【明慧日本2015年7月24日】
7月5日の夜8時から9時までの発正念の時に他空間の光景を見ました。大法弟子は数百年、数千年の歳月を経て、ようやく江沢民告訴の大潮を迎えました。江沢民を告訴する扉に入ろうと、人々は長い列を作って並んでいました。この扉は師父が『轉法輪』でおっしゃった玄関に似ていました。「北京の天安門と同じように、両側に観音開きの門がそれぞれ二つずつあります。それを一日も早く形成させ充実させるために、きわめて特殊な場合でないかぎり、それらの門は開かないことになっています。というわけで、天目が見える人でもこの時になると見えなくなり、見せてもらえなくなるのです」
おかしいことに、この扉は人の心性の高さによって変化しました。ある人はようやく扉の前まで並んできたのに、この扉は左右に揺れ始め、揺れ過ぎて入れない人がいました。ある同修はこの扉の前に来た時、扉は一面のガラスの扉に変わりました。この同修は「このままでは入れない。ガラスを破ることは公共物を破壊することだ。またガラスの破片が身に刺さったら痛い」と思って、入ろうとしませんでした。私はそばで絶えず励ましてあげましたが、彼は結局入れませんでした。
ある人が扉の前に来た時、扉は左右上下に規律なく動き出し、扉に頭をぶつけそうでした。ある人はこの扉に入ったつもりですが、扉が一回転してまた外に追い出されました。「入れない、残念だ」と諦める人もいました。しかし、一部の人は扉がどのように變化しても迷わずそのまま入りました。ある人は扉がもうすぐ閉まりそうになり、隙間は少しだけしか残っていない状態でしたが、無理やりその中に入りました。
ある小さい貨車には、座っている人、立っている人でいっぱいでした。ある人は片手で貨車に乗っている人を掴み、身体は外にぶら下がったまま、扉に入りました。本当に壮観な光景でした。私はこれは全体の協調の力だと思いました。
悪魔を告訴する幕はすでに上がりました。私達は最後の道をしっかり歩まなければなりません。同修と協調しあって、もっと多くの衆生を救わなければなりません。どんな扉も大法弟子を止めることはできません。