしてくれて、私が大法を修煉するのも支持してくれました。
2年前、息子が結婚して、花嫁は息子の同級生でしたが、結婚するまでは息子を追いかけていて優しく思いやりがありましたが、結婚した後全てが一変しました。
2013年12月、息子は転勤した先で新しい家を買い、家の内装する必要があり、また嫁も妊娠して、私が手伝いに行くことになりました。息子がバスルームの窓の寸法をはかる時にまちがって注文してしまい、500元のガラスを無駄にしてしました。私は息子になにも言わないでいると、嫁が私の目の前に来て、指をさして「いつも自分の息子をしつけているのに、今回はどうして何も言わないのですか?」と罵りました。私は心の中で「一人で子供を育てることは簡単な事でしょうか? しかもバスルームの寸法なんて私にはわかりません」と思いました。いつも嫁は息子の前で私を挑発し、嫁が「私が妊娠しているのにお義母さんは私の面倒をあまりみてくれない」と息子にいった事を思い出すと、不公平に感じ、涙が流れました。その後、私は師父の説法を思い出しました「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」[1]。私は一人の修煉者として真の忍を成し遂げることができておらず、嫁に対して恨む心があると分かりました。
翌年5月、嫁が孫を産み、私の家で産後の安静期間を送りました。嫁の母親も娘の面倒をみることを口実に私の家に滞在しました。その間、母親は嫁と一緒になって、私の粗(あら)をあれこれ探しました。嫁が新鮮な鳥肉を食べたいと言うので、私は大法を修煉しているので殺生はできないと言うと、嫁は私を睨んで大声で「私の母も仏教を信仰しているのに、鶏を殺して食べさせてくれるのに、あなたはどうして食べさせないのですか?」と不満をもらしました。また私はスペアリブとトロロ芋を用意してスープを嫁に作ろうとしましたが(母乳が出るようにするため)、母親は怒って材料を冷凍庫に入れてしまいました。私が孫を抱っこしようとすると、嫁は冷たい顔で「赤ちゃんに触らないで! 風邪はなおったの?」と言いました。他にも、私が何日か体調がわるくベッドから起きられなかった時、おかゆを食べようと思い、作ったら、母親は大声で「こんな食事しかとれないのなら、実家に帰ります」といって嫁と一緒に本当に帰ってしまいました。その後、私が嫁の実家に見舞いに行くと、嫁は私を追い出して「あなたの姿も見たくないし、声を聞くのもいやです」と罵り、母親も息子をどなりました。
私一人で苦労して息子を大きく育て、幸せな老後をむかえられると思っていたのに、私はかえってこんな侮辱をうけてしまいました。私はこの事を心性を向上させる良い事とみなしました。師父はこうおっしゃっています。「皆さんもご存じのように、われわれのこの法門は常人社会を避けて修煉しているものではなく、トラブルを避けたりトラブルから逃げたりもしません。常人のこの複雑な環境の中で、あなたは醒めています。それとはっきり分かっていながら利益の面において損を蒙り、また他人に利益を侵され時、あなたは他人のように争ったり闘ったりはしません。いろいろな心性の邪魔の中で、あなたは損を蒙っています。あなたはこのような厳しい環境の中で、意志を錬磨し、心性を向上させ、常人のいろいろな良くない思想に影響されながらも、そこから抜け出すことができるのです」[2]。私は淡々とこの一切の事に対応し、嫁に対する恨む心をとりのぞきました。自分の家に帰って、嫁は息子にたしなめられたようで、電話で私に謝ってきた時に、私は嫁に「私は怒っていません。私は修煉者です。あなたはいい嫁ですが、私は本当の忍をできていないのです」と言いました。大法の法理が私に嫁とのトラブルを解決させました。これで嫁と私のトラブルは解決され、息子は安心して仕事が出来るようになりました。
真相資料をつくり、時間を大切にして人を救う
資料拠点の同修の負担を減らすため、私は恐れる心と私心を放下して、2006年に真相資料を作り始めました。それから8年が経ちます。私は機械や消耗品は自分の少ない年金からお金を出して買っており、まとめて買い込んだ紙は、いつも四階の部屋まで持ってあがっていました。また私はあまり教育を受けていませんでしたが、大法が智慧を与えて下さるお陰で、60歳近くになるおばあちゃんですが、ネットからダウンロードして印刷することが出来るようになり、また同修にソフトをインストールしてあげたり、簡単なプリンターのトラブルは解決することができるようになりました。
資料を制作する過程で自分の歓喜心、顕示心、あせる心などの心を修めることに気をつけて、また機械と交流して正念を発して、邪悪の機械への妨害を取り除きました。資料拠点はずっと安定して、超常的に運行し、毎週500部の真相冊子を印刷しています。私の地区は全国でも蒸し暑いことで有名ですが、経済的な問題でエアコンをつけていませんでした。暑い真夏になると、高温で全身に汗疹がでできて、手からでた汗が、印刷した紙にはりつくほどでした。自分が苦しい中我慢し、真相資料を印刷し続け、また正念を発して、プリンターを加持しました。私はプリンターに「あなたも法のためにきた生命であり、私たちは一緒に苦を嘗めて、よく真相資料を制作し、頑張って、将来この事はあなたの威徳になります」と言いました。季節に関係なく一年中怠けずに真相資料をつくりました。時間を節約するために、私は基本的に一週間で一度か二度おかずをつくって、できるだけの時間を真相資料の制作に使っています。
私は真相を伝え人を救っています。法を正す進展にしたがって、真相を分かる世人がますます多くなります。ある日資料を配る時に数人の立ち話をしている奥さんたちに出会い、その中の一人が私に話しかけ「法輪功がきた。法輪功がきた」と手をふりながら呼びました。そして両手を出して、礼儀正しく、真相資料を受け取りました。私が別れる時に、彼女は心を込めて気をつけて下さいと言いました。
もちろん真相を伝える中で真相資料を受け取らない世人に会うこともありますが、その時は内に向けして。淡々と対処しました。ある日、私は神韻DVDを一人の男性に渡して、彼は力強くそれを投げ返し、通行人たちに注目されました。これは私のメンツを気にする心を取り除く為だと分かり、少しも怒らず、地面に落ちたDVDを拾って、平気でそのまま前を歩きました。しばらく歩くと一人の女性にであって、にこにこしてDVDをわたすと、彼女は喜んで受け取りました。
ある敏感日に、私は数人の同修と刑務所に発正念に行きました。帰ってくる道で、道路に止まった一台の車をみて私は神韻DVDを車の中の幹部のような人に渡すと、彼は「お前はこれを誰に向かって渡そうとしている? つかまえるぞ、お前は怖くないのか?」とどなりました。私は「私が誰であろうと安全でいられるよう望んでいます」と言いました。この時に車の座席にかけている警察の制服が目に入りましたが、私は怖れず、緊張もせず、彼に「よい警官は、よい人を連行できません」といい、正念を発しながらそこを離れました。
以上は私の修煉体験で、不足があれば慈悲に指摘をお願いします。
師父ありがとうございます。同修の皆さんありがとうございます。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「忍とは何か」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』